W杯アフリカ最終予選セネガルvsエジプトを現地で観戦したら壮絶で熾烈で劇的で最高だった経験を1万字で語ってみる。
スタジアムが、街が、国が、熱狂している。
2022年3月29日、セネガルの首都ダカール近郊。Stade Me Abdoulaye Wadeで行われたセネガルvsエジプトのリターンマッチは120分におよぶ死闘の末、PK戦に突入した。
2-1で迎えたセネガルの5人目。
絶対的なエースのサディオ・マネが決めれば勝敗が決するという、奇しくも2ヶ月前と全く同じシチュエーションだ。
「セネガル史上最高の選手」と称される29歳は、2ヶ月前同様、コントロールショットではなくパワーシュートを、ゴールど真ん中に打ち込んだ。
その瞬間、スタジアムに地鳴りのような歓声が響き渡った。
興奮のあまり、スタンドから観客の何人かがピッチに乱入していく。
セキュリティスタッフたちは、次々にピッチに侵入する人を捕まえてもキリがないと悟ったのか、もはやピッチを闊歩する乱入者もいる。
そんな光景を見ながら、僕はセネガル人たちとともに、これでもかと喜びの雄叫びをあげていた。
スタジアムの雰囲気で確信した勝利
FIFAワールドカップ・アフリカ最終予選の組み合わせが決まってから、セネガルに住む僕にとって、この歴史的一戦をスタジアムで観戦しない選択肢はなかった。
フランス語でしか情報がないためにDeepLやGoogle翻訳を駆使して情報収集し、試合チケットはサッカー仲間のセネガル人サッカージャーナリストに情報を教えてもらい、観戦手筈を整えていった。
ただこのリターンマッチを迎えるにあたり、セネガル代表は厳しい状況に追い込まれていた。
セネガルにいるのに、11月にはセネガル代表のいないワールドカップを観ることになるかもしれない、と覚悟していた。
遡ること4日前――。
エジプトの首都カイロで行われたエジプト対セネガルのファーストマッチは、1-0でエジプトが先勝した。内容もチャンスの数も勝っていながら、セネガルは初戦を落とした。
このホーム&アウェーの2連戦では、アウェーゴール・ルールが適用されている。
それを踏まえれば、同スコアになった場合に2倍換算されるアウェーゴールを奪えなかったことは、セネガルにとって痛恨だった。
この結果により、セネガルホームでのリターンマッチで求められるのは2点差以上の勝利。
2-1で勝ってもアウェーゴール・ルールにより敗退、1-0なら延長戦に突入。2-0や3-0、もしくは3-1以上で勝つ必要があった。
2ヶ月前のアフリカネイションズカップ決勝とワールドカップ最終予選の初戦、トータル210分でもセネガルはエジプトから得点を奪えていない。
強固なエジプトの守備陣から2点奪うのは至難でありながら、仮に1失点でもすればセネガルには3点が必要になるという、セネガルにとっては難しい状況だった。
そして、迎えた当日――。
「スタジアムは10時に開場していて、すでに大勢の人たちがスタジアム周辺に詰めかけている。これからさらに大渋滞になるだろうし、早く行かないとスタジアムに入れないかもしれない」
真偽不明のそんな情報をキャッチし、とりあえず急遽昼過ぎに出発することに。
僕は主夫が本業で、この試合をスタジアムで観戦するにあたっての最大の悩みは、4歳と2歳の子どもたちをどうするかだった。
そこで日頃から仲良くさせてもらっていて子どもたちもよく懐いている主夫友に預けるというウルトラCを発動させてもらい、いざスタジアムへ。
スタジアムまでの距離は、セネガルの首都ダカールからおよそ40km。アクセス手段は車しかなく、スタジアムに集う5万人も車移動のため、当然の如く大渋滞に巻き込まれる。
それでも早めに出たのがよかったのか、2時間強でスタジアムに到着した。
意外とスムーズにチケットの発券やセキュリティをパスし、ゲートをくぐり抜けると、そこはもう夢のような場所だった。
その雰囲気の中に身を置いた瞬間、もしかしたらセネガルは敗退してしまうかもしれない、という杞憂は一気に吹っ飛んだ。
