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ドイツの城へサイクリング

2023年8月23日。
8月中旬の良く晴れた日にフランクフルト北方のミュンツェンベルクにある城址まで自転車で行ってきた。12世紀半ばに建てられたもので、中世盛期のドイツの城塞(ブルク)としては最も重要なものの1つと言われている。公共放送ZDFのドキュメント番組「テラX」で『ミュンツェンベルク城のある1日 1218年』という作品を観て、是非行きたいと思っていた。その筋の用語でベルクフリートと呼ばれる塔2本が麦畑の起伏の彼方に浮かび上がってきたときの感動は筆舌に尽くし難い。ちょっとした巡礼者の気分と言えるかもしれない。良い写真も撮れたので大満足である。


ミュンツェンベルク城

とはいえ、楽な工程では決してなかった。往復120キロである。ミュンツェンベルクのあるヴェッテラウ地方は山に挟まれた低地であるものの、起伏に富んだ丘陵地帯であるためアップダウンを繰り返すうちに疲れが溜まってくる。案の定、帰り道の途中から脚がつりそうになった。やむを得ずギアを何段も落とした。家族連れに抜かれるほどの超鈍速であり、思わず苦笑いしてしまった。

そこまでして自転車にこだわる必要はないだろうと言われそうだが、自転車ならではの魅力は大きいのである。

自動車や鉄道と異なり、ほとんどすべての道を通ることができるし、気になるものを見つければどこでもすぐに止まって確かめることができる。また、ゆっくり走れば景色を満喫できるし、発見も多い。なぜここに幹線道路や集落・都市ができたのだろうかなどと想像力が刺激され、あれこれ調べてみたくなる。ささやかとはいえ、そのようにして頭の中に活きた知のネットワークが形成されていくことは楽しい。

先日、歴史家・坂井栄八郎氏の名著『ゲーテとその時代』をなんとはなしに読み返していたら、ゲーテが1774年11月初頭、ザクセン・ワイマール・アイゼナハ公国のカール・アウグスト大公が差し回した馬車でフランクフルトからワイマールに向かったという記述に出くわした。ほとんどの人は気に留めないだろうが、私の心は高鳴った。

馬車はフランクフルト北東のベルゲン村(現在は市の一部)を通ったはずだという確信に近い推測がにわかに思い浮かんだのである。ベルゲンを含むベルガー・リュッケンという高台のなだらかな尾根には、フランクフルトからフルダ経由で独中部のエアフルト、東部のライプチヒに至る「王の道(Via Regina)」という中世・近世のメイン街道が走っていた(正確に言えば西はスペインのサンチャゴデコンポステーラ、東はキーウとモスクワ、北はシュチェチン、南はローマに至る汎欧州の街道網である)。道幅はせいぜい3~4メートル程度だろう。現在はサイクリングロードとなっている。

自転車を乗り始めることがなければ、これらのことを知ることもなかったであろう。自転車は地域を知り、地域がより広い世界とつながっていること(いたこと)をおぼろげながらも把握するための起点となる貴重な道具だと思っている。

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