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サウナの起源と国民性

saunaの語原

サウナ好きでも、サウナ(sauna)の語原についてまで知っている人は、なかなかいないと思われます。
幾多あるサウナ本のなかでも名著中の名著(と勝手に僕が思っています)中山眞喜男先生の『サウナあれこれ』は、世界各地の発汗浴の歴史・種類、日本のサウナ史などがまとめられ、サウナのみならず温浴に関する一級の資料集です。amazonや書店で買えず、公益社団法人日本サウナ・スパ協会からしか買えない出版形態も最高にクールなんですが、この本にはサウナの語原についてこう書かかれています。

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サウナの語原は一説によればサーミ人の言葉である「サウン」からきており、意味は「ラップランドの鳥のための雪のくぼ地」だそうです。これがサウナという言葉の源で、数千年前には「雪の中の安全なくぼ地」を指し、以来変わることなく、サウナは内から外から寒さを防いでくれる場所となったようです。
『サウナあれこれ』. (中山眞喜男)より

僕がフィンランドのサウナ事情に詳しい方から聞いた話によると、”sauna”という言葉はもちろん「蒸し風呂」の意味ですが、おっしゃられているように「くぼ地」(凹んだ土地)という意味が本来あるのだそうです。それは寒風吹き荒ぶ北欧の世界において、風を避けられる場所こそが命を守る最も大切な場所だった。だからこそ暖かい土地を探し、その場所を聖なる場所として崇めた。フィンランド人は、かつては出産や葬儀をサウナ室で行っていたことで知られていますが、それは「くぼ地」がいかに生命の源だったのか教えてくれているのだそうです。生まれ、死んでいく場所、それが”sauna”だということです。

サウナ内で苦しむおっさん達

そんなフィンランドの魂といえる神聖なるサウナですが、フィンランド人のサウナに対する考え方は、日本人のサウナに対する考え方は全然違うようです。そのことはフィンランドに行った時は全然分からず、映画『サウナのあるところ』を見てバチコン理解しました。

この映画、予告動画やアップリンクの映画紹介テキストだけ見ると、非常に日本のサウナーが愉快に楽しめそうに思えます。まさに広告PRの鏡のような戦略で、何ひとつとして間違ってはいません。

日常的にサウナを楽しむ国・北欧フィンランド

自宅やオフィス、夏小屋のプライベートなサウナから、湖畔や街なかの公衆サウナまで、約550万人の人口に対して約300万個のサウナがあるという、サウナの本場・北欧フィンランド。日本人にとってのお風呂のように、フィンランドの人々にとって、サウナは生活の一部であり欠かせないものである。本作では、50年以上連れ添った夫婦、父と3人の息子、気のおけない友人同士、仕事終わりの会社仲間、スイミングプールに集うシニア、クリスマスのお務めを終えたサンタ、寒さを凌ぐホームレスなど、様々な人たちがサウナで過ごす姿が描かれており、フィンランドの人たちのサウナの楽しみ方を垣間見ることができる。また、フィンランドの春夏秋冬の美しい自然とともに、DIYによるキャンピングカー型や電話ボックス型のサウナ、そのまま湖に飛び込めるサウナ小屋、首都ヘルシンキや2018年に世界サウナ首都を宣言したタンペレの歴史ある公衆サウナ、ランプを吊るしたテントサウナなど、バラエティに富んだユニークなサウナが登場する。世界幸福度ランキング2年連続1位(2018/19)となったフィンランドの人々の日常に、サウナのある“幸せ”を感じさせる異色ドキュメンタリーである。

でも実際に映画を観た方は僕と同意見だと思うのですが、めちゃくちゃ内容が暗いのですよ… はっきり言えば、ただ単にフィンランド人のおっさん達がサウナ室内で号泣しまくっているだけです。なかなかツラい絵面を長時間我慢して観る展開になります。

僕はフィンランド大使館から観て欲しいと呼ばれまして、「サウナの映画だ!」とヨダレ垂らしながら試写会に行ったところ、あまりのギャップに衝撃。その帰りのサウナも「ととのわなくなる」くらい数日闇堕ちしてしまいました(この僕がですよ!)。

そんな恐ろしい映画体験をしたにもか関わらず、アンケートとSNSでは大絶賛した仕事人の自分が恐ろしくもありますが、映画サイトにも下の方にきちんと「この映画は重くて辛いですよ!」と書いてくれているのはとても良心的だと今となっては思っています(観る前に気づかなかったけど以下参照)。

サウナで人生の悩みや苦しみを吐露し号泣するフィンランドの男たち
“サウナのあるところ” には、「なにか」がある?


