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日本のかわいいはキッチュに通ずる

こんにちは!現代アーティストのYoheyです。
私は今までにアートをするため海外留学をしていて、その後は東京モードを経てグラフィックデザイナー、イラストレーターに。今現在は現代アーティストとして、世界の本質を探究し、アートを通して優しい世界を作りたいと思っています。
Twitterにて発信もしております。
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日本のかわいいはキッチュに通ずる

私は日本の文化的価値を世界の中で考えた時に、禅や詫びさび、そしてかわいいがあるのではないかと思います。

今回のnoteでは現状私が思っていることを書き出していきます。
今後少しずつ様々な文献、また現代を生きる人類としての感覚をもってブラシュアップしていきますのでよろしくお願いします。

2024/01/13

私はキッチュという概念が未だに感覚的に理解できない

私はキッチュという概念が未だに感覚的に理解できません。

そこで仮説的に抽象化し考えてみると、おそらくキッチュは文化に根差した言語ではないか?
すなわち私たち日本人からするところの、かわいいに類似した感覚的言語なのではないかと思いました。

言語によって認識や感覚の違うKawaii

というのも英語的Kawaiiと日本人のカワイイは少し違っていて、辞書的にもCute=カワイイとされがちなように思います。
個人的な経験も踏まえると
海外で、日本人の感覚から感じるかわいいモノ、コト、人に対して
Cuteを使うと英語話者にとっては違和感のあるニュアンスで捉えられてしまうことが多かったように思います。

かわいいと現代アートとしての表現へ

以上を踏まえここで言いたいことは
私は現代アートとしての新しいプロジェクトの一環としてこのかわいいという日本が持つ文化的言語を意図的に用いて制作しようと試みています。
これは私の尊敬する村上隆さんが、日本のカルチャーを西洋のアートの文脈の中で芸術に昇華させた試みにも影響を受けています。

私にとってのここで言うかわいさとは、日本人である私が持つ曖昧だが文化的価値のある言語感覚であるかわいいを体現する、逆説的にいうと英語話者が私の作品を見ることで感覚的にKawaiiを体感できる状況、概念または作品になります。

日本語の「かわいい」やアメリカの「キッチュ」といった言葉は、それぞれ異なる文化や経験に根ざした感覚的な概念であり、直訳では表現しきれない独自のニュアンスが存在します。このような文化的感覚を理解し共有するためには、エスノロジー的な解釈が不可欠です。
日本人が「かわいい」と感じる要因には、環境的要因や教育などから得た知識が影響し、そこにはクオリア的な気づきが結びついています。感覚的な経験がこの感覚を形成し、個々の主観的なクオリアを介して表現されているのです。
アメリカの「キッチュ」を対比すると、土着的なニュアンスがあり、異なる文化において感覚的理解にはクオリアが必要です。この対比を通じて、異なる文化の感覚や表現に対する理解を深め、クオリア的な視点を促進できます。
これらの言葉を取り入れ、日本人アーティストである私自身の感覚をもとに「かわいい」をコンセプトにしたインスタレーションを制作する場合、これは現代アートとして未来に残したとき、未来の人が現在の言語に対する感覚や意識に対して理解するきっかけになる可能性があります。異なる文化の感覚や様々な意識をアートを通じて共有し、対話を促進することは、クオリア的な理解を豊かにするきっかけになるのです。

20240204 加筆

本当に最後まで読んでくださり、ありがとうございます!


作品についてはWEBサイトをチェック!

https://yohey-art.studio.site/

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01/13初回公開
02/04加筆

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