5万人の観衆のうち、おそらく数百人にも満たないエジプトのファンはほんの一画に押しやられている。
そして見渡す限り、四方八方セネガルのファンがスタンドを埋め尽くしていた。
チャンピオンズリーグ決勝をはじめ、これまでにいろんな国でいろんな試合を観てきたけど、こんな雰囲気ははじめてだ。
ここまであからさまな「ホーム」で、セネガルが敗退するはずがない、これはいける、と確信した。
試合(ここでフル視聴可)は、スタジアムの大声援の後押しを受けて、セネガルが開始早々いきなりエジプトの守備を打ち破る。
その得点で、やっぱり、やっぱりこれは絶対いける、と確信を深めた。
ところが、その後試合は膠着していく。
初戦と同じくセネガルが攻めてエジプトが守るという構図は変わらないまま、エジプトをなかなかこじ開けられない。
そうして90分でも120分でも決着がつかず、またしても勝負の行方はPK戦に。
このPK戦に勝ったほうだけが、誰もが夢見るワールドカップに出場できる――。
そんな残酷な現実で生き残ったのはセネガルだった。
W杯予選「敗者」から見える景色
ピッチに日差しが差し込む17:00にスタートした試合も、勝敗が決した20:00にはすっかり暗くなり、ナイターが照らされていた。
完成したばかりはずのスタジアムなのに、セキュリティは一体どうなっているんだとばかりに、試合直後には続々と観客たちがピッチに入っていく。
そして、気づけばもうそこにエジプトの選手たちの姿はなかった。
2ヶ月前と同じ光景。
エジプトは今回、アフリカ王者の称号ではなく、ワールドカップの出場権を失った。その失望は想像を絶する。
率直に言えば、この2試合を通じてエジプトとセネガルの力の差は歴然としていたように思う。
エジプトにはチャンスらしいチャンスはほとんどなく、エースであるモハメド・サラーが放ったシュートも2試合でわずか3本だった。
それでも試合が拮抗したのは、エジプトがPK戦に持ち込むために耐えに耐えたからだ。ときに狡猾さを発揮し、アフリカ王者をギリギリまで追い詰めた。
自分の国がワールドカップに出場できない――。
それは選手やスタッフ、関係者のみならず、サッカーファンからしたら耐え難い事態だ。
アフリカネイションズカップで最多7回の優勝を誇るエジプトがワールドカップに出場したのは、過去たった3回しかない。前回2018年大会に出場したものの、その前の出場は28年前にまで遡る。
一方のセネガルも、初出場した2002年から前回大会の2018年まで、ワールドカップに出場しない16年を送った。
その損失はあまりにも大きい。
一緒に観戦した大のサッカー好きのセネガル人は26歳。2002年は10歳だった。彼は11歳から22歳まで、ワールドカップを遠目に眺めるしかなかった。
コアなサッカー好きであれば、自国が出場しなくても目白押しのカードが組まれ、誰もが夢見る4年の1度の祭典の魅力が少し減る程度かもしれない。
でも市井の人たち、またそれが子どもにとってであれば負の影響は大きい。
自国が出場しないワールドカップは社会的な関心が薄まり、どことなく「遠いもの」になってしまう。
ここアフリカでは、自国が出場しなければパブリックビューイングなどもないだろうし、視聴機会にアクセスできる子どもたちは経済面からも限られてしまう。
それは、サッカーがいくら好きでもワールドカップの興奮を味わうことができないまま大人になる子どもが大多数いる、ということだ。
自国がワールドカップに出場できるか否かは、その国のサッカーの発展度合いにも大きな影響を及ぼすんじゃないかと思う。
ワールドカップは何物にも代え難い。
サッカーとともに育ってきた自分の子ども時代を振り返っても、日本がもし出場していなかったら数々の思い出がなかったことになってしまう。
日本が初めてワールドカップ出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」で小学生ながら涙を流して感動した記憶も、岡野の劇的ゴールをひたすら再現して友達と遊んだ思い出も、本大会で初めて日本戦を観て興奮した日々も……。
