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#私

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等身大の自分。
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10年経っても忘れられない先生の一言

僕には、恩師と呼べるほど特段親交のあった先生や、気軽に連絡したり会いに行けたりする関係性の先生がいない。 ただ、先生にとっては大勢いる生徒でも、生徒にとってはたった一人の先生だから、案外生徒は先生の言ったことを覚えているものだ。 「言った側は覚えていないかもしれないが、言われた側は覚えている」 ネガティブな意味合いで使われることが多いけれど、今回はポジティブな意味を持たせたい。 テニス部の顧問だった先生から言われた一言。 もちろん、技術的な指導という名目でそう言った

頑張るというか、"足掻いてる"って感じ

最近は、「頑張る」とか「目標に向かって突き進む」という感覚よりも、「足掻く」という感覚の方がしっくり来る。 一般的にはまだまだその年齢ではないと思いつつも、自分くらいの年齢になると、嫌でも少しずつ分かってくる。 「自分はこっちかな」とラベルを貼りたくなる気持ちをグッと堪えて、「自分はまだまだやれる、これからだ」という思いで、ジャッジをしない。 「自分はこうだ」と決めてしまったら、しばらくそこから抜け出せない気がするから。 それに「まだまだやれる」という自覚がある。

年末だけが、唯一未来にワクワクできる

2021年の一年間で痛いほど分かったのは、「未来にワクワクできない」ということだった。 将来どうなりたいとか、こういう未来を実現したいとか、先のことを考えたり明確にすることに対して、あまり前向きになれなかった。 無意識のうちに未来を考えることを避けていたのかもしれないし、未来を考えるよりも、過去を嘆いたり今に一喜一憂する方が、性格に合っているのかもしれない。 未来について考えたときに、何も思い浮かばなかったりワクワクできないことが怖かったから、というのも理由の一つだろう

「そろそろ本気出す」って、いつまでも言っていたい

自分の周りに、一人や二人はいるはずだ。 「来年から本気出すわ」 「そろそろ本気出そうと思ってるんだよね」 あるいは、自分自身がその一人かもしれない。 この言葉の信憑性はきっと、「行けたら行く」や「前向きに検討します」と同じくらいなのだろう。 言われた側は「やれやれ」という感覚かもしれないが、実は、言っている当の本人はけっこう本気なのだ。本気を出そうとしていることに対して「本気」なだけ、だけれど。 僕自身もどちらかと言えば、“言っている側”だ。 特に、この一年間は各

“小ボケ”のない世界なんてつまらない

2021年ももうすぐ終わろうとしているけれど、この1年間何を得て、何を失ったのだろうか。 クリスマスの予感がすると、嫌でもそんなことを考えてしまう。 この1年間で得たもの、失ったもの、たくさんあるけれど、 得たもの 一人の時間、自分と向き合う時間 失ったもの 人との他愛もないコミュニケーション 簡単にまとめるとこんな感じ。 得たもの以上に、「人との他愛もないコミュニケーション」を失ったことの方が、自分にとっては重大事件だ。 振り返ると、本当に減ったと感じる。

「感覚で生きてる」を免罪符にしたかった

「あいつは感覚で生きてるタイプだから」 いつから、人間は「感覚人間」と「論理人間」の2種類に分けられるようになったのだろうか。 血液型もそうだけど、人間をそんなにはっきりと分けるなんて無茶だ。片手で数えられる程度のタイプしかないならば、もっとお互い理解し合って平和な世の中になっているはずだから。 そんな愚痴はさておき、誰もが、感覚人間で論理人間だ。 ただ、感覚人間が論理人間の要素を多く取り入れることはできても、論理人間が感覚人間の要素を取り入れていくことは難しいのでは

待ちわびた夕焼け、日曜日のセンチメンタル

久しぶりに夕焼けを見た。 夕焼けを見る暇もないくらい目まぐるしい日々を送っている、なんてカッコつけたいところだけれど、あいにく程々の余裕がある。 空を見上げる気持ちになれないのは、自分の将来とか明日とか、未来に対して前向きな気持ちになれないからだろうか。 上だけを見ていた1年前、まっすぐ先だけを見つめていた1年前。 1年後、目の前すらぼやけて見えるのはどうしてだろうか。 そんな悶々とした思いに蓋をしようと、深呼吸してみる。 少し顔を上げて息を吸い込もうとすると、視