本作の登場人物は、フィンランドの名匠アキ・カウリスマキ監督作品で見られるような、シャイで寡黙と言われるフィンランドの男たち。そんな彼らが、身も心も裸になったサウナでは、自然と語り始める。離ればなれになった娘のこと、犯罪歴のある昔の自分のこと、かけがえのない“親友”のこと、先に逝ってしまった妻や子供のこと・・・心の奥底にずっとしまっていた人生の悩みや苦しみ、大切な想いを打ち明け、次々と号泣する。サウナはどんな人にでも平等な場であり、ロウリュ(蒸気)に包まれながら語られる14のエピソードは、重くて辛いものも多い。汗と一緒に涙を流して自分自身を取り戻し、語り合った者同士の絆を強くさせるような「なにか」が、サウナにはあることが伝わってくる。究極の癒しやデトックスの場としてだけでなく、日本の銭湯・温泉文化にも通じる、人とのつながりを感じる場としてのサウナの魅力を再発見する。

要は何が言いたいのかというと、フィンランド人のサウナは教会の「告解」に似ていたのです。

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カトリック教会において、洗礼後に犯した自罪を聖職者への告白を通して、その罪における神からの赦しと和解を得る信仰儀礼を「告解」といいますが、フィンランドの男たちはロウリュウの音に耳を傾けながら、自らの過ちや悩み、苦しみを吐露していきます。

この行為は日本では絶対ありません。サウナ室内で、知らない泣いているおっさんに「昨日嫁と別れてね…」といきなり声をかけられたら、誰でも「ヒェッ…」と嫌な汗が出まくり即退出すると思います。さすがに一緒に悲しみを分かち合うまではいかないでしょう。

つまり同じサウナでも、国民によってサウナに対する意識がまったく異なっていたのを発見したのでした。フィンランド人はサウナで「ととのう」ことを前提としていなかったのです。

麻雀とサウナは同じ

僕もそうなのですが、日本人はサウナに対して力点を「ととのう」に思い切り置いている傾向があります。何かあれば「あの施設はキマれるのか?」「水風呂が遠くてトリップできない」といった話ばかりが飛び交っている気がします。いや実際「ととのう」以外サウナに行く理由がないくらい、サウナトリップが日本国民は大好きなのではないでしょうか。

これはなぜなのか? 

僕は日本のサウナが独自の進化を遂げたからだと思っています。その現象は麻雀に似ているように思います。

麻雀は「中国人が発明し、日本人が面白くし、アメリカ人がシンプルにしたゲーム」と言われています。例えば中国麻雀にはなかったドラや立直を日本人が独自に設計し広めました。七対子(チートイツ、ニコニコ)はアメリカ人が作った簡単な役です。戦後に進駐軍が麻雀にのめり込み、アメリカ式のルールが広まったのは阿佐田哲也の麻雀小説を読めばよく理解できるでしょう。つまり麻雀は3カ国が知恵を絞った結果生まれたゲームだからこそ、抜群に面白いのだという逸話です。

同じように僕はこう考えています。日本のサウナは独自に進化を遂げたのだと。「フィンランド人がロウリュウを発明し、ドイツ人がアウフグース(熱波)で面白くし、日本人が水風呂でシンプルにキマれるようにした」のだと。

例えば、一般的にフィンランド人はアウフグースを嫌がります。人によっては「邪道」と思っている人がいるくらい、サウナ室でタオルを振り回す行為は野蛮なことのように思っている人が存在するのです。サウナ室内では情報を遮断し、ロウリュウの音に耳を澄まし、ゆっくりと寛ぐことが大事とされています。

また僕が勝手に設定した「日本三大入りにくいサウナ施設」のうちの一つ、フィンランド大使館内にあるサウナには「水風呂」がありません。その理由はフィンランドでは海や河川といった自然は国民の共有財産であり、自由に飛び込むことができるのです。だからこそ、水風呂を作るという概念が発展せず、冷水のシャワーを浴びることで汗を流し、クールダウンしています。

