ガチャを引けば「天才」に勝てます
何かに熱意を注ぎ、高みを目指すにあたって、「才能」という壁にぶつかることはよく知られた話だ。才能の有無が問題なのではなく努力の量が問題なのであって、「才能、才能」と声高に叫ぶのはただの合理化だと言われることも多々あるが、才能の有無は大きな違いであることに間違いはない。
天才とは
少しの努力で一般人が何倍もの労力を費やし得られる能力を自分のものにしてしまう人を僕たちは天才と呼ぶ。一を聞いて十を知る人を天才だと思うのだ。
だが一を聞いただけで十も知ることなど、合理的に考えたらあり得るはずがない。
彼らは一般人が「一」を聞くところで「十」聞いているのだ。
もう少しかりやすく言おう
例えばテニスのサーブを習う際、指導者が足の置き位置とサーブ時の足の動きを説明しながら手本となるサーブを打つとする。
すると普通なら足の動きを目で追いながら手本を見て足の動きを覚えようと努めるだろうが、「天才」と呼ばれる人々は同時にボールのあげ方やラケットとボールのインパクト時における所作まで自然と頭に入れて吸収してしまうのだ。
天才の特徴を分析すると天才の欠点が見えてきた気がしませんか?
そう。彼らは一般人が一を聞く間に十を聞き十を知る。
だが
彼らは聞くことなしでは知り得ないのだ。
何を当たり前のことを言っているのだと思われるかも知れないが、この真理は天才に挑む凡人にとって重要な真理である。
ガチャを引く
体験の中で僕らは何かを学び取る。
それはまるでガチャを引くかのように。
すごい発見をすることもあれば、つまらない発見であるかもしれない。
天才は体験の中で無意識にガチャをいっぱい引いている。(皆は一回しか回さないのに)何気ない出来事から彼ら持ち前の感受性でガチャを引いているのだ。
凡人が天才に勝つには
視野を広げて一つの出来事からできるだけ多くのことを発見しようと努めるだけで、他の凡人とは一線を画すことができるだろう。
それこそnoteに記事を書こうと思う気持ちで友達の話に耳を傾けたり日々の講義を聞いたりするのは良い習慣だと思う。
だが、これでは天才には勝てないと感じるだろう。
天才に勝つためには
上記の心持ちを前提に多くのことに挑戦することが重要だ。
その理由は二つある。
一つには、単純に多くの体験の中に自分の才能を見出す分野が見つかるかもしれないということだ。メッシもサッカーに出会ったから神と呼ばれるサッカープレイヤーになったのだ。
凡才が天才になるというわけだ(普通の天才と心持ちが違うので普通の天才に勝てる)
だがいろんなことに挑戦しても自分の才能を見出せないかもしれない。(大抵そうだろう)しかし気を落とす必要はない。
あなたはすでに天才にないものを持っているからだ。
先ほど天才も聞くことなしでは知り得ないと強く強調した。
あなたが特定の分野で素晴らしい業績をあげられなくとも、多くのことに挑戦する中で天才が引き得ないガチャも多く引いていることだろう。
それがあなたの大きな強みだ。
例えばカンボジアにボランティアしに行かなければカンボジアでボランティアしたら引くことができるガチャは引けない。ホームレスの方々に炊き出しをすることで引けるガチャは実際に炊き出しに行かなくれば引けない。
それこそ上のような刺激的な体験なら確実に多くのガチャを引くことができる
おわりに
天才がやらないことをやる
ガチャのための課金を惜しまずガチャを引き続ければ自己肯定感の低かった自分はもういなくなるだろう。凡才の僕も天才に勝り、天才たちを導けるリーダーになれるよう挑戦を続けたい。
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