また今回のエジプトの敗退は、モハメド・サラーという、エジプト史上最高、現世界最高の選手の一人の全盛期を、ワールドカップで観る機会を失うことを意味する。
世界中のサッカーファンだけでなく、とりわけエジプト人にとってそれはもう絶望でしかないんじゃないかと思う。
12年前にエジプトを旅行した時、エジプト人たちとサッカーをしたり、一緒にアフリカネイションズカップを観戦しながら、この国の人たちはなんてサッカーが好きなんだと感動したことを今も覚えている。
サッカー大国でありながら、2ヶ月で2度の深い失望を味わった「敗者」から見える景色はどんなものなのか、想像もつかない。
ただ悲嘆に暮れるエジプトの選手たちの姿を通じて、その底知れない感情に少しだけ触れた気がする。
アフリカ予選はどれほど過酷なのか
「日本は毎回ワールドカップに出場しているけど、日本人はワールドカップに出れることをどのくらい喜ぶんだ?」
セネガル人からそう聞かれて、アジア予選を戦う日本の状況は、ここアフリカ大陸の予選とは大きく違うと気づかされた。
日本では「ワールドカップに出場して当然」とまではいかないまでも「ワールドカップに出場しないなんてありえない」くらいの認識がある。
1998年以降6大会連続で出場、つい先週に7大会連続となる出場も決めた。これはアジアの中で韓国(10大会連続)に次ぐ偉業だ。
今回に限らず、過去にも楽に突破できた予選はなかったし、タフな苦戦を強いられてきた。とくに中東特有の雰囲気の中で行われる試合は難しく、イージーな試合もほとんどない。
それでも、アジア予選から大陸間プレーオフに回ったり、この試合で負けたら終了といった、本当の意味での「ギリギリ」という苦境に立つことなく、出場権を獲得してきた。
そうした経緯もあって、とくにファンやメディアの多くが「ワールドカップは常に出場できるもの」という認識があることは否めない(と感じる)。
一方、アフリカ大陸の予選はなかなか過酷だ。だから、ワールドカップに出場できる喜びも、尋常ではない。
今予選でも、10カ国による最終予選に至るまでの2次予選でコートジボワールや南アフリカという強豪国の他、アフリカネイションズカップでベスト4入りしたブルキナファソや2012年の同大会優勝国ザンビアも敗退している。
そして最終予選ではエジプトだけでなく、ナイジェリアとアルジェリアという名だたる強豪国に加えて、マリやコンゴも敗退した。
最終予選は、セネガルとエジプトという、おそらくは現アフリカ最強の2カ国が潰し合うことになり、くじ運によって命運が大きく左右されることも過酷と言える要素だ。
また欧州とアフリカには「大陸間プレーオフ」がない。アフリカ最終予選は文字通り「最終」であり、そこで負ることは終了を意味する。
この数年でアフリカの中で強豪国と位置付けられるようになったセネガルも、日本と同組になった2018年のワールドカップが16年ぶり(5大会ぶり)の出場だった。
16年前と言えば、2002年日韓ワールドカップだ。
セネガルは開幕戦で当時王者だったフランスを破る大波乱を演じ、その後も初出場ながら準々決勝(ベスト8)まで進出するサプライズを起こした。
ちなみに、当時から20年が経った今も、2002年ワールドカップで代表選手たちが着用していたユニフォームが街中で売られていて、着ている人を見かけることも多い。
セネガルは初出場だった上に、大金星を挙げた相手は当時ワールドカップ王者で旧宗主国フランスだった。それだけセネガル人にとってあの大会の意味は大きかったのだと思う。
だけどそれ以降、セネガル代表は低迷しつづけた。
ワールドカップに出場できなかった16年間、2次予選や最終予選での敗退を繰り返し、敗退後に一部のファンが暴徒化してサッカー協会を襲撃するなどの事態が発生したこともあるという。
その流れを変えたのが、アリウ・シセの監督就任だった。2018年ワールドカップで日本代表が対戦したときに話題になった、あのシセだ。