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*写真は筆者が実際に入らせて頂いた際に撮影したフィンランド大使館のシャワー室の様子

つまり「水風呂」を作り、「ととのう」という概念を作ったというのが日本の発明ではないか、という仮説を立てている訳です。ただし温浴の歴史は広く、サウナに紐づいた水風呂を作ったのはどこの国が始まりなのか。日本ではなくアジアのどこかではないか。「ととのう」という概念は日本だけのものなのか、などなど、まだまだ調べることは多くあり、一概には言い切れませんが、僕が思うには日本が独自にサウナを進化させたのは間違いないということなのです。サウナを漫画やドラマで展開しまくっている国は、全世界でも見たことがありません。

日本のサウナーはジャンキーよりもタチが悪い

続けて日本のサウナが独自の進化を遂げた理由がもう一つあるとすれば、それは日本が薬物(大麻やドラッグ類)に厳しいということが挙げられるでしょう。

薬物は自らを超越し、異次元へと向かう体験の一つとして知られています。日本は非常に厳しい法律が制定されていますが、太古から人間が本能的な探求行為の一つとして天然の幻覚剤を摂取してきたのは、メキシコのネイティブ・インディアンの宇宙観や世界観を知っていたりすれば、すんなりと理解できる話です。

日本は欧米と異なり、戦後に規制が厳しくなったからこそ、薬物ではなく、温浴が独自の進化を遂げたのではないか。

そんなことを思っていたある日、うちの会社に面接に来てくれた坂従くんが作っていたタトゥー専門誌「SUMI」に、菊地成孔先生がサウナについて書いている文章を見つけてシビれました。スゲー的を得た文章ですので、一部抜粋、紹介させて頂きます(坂従くんから転載許可を頂きました)。

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 問題は、まあ絶対そう云うジャンキー体質の人々が出てくるだろうな、とは思っていたけれども、サウナでどんだけ心拍数が上がったら水に飛び込むか、とか、どうやって飛び込むとか、飛び込んだらどうするかとか、何回往復するかとかを追求して「サ道」と称している人々の存在である。彼らに話を聞くと、「上手にやると体が整う」そうだ。どんなに上手にやっても絶対に整わない。高温室と水風呂を交互に移動すると、心肺と血管、脳や代謝や、場合によっては消化器官までもがある特殊な状態になる。それはものすごく気持ちが良い(あるいは悪い)。最初にサウナに入った時、水風呂に潜って息を吐いたら、表面だけキンキンに冷えた自分の吐く息がものすごく熱く、自分がドライヤーになった気分で面白かったが「こんな危険なことねえな」と思った。
 ヘロインとコカインを同時に等量やるスピードボール(致死性ナンバー1のイリーガルドラッグの使い方)や、昭和の、駅のキオスクで売っていたアンプル剤と一緒だ。あれにはアルコールとカフェインが等量入っていて、要するに、淹れたてのコーヒーにちょっとウイスキーやブランデーを垂らすのではなく、たまに、ドボドボドボとかいって、半分ぐらい入れてしまう豪傑がいるが(寒い国とか)、あれと同じで、血圧や心拍数が無茶苦茶になり、命の危機に瀕することで快楽を手に入れるのである。
 サウナは基本的に体に悪い。悪いからこそ気持ちが良いのである。風邪が治る、ぐらいはご愛嬌だが、老廃物が出るとか、ストレスで不全を起こしていた自律神経や副交感神経が生き生きと活動を始めるとかまことしやかに言う奴らは、ある意味ジャンキーよりもタチが悪い。覚せい剤のユーザーは、いくらシャキッとしたって、「健康に良い」とか「心身がこれで整った」なんて言わない。
「サウナと銭湯」(菊地成孔)より

「サウナは健康に良い」と発言する有識者が大勢の中、ここまでハッキリ「体に悪い」と書いてくれる菊地先生は男の中の男! 僕も本音ではそんな気がしていました。でもやめられないんです!!
つまり僕たちサウナーは「ジャンキーよりもタチが悪い」のです。自戒して引き続きそれぞれの「サ道」を生きていきましょう。


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