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#迷い #選択 #決断

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迷える子羊。
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#社会人

始まりはいつも、憂鬱な月曜日だった

憂鬱から始まった月曜日、淡い期待を抱いた火曜日、期待は幻想だった水曜日、振り出しに戻った木曜日、何とか乗り切れた金曜日、可もなく不可もない一週間、平均点をキープする一年間、まんざらでもない人生。 いつだって、始まりは憂鬱な月曜日だった。 週末の余韻から抜け出せなかった学生時代の月曜日、定例の会議が怖かった社会人時代の月曜日、仕事も何もせず未来が見えなかった時の月曜日。 これまでの人生、月曜日の思い出はほとんど憂鬱とともにある。 「朝目覚めたら体調不良になってないかな」

何かが始まると、何かが終わる

「始まり」は「終わり」なんだよな、と夏の終わりだからか、やけに考えてしまう。 社会人の始まりは「子ども」の終わりな気がするし、結婚生活の始まりは独身生活の終わりでもある。 noteで文章を書き始めると、“文章を書いていなかった自分”がそこで終わってしまう。 名作映画も見始めてしまえば、それを知らなかった自分が終わってしまう。 「記憶を消して、もう一度観たい」なんて表現があるけれど、名作や良いものに触れると、本当にそう感じる。 あれをまだ知らなかった自分、知らずに初め

選択肢は意外と限られている

人生、迷いの連続で嫌になってしまうけれど、幾度迷えど何やかんや乗り越えられている。 それは、選択肢は意外と限られているから、かもしれない。 「選択肢は意外と限られている」との前提を持って生きることは、諦めとも言えるのだけど、目の前にある選択肢の中からしか決断はできない。 何かに悩んでいる時、 ・目の前にある選択肢に納得できず新たな選択肢を模索している状態 ・目の前にある選択肢の中からどれを選ぼうか吟味している状態 ・そもそも目の前にどんな選択肢があるか分からない状態

本番になった途端、分からない問題をとばすのが怖くなるやつ

分からない問題に時間を取られてしまった結果他の問題が解けず、思うような点数が取れなかった。 本番ならではの緊張感がそうさせたのかもしれないけれど、一問をとばすことができないのは、心のどこかで「満点」を捨て切れなかったからだと思う。 そもそも、満点を取ることが目標だったっけ。 目標は「目標点数を取ること」だったはずで、その目標点数は、決して満点ではなかったはず。 だから、一問くらいとばしたって平気だし、本番どうしても分からない問題が出題されることなんてよくある話だ。過去

やりたくないことを、やらない

「やりたいことをやる」のは難しい。 だから、やりたいことをやっている人が眩しく見えるし、嫉妬もする。 やりたいことはそう簡単に見つからないし、やりたいことがあってもそれをやるのが難しい場合もある。 そう考えると、やりたいことをやる難易度はかなり高い。 けれど、いわゆる“やりたいことをやっている人”が、実は“やりたくないことをやらなかった結果、やりたいことをやれている”のだとしたら、何だか希望が持てる。 要するに、やりたいことを見つけるという足し算ではなく、やりたくな

「明日こそ」で過ぎ去った、数々の明日

「明日こそ」 そう決意して、一体何度の明日が過ぎ去っていったのだろう。 それは本当に明日じゃないとできないことだったのだろうか。 今日それに取り組むことは本当にできなかったのだろうか。 そんな後悔と嫌悪感も明日にパスできれば少しは楽だけれど、あいにくそうはいかない。 「明日」に夢を見過ぎなのだ。 今日できることを明日にやろうとする人間が、明日劇的に何か変化しているなんて、そんな淡い期待をするなんて、脳内のお花畑が満開過ぎる。 明日やろうは馬鹿やろう。 絶対に明

成長とかキャリアアップとか、一旦忘れたい

成長するために。選択肢を増やすために。 僕らはいつまで口にするのだろうか。 「何歳になっても貪欲に成長の機会を求めているんです」としておきたいけれど、成長した先、選択肢を増やした先に何を見ているのだろう。 何も見ていなかったりして。 何も見えていないから、その言い訳として、成長や選択肢という言葉を好んで使っているのかもしれない。 もちろん、逆算で人生を生きていくことが正解とは限らないから、積み上げの考え方で、まずは成長を追い求めるのも決して間違いではない。 けれど

消費だけでは物足りなくなってしまう

SNSを眺めたり、YouTubeで動画を観たり、好きなアーティストのライブへ行ったり、日頃たくさんの消費をしている。 今はインターネット上でのコンテンツが増えたので、消費活動のほとんどをインターネット上で行っている人が多いだろう。 自分自身も例に漏れずそうなのだけれど、最近消費に疲れたというか、純粋な気持ちで消費を楽しめなくなっている気がしている。 好きなクリエイターやアーティストに対して、一ファンとしての気持ちよりも尊敬の気持ちの方が強くなってきているし、休日のほとん

人生について考えてない時が一番良い感じ

昔は、縁石を見つけたら、両手を広げてバランスを取りながら歩いてみたし、飛行機雲を見つけたら何となくラッキーな気持ちになったけれど、いつからか縁石を歩くこともなくなり、空を見上げることも少なくなってしまった。 子どもの頃は後先のことなんて何も考えていなかったのに、一体いつからこんなに先のことばかり憂うようになってしまったのだろう。あれこれ余計なことばかり考えてしまうのだろう。 自分と向き合うこと、人生について考えること、それらを定期的に行うことは大事なんだろうけれど、とても