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フランクフルトの渡し船

2023年6月14日。
マイン川に架かる橋はフランクフルトのビル街の絶好の撮影ポイントである。その数は欧州中央銀行のやや川上にあるオストハーフェン橋(東港橋)から中央駅に南側にあるフリーデンスブリュッケ(平和橋)の間だけで10本に上る。この区間の上流と下流にあるものも含めると20本を優に超える橋が市内にあるから驚きである。

橋をごく当たり前のように利用できるのはしかし、フランクフルト市民の特権かもしれない。川に沿って自転車を走らせ市外に出ると、橋が極端に少なくなる。市の西端からライン川への合流地点であるマインシュピッツェまでの本数は計8本だ。そのうちの6本はアウトバーン、鉄道、閘門のどれかである。局地的な交通に特化したものは最下流のコストハイマー橋と、約10キロ上流にあるオペル橋の2本に過ぎない。ちなみに、オペル橋は大水で渡し船が運行できない場合でもリュッセルスハイムにあるオペルの工場に対岸に住む工員が出社できるようにする目的で建設されたものである。

歴史をさかのぼると、フランクフルトも19世紀後半の産業革命までは実は1本しかなかった。中世以来の「アルテ・ブリュッケ」である。人口が急増し、橋がないと不便なことから、次々と建造されたのである。
橋の存在が当たり前でない時代は浅瀬を歩いて渡るか、渡し船を使うのが一般的だった。フランクフルトも「フルト」という語尾が示すように、元をたどれば浅瀬の渡河地点に設置された都市である。

マイン川を現在、歩いて渡る人はさすがにいないだろうが、渡し船は残っている。主に橋のない地域である。だが、なんとフランクフルトにも1カ所あるのだ。旧市街が残る市西部のヘキスト地区と豊かな自然が残る南部のシュヴァンハイム地区を結ぶ区間で運行している。歴史は古く、400年前の1623年まで遡る。渡し場の数百メートル下流にロイナ橋という立派な橋が作られたことから1990年代に廃止される予定だったが、市民の反対運動を受けて存続となった。

この渡し場が今年、存続の危機に陥った。コロナ禍で乗客が以前の年5万人から激減したことが最大の原因だ。感染状況が改善したにもかかわらず昨年も8,000人に過ぎなかった。燃料費の高騰もあり経営は限界に達し、経営者兼船長のスフェン・ユングハウスさんは「12時5分前どころではない」窮状を市長に訴えた。
マイク・ヨーゼフ市長はこれを受け、助成増額を速やかに決定した。ヘキストに本社を置くエネルギー会社ジュヴァークも支援額を引き上げる。ヨーゼフ氏はヘキストの渡し船を文化財だとしたうえで、「この伝統を我々は守らなければならない」と明言した。

渡し船には元市長に因んだ「ヴァルター・コルプ号」という名前がある。シュヴァンハイム側の小さな造船所シュペックで建造されたものだ。屈曲するマイン川の両岸を行き来するのどかな光景を晴れた日にヘキスト城の小高い公園から眺めるのは気持ちが良い。
運賃は1回1.5ユーロ(片道)である。川向こうのシュヴァンハイムには貴重な砂丘地帯と大きな森・草地がある。週末や何かの折に一度、乗ってみても損はしないだろう。

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