2002年ワールドカップ当時、キャプテンとして本大会に導いたシセは、2018年に今度は監督として16年ぶりに自国をワールドカップに導いた。
2018年のワールドカップ本戦では日本に後塵を拝してグループステージ敗退に終わったものの、その後も続投してチームを熟成させ、アフリカネイションズカップを制してセネガルに初のメジャータイトルをもたらした。
そして、いまや絶大な支持を集めている。アフリカネイションズカップ中、マネが「僕が見た中で最も批判されている監督」と話すほど批判されていたのが嘘だったかのように。
余談だけど、セネガルはシセ、カメルーンではソングという風貌のよく似た2人が、それぞれ過去にキャプテンとして自国をワールドカップに導き、今度は監督して導いた偶然が少し話題になっていた。
シセに率いられたセネガルは過酷なアフリカ大陸の予選を突破し、ワールドカップへの切符をギリギリのところで獲得した。
2022年はアフリカネイションズカップという初の国際大会での優勝、そしてセネガル史上初となる2大会連続のワールドカップ出場を決め、11月にワールドカップ本大会が行われる。
今、セネガルのサッカー熱が最高潮に達しつつあるのは間違いないのかもしれない。
セネガルの国内フットボール事情
では、そもそもセネガルにおけるサッカーの“平熱”は、どのくらいなのか。
セネガルに住んでからのこの半年、セネガル人たちのサッカー熱にはそれなりに濃密に触れてきた。
子育てや家事といった主夫業の傍ら、週末は現地のセネガル人たちと草サッカーにいそしみ、セネガル国内リーグの試合を観戦しにスタジアムに足を運んだ。
アフリカ大陸の多くの国の例に漏れず、セネガルのサッカー熱は相当に高い。
言わずもがな最も人気のスポーツであり、そこら中で子どもや大人たちがボールを蹴っている。
街には、セネガル代表やヨーロッパのクラブのユニフォームを着ている人がすぐに目につく。
アフリカネイションズカップで初優勝した際には国中が熱狂に包まれ(その時の様子)、大統領令が発令されていきなり翌日が祝日になるなど、サッカーはセネガル人の生活レベルにまで深く浸透している。
急遽祝日になって行われた凱旋パレードは深夜にまで及んだ。
また、毎週セネガル人たちと草サッカーをして感じるのは、やはりサッカー愛の深さだ。彼らにとってサッカーはたぶん生き甲斐そのものになっている。
彼らは遊びだろうがなんだろうが、とにかく真剣だ。
とことん勝負にこだわり、判定に不服があれば審判に猛抗議する。PKやゴールを狙える位置のフリーキックを獲得しようものなら、誰が蹴るかで大人が子どものように揉めたりいじけたりしている。
「仕事は何をしているの?」と聞くと、プロじゃないはずなのに「平日はサッカーをしているから仕事はしてないんだ」という謎の返答が返ってくることもある。
ところが、その熱気は国内のリーグ戦には反映されていないらしい。
セネガル人の多くは、観戦といえば自国のリーグよりも欧州サッカーに熱心だ。
「なんでセネガルの人たちはリーグ戦にはあまり興味がないの?」
何人かにそう聞いてみると、総じて以下のような答えが返ってくる。
「そもそもリーグには良い選手がいないんだよ。良いプレイヤーはどんどんヨーロッパに行ってしまう。セネガルのリーグはサラリーも低いからね」
その言葉の通り、優勝したアフリカネーションズカップの代表メンバーに国内組はゼロ、今回の最終予選で選ばれたのも第3ゴールキーパーの一人だけだった。
たしかに、何試合か観戦した限りだと決してレベルが高いと言えない。とはいえ、レベルが著しく低いというわけでもない。
「この選手ならJリーグでも通用するんじゃないか?」と思う選手が何人かいる一方で、「明らかに絞れてなさそう」と思う選手も見かけたりする。
試合も、荒削りなラフプレーが散見されたりもするけど、どのチームも蹴り合うのではなく、ある程度戦術をもってプレーしている印象を受ける。
関心の薄さは、スタジアムの観客数にも表れている。
