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#私

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等身大の自分。
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#社会人

社会人5年目の就活。僕は、就活をしたことがない

僕は就活をしたことがない。 大学を中退しているから、早々に新卒採用ルートから外れてしまった。 就活をしなかったおかげで、いや、就活をしなかったせいでもあるのだけど、それほど自分自身と向き合うことなく、言わば成り行きで生きてきた。 そんな人生をどこか「自分らしくて良いな」と思う反面、「このまま成り行きで生きてて良いのかな」とモヤモヤを抱えていた。自分と真正面から向き合うまとまった時間が必要な気がした。 あれから1年。 この1年間、人生で一番自分と向き合う時間を確保でき

「もはや何したらいいか分からん」が一番苦しい

「挫折」という字を見る度に、これらの漢字・用語を考えた人はすごいなぁと感心する。 心が折れてしまう様子が、字から滲み出ている。 - 「今までで一番の挫折経験を教えてください」 採用を担当していた時、初対面の人にズケズケと聞いていた。 中学まではレギュラーだったのに高校のレベルについていけなかった、受験で志望校に合格できなかった、何度挑戦しても賞を獲れなかった。 誰でも、何かしらの挫折経験がある。 自分自身の挫折経験は何だろう。 - 学生時代、会社の創業に参画

何者かになりたくて、マルチ商法に片足突っ込んだ話

大学1年性の時、ぼくは典型的な意識高い系だった。 ただ、幸いにも、「意識高い“系”なだけではダサい」という感覚は持っていた。 「何か行動せねば。しかも周りの誰もやっていないような何かを」 そう思いながらも、大学生当時の自分にはバイトに明け暮れる以外の選択肢しか分からず、悶々とした日々を過ごしていた。 そんな折、同級生から「ネットビジネス興味ない?」とのメッセージが。 今だったら迷わず未読無視しているのだが、当時はその辺のリテラシーは全く無く、むしろ「待ってました!」

友だちと会うのに、理由なんていらなかった

いつから、目的とか意図とか理由とか、そういうものがないと重い腰を上げられなくなってしまったのだろう。 こうやって何でもかんでも意味を見出そうとするのが、大人になるということなのだろうか。 だとしたら、ぼくは子どもの面影を残すことなく、大人になってしまったのかもしれない。 「金曜日暇?」 友だちからの誘い。 何の件だろう、どうしてこのタイミングなんだろう。 「ネットビジネスの勧誘?笑」 さりげなく、ジャブを打ってみる。 「そんなわけw」と返信が来て、すかさず「ど

意思をなくした、あの時の自分へ

会議室で一人、抜け殻のようになっていた。 「自分は一体、何のために働いているんだ」 誰のために、どこを向いて目の前の仕事をしているのか、分からなくなった。 クライアントと会社に挟まれて、どちらの意見も大切にしたくて、無下にしたくなくて、いつしか自分の意思はどこかへ行ってしまった。 「何も考えてないよね」 当時は理解できなかったその言葉の意味も今なら少し分かる気がする。 「考える」とは、自分の意思を持つことだ。 決して、目的やメリットを整理することではない。それら

没頭できない、没頭しない

何かに没頭する、そんな感覚がいまだに分からない。 「ハマったことは何ですか?」 聞かれてみると、答えに窮する。 無いわけではない。けれど、“ハマる”という言葉で表せるほど熱中したものは無いかもしれない。 単に、継続した期間の長さが長いものを「ハマった」とするなら、いくつか心当たりがある。 けれど、何となく、70%程度のハマり具合という感覚。 他人の「ハマる」、「没頭する」という感覚は、言葉以外で知ることはできない。 ライブへ行ったりグッズを購入するほど、芸能人や

今はまだ、まどろみの中で

「今度、ご飯でも行こう」 一体、今ぼくは何件のご飯の予定を保留しているのだろう。 街でばったり会った時の別れのセリフを、どうしていつもこれにしてしまうんだろう。 社交辞令で言っているわけではない、と言えば嘘になるけれど、100%社交辞令とは思っていない。本当にご飯に行きたい気持ちはある。 それでも行かない、いやその約束を取りつけない理由はきっかけが無いからでも、誘う勇気がないからでもない。 どこか、会うことに後ろめたさがあるからだ。きっと。 過去お世話になった人、

何でもこなせると、何者にもなれない

自分は比較的何でも卒なくできる方だと思う。 選手育成系のゲーム(パワプロ君とか)で言うところの、1つや2つ「B」や「D」はあるにしても限りなく「オールC」に近い、そんな選手だ。 経験のないことでも、少しのインプットでそこそこできる。 ただ、“そこそこ”しかできない。 よく言えば、バランスの取れているタイプであり、かっこ良く言えばジェネラリストだが、何かに秀でているわけではなく、スペシャリストと言うには程遠い。 昔から、何でもそこそこできていた。 高校も大学も偏差値

テニスを教えない、テニス部の先生

「恩師」と呼べる先生はいない。 それは別に先生が悪いわけではなく、自分が先生とよく話すような生徒ではなかったし、手のかかる生徒でもなかったから、先生との思い出深いエピソードが特にない、という意味である。 今まで僕と関わった先生に、「思い出深い生徒はいますか?」と聞いて回っても、きっと自分の名前は挙がらないと思う。 教員生活を何年も送っている先生にとって「生徒」は何百・何千人といるわけで、自分なんてOne of themに過ぎないけれど、生徒にとっての先生はそれほど多くな

文系の僕が唯一学んだ「恋愛工学」

僕が唯一学んだ学問といえば、「恋愛工学」かもしれない。 もちろん、大学時代「恋愛工学部」に所属していたわけではないし、そのような学問は実態として存在しているものではないけれど、大学に1年間しか通っていない自分からすると、唯一まともに向き合った学問がそれだ。 知り合いから面白いと紹介されて読むことになった、藤沢数希さんの『ぼくは愛を証明しようと思う。』という本(以下、ぼく愛)。 読んだのはもう4年前くらいで、正直内容はあまり覚えていない。 誠実でまじめな主人公が恋愛工学