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12 可視化

怪我から一ヶ月が経ち、MRI検査を受けにいってきた。

検査中は長時間スマホがさわれないので、目をつぶってなんとか寝ようと試みた。が、寝れなかったので、天井を眺めながらこの一ヶ月を振り返ってみることにした。

怪我をしてから、以前よりもずっと周りの人から応援してもらえているような気がしている。これは僕が感じた大きな変化だった。

松葉杖で歩いていると声をかけられて、「いつも応援してます。怪我が良くなることを祈ってます」と言っていただけたり、飲食店に行くと、コースターにメッセージを書いて渡してもらうこともあった。

風邪を引いて高熱を出した時に急にお母さんが優しく感じる現象に似ているなと最初は思ったりしていた。

でも良く考えてみると全然違っていたことに気づいた。

人はあたりまえになると、それが見えなくなってしまう生き物であることを思い出した。

父を亡くしたときに、父のありがたみと父の存在にどれだけ支えられていたかということに気づいた。

歩くことがこれまではあたりまえだった。
でも怪我をして、歩けることはあたりまえじゃなかったことに気づいた。

そして今回、自分がこれまでどれだけ応援してもらっていたのか、そのことがどれほど幸せだったのかを改めて実感した。

怪我を機に他にもたくさんのことに気づくことができた。


十分にわかっていたつもりだったけど、

どれほど素敵な友達を持っていたのか。


どれほど頼もしい仲間がいたのか。


どれほど心強いブースターに応援されていたのか。


スポーツの垣根を越えて、応援されていたことにも。

でもきっとこれは怪我をしてわかりやすく可視化されただけで、元からそこに存在していたものばかりだと思う。あたりまえになりすぎて、その存在が見えなくなっていることがたくさんあったのかもしれない。

あたりまえは決してあたりまえではないし、失って気づくことがたくさんある。

気を抜けばあたりまえの意識の下に潜んでしまう大切なものを、目を凝らして確認していくことが大事なんだと思う。

そんなことを考えていたら、いつの間にか眠りに落ちていた。

10分ほど寝ていたのだろうか。大きな寝ピク(寝ている最中にピクってなること)で目が覚めると、スタッフが入ってきて、「足が動いてしまったのでもう一度やります。」と言いながらMRIを起動させた。

その後もすぐにまた寝てしまったので、はじめからやり直しになったのか、寝ピクの続きからになったのかは、外で待っているがんちゃん(石坂トレーナー)なら知っているはずだった。

がんちゃんの表情を見て判断しようと思ったが、僕には読み取れなかった。

よくよく聞いてみると、がんちゃんはやむを得ない理由で、その瞬間にはいなかったらしい。がんちゃんは知らなかったのだから、表情から読み取れるはずもない。

ここで僕は、存在するから可視化できるのであって、元から存在しないものは、可視化できないことも学んだ。

そして怪我の経過に関しては順調に良くはなっていっているとのことでした。


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