試合チケットは1000〜2000CFA(200〜400円)程度ながら、そもそも収容人数が2000人にも満たないスタジアムばかりで、観客の入りもおそらくは500人〜1000人程度。
ホーム側は満席でもアウェー側にはほぼいない、ということもある。
また観客は若年男性が圧倒的に多く、子どもや女性などはほとんど見かけない。
それでも、スタジアムに集うファンはやはり熱い。
2月に行われた、セネガルで最も人気のクラブJaraafと強豪Guediawayeの試合では、前半にGuediawayeが3点を先行し、後半にJaraafが3点返す劇的な展開だった。
その展開も相まってファンがヒートアップ。前半は3点リードしたGuediawayeファンが、後半は3点差を追いついたJaraafファンが、お互いに散々煽り合った結果、試合終了直後には暴動になりかけていた。
このように、沸騰した熱がときによからぬ方向に向かってしまうことがある。
スタジアムで見た一部ファンによる愚行
それは、このワールドカップ・アフリカ最終予選セネガルvsエジプトでも例外でなかった。
一部ファンによる愚行のせいで、最高の勝利の後味が少し悪くなってしまったのも事実だ。
この記事では、エジプト選手に対するレーザーポインターの照射が「PK戦で起こった事件」として語られているけど、レーザーポインターは試合中かなりの頻度で散見されていた。
それはもうヒドいとしか言えないレベルで、エジプトの選手たちの顔面には試合中の120分、ほぼ常時、おびただしい数の緑色のレーザーポインターが照射されていた。
「あのレーザーポインターはヒドいな……どうにかならないのかな?」
一緒に観戦したセネガル人たちはフランス語(と現地のウォロフ語)しか解せないから直接コミュニケーションがとれないのだけど、ちょうど隣だったおじさんは僕の拙い英語でもコミュニケーションがとれた。
「初戦でエジプトのファンたちがセネガル選手に対してレーザーポインターを当てていたから、その復讐なんだろう。だけど、やるべきではない」
彼が言った通り、たしかにエジプトで行われた初戦では、セネガルの選手たちがエジプトファンによってレーザーポインターを照射されていた。
だからといって、まったく正当化される行為ではない。程度の差は関係なくとも、今回のエジプトの選手たちへの照射は初戦よりヒドかった。
またスタジアムでは、ペットボトルをはじめとする物を投げ込む行為も見た。
そもそもペットボトルは持ち込み不可のはずで、場内に入るセキュリティチェックで没収されているはずだった。
なぜかペットボトルを持ち込んでいる人が少なからずいたのは、セキュリティの甘さでもある。
試合終了後にスタンドからなだれ込む観客をほとんど制御できていなかったのも、セキュリティとして大きな課題だ。
ただセキュリティの課題以上に、以下のような一部ファンによる愚行は目にあまった。
さらに、エジプト選手たちが乗るバスへの襲撃や人種差別などもあったと報道されている。
それらについては直接見ていないから僕が言えることはないけど、決して許されない行為だ。
スタジアムで観戦したからこそ言えるのは、愚行をはたらく人の周囲は決して傍観者というわけではなかった、ということだ。
「何しているだ!やめろよ!」
そう言わんばかりに、愚行をはたらいた人に対して何人もの人たちが制止していた。
だから、これらの愚行をもって「これだからセネガルファンは〜」などと大文字にして語られることに、少し違和感を覚えてしまう。
当然ながら、愚行をはたらいたのはスタジアムで観戦した5万人近くのセネガルファンの内の一部だ。
僕が見た限り、大多数のセネガルのファンたちは秩序を守って観戦していたし、この歴史的な試合を観戦することをただただ楽しんでいた。
ハーフタイムに同じムスリムとして一緒にお祈りしている様子の画像もSNSで拡散されている。
愚行に対してはセネガル国内でも批判が大きく、一部ファンによる愚行に憤っているセネガル人も多い。
SNSではレーダーを当てていた人の顔写真が醸され、本人が特定される事態にも発展している。
他方、試合後にゴミ拾いをするファンもいたりと、決して「セネガルファン」全体の観戦マナーがヒドかったわけではないことは強調しておきたい。
そうは言っても、治安がいいとは言えないアフリカだからか、ピッチ外、とくにスタジアム周辺にはやや危険な匂いが漂っていたように思う。
警備員が多く配置されていたとはいえ、スタジアム外にはチケットを持たないらしい人たちが大挙して詰めかけ、若干不穏な空気を感じた。
ちなみに、試合数日前に完売していたチケットは大別して1階席と2階席とがあり、それぞれ10,000CFA(2000円)と5,000CFA(1000円)。大多数のセネガル人にとっては手が出づらい価格でもあった。
また今回、僕はドライバーでサッカー仲間でもある人とその友達の3人でスタジアムに来たけど、大人一人でなら行けても、子どもを連れて行ける雰囲気ではないなと感じた。
実際にスタジアム内でも子どもの姿はほとんど見かけず、アフリカ系ではない外国人も数人見かけた程度。おそらくセネガル人の若年男性がほとんどだった。
試合中の一部ファンによる愚行やスタジアムの安全面など、いまやアフリカ最強国であるはずのセネガルが抱える課題は山積している。
そして、セネガル人曰く、これらは長年放置されてきた課題でもあるという。
ナショナルチームの底上げには、国内の選手たちやスタッフ、メディアなどだけでなく、ファンはじめ市井の人たちが果たす役割は間違いなく大きい。
「今、セネガルサッカー史上最高の時代を迎えている」
セネガル人がそう声高に叫ぶ通り、とくに2022年はセネガルにとって最高の一年になっている。
だからこそ、セネガルサッカーの課題が改めて見直される元年になればなと、一アフリカサッカーファンとして切に思っている。
セネガルはW杯で旋風を巻き起こす
もしかしたら、セネガルは2022年カタール大会で旋風を巻き起こすかもしれない――。
これまでのアフリカ勢の最高成績は、1990年イタリア大会のカメルーンと2002年日韓大会のセネガル、2010年南アフリカ大会のガーナが成し遂げたベスト8だ。
今のセネガルであれば、それ以上の成績を残せるポテンシャルが大いにあると確信している。
サッカー連盟が汚職に満ちていたり、監督が短命に終わりがちだったり、選手間や連盟などでの揉め事があったりと、ワールドカップを戦うアフリカ勢はなにかと問題を抱えていることが多い。
そんな中で、この数年のセネガルの安定感は随一だ。
メンバーは黄金期を迎えつつあり、就任7年目になるシセがチームを熟成させてきた。
それがアフリカネイションズカップで開花し、さらにセネガル史上初となる2大会連続のワールドカップ出場を決めた。
W杯で旋風を巻き起こすポテンシャルは間違いなくある。
2022年カタール大会、セネガルはダークホースになると、僕は確信している。
◇
熱狂冷めやらぬスタジアムからの帰り道。
スタジアム付近に路駐した車に乗り込んでから3時間近く経つのに、車はおそらく1メートルも進んでいない。
その車中で感動に浸りながら、鮮度の高いうちに言葉にしようと、ひたすらこれを書いていた。
その後もまた夢中で書いていたら1万字を超え、でも1万字を尽くしても、壮絶で熾烈で劇的な勝利から1日以上経っても、気持ちの昂りがおさまらない。
僕はセネガルに住んで、たかだか半年だ。
ただその半年で、サッカーを通じて経験できたことがあまりに濃密すぎて、これ以上ない日々を送れている。
とはいえ、周りに言葉が通じるサッカー好きがいないから、書くことでしかこの喜びを発散できないのだけど。
たった2ヶ月前、アフリカネイションズカップ初制覇という、セネガルにとっての歴史的瞬間に立ち会うことができた。それだけでも最高だった。
そして今回もまた、この国に最高の夜を味わわせてもらった。
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