社会人5年目の就活。僕は、就活をしたことがない

僕は就活をしたことがない。 大学を中退しているから、早々に新卒採用ルートから外れてしまった。 就活をしなかったおかげで、いや、就活をしなかったせいでもあるのだけど、それほど自分自身と向き合うことなく、言わば成り行きで生きてきた。 そんな人生をどこか「自分らしくて良いな」と思う反面、「このまま成り行きで生きてて良いのかな」とモヤモヤを抱えていた。自分と真正面から向き合うまとまった時間が必要な気がした。 あれから1年。 この1年間、人生で一番自分と向き合う時間を確保でき

やりたいことではなく、やるべきことをやりたい

この1年間、自分の中ではかなりゆったりした生活を送ってきたつもりだ。 心身ともに余裕のある生活を送ってきたけれど、正直なところ、充実感はない。 自分にとっての「充実」は、自由な時間を自由に過ごすことではなかったみたいだ。 やりたいことがない、これといった趣味もない、自由な時間の過ごし方が分からない、そんな人にとって「自由」は「不自由」でしかない。 「自由は、かえって不自由を生む」とはよく言ったもので、どうやら自由の中の不自由を生きていたらしい。 やりたいことではなく

だめだ、やっぱカッコつけちゃってる

相変わらず、何も変わってないよ。 学生時代、何者かになりたくてネットビジネスに片足突っ込んだ時もそうだし、そのネットビジネスでさえ「俺はお金を稼ぐことが目的なんじゃない」なんて本質に気づいたフリして、少しかじったくらいで辞めてしまって。 馬鹿になったつもりでやり切っている奴の方がよっぽどカッコいい。 お前はまだ、がむしゃらになれてない。 ネットビジネスを始めてみたり、塾講師のアルバイトにほとんどの時間を捧げるようになってもなお、何者かになりたくてしょうがなかった自分は、

「大学へ行く意味」とか「自己投資」という言葉が気になりだしたら読むnote

モヤモヤ企画に、これまた考えさせられるモヤモヤが。 葛藤していることは次の通りです。 4年間と240万円を借金(奨学金)してまで費やして自分の通っているレベルの国立大学を卒業するのは良い選択なのでしょうか。あまりそう思えなくて迷っています。 おがたのよはくさんがもし今から4年と240万円を注ぎ込むならどんな自己投資をしますか? (りょーや @大学生パーソナルライターさん) 大学生なら、誰もが一度は通る道なのかもしれない。 怠惰な同級生、片や、大学生ながら大人顔負けの活

小さな違和感や変化からはじまる

noteで文章を書くようになったおかげ(せい)で、何でも文章にしようとする習慣が身についた。 これから書く内容はその代表格のようなものだ。 - 3ヶ月前に、イヤホンを変えた。 元々AirPodsを2年半ほど使っていたのだが、本体の劣化と好奇心から、別メーカーのイヤホンに変えることに。 音質は同じで、新しく買った方にはノイズキャンセリング機能がついていた。 専用のアプリもあり、イコライザやノイズキャンセリングの種類をカスタマイズできたりと、性能面ではAirPodsを

もがいていた時、いつも背中を押してくれた3曲

メロディが流れた途端、あの頃を思い出す。 音楽にはそんな不思議な力がある。 聴くだけで、学生時代の青春を懐かしめたり、苦しかったあの時が思い出されたり、人生が大きく動き出した時の感覚が蘇ったりする。 音楽がものすごく好きなわけではないし、音楽に対して特別な思い入れがあるわけでもない。 けれど、振り返ってみると、いつも隣に音楽があった。 思い出は、いつも音楽とともに記録されていた気がする。 - この先どんな人生を歩んでいけば良いのか、正解も不正解も自分の気持ちも、

万引きを疑われて、ブチギレた

という夢をみた。 - fin - おふざけはさておき、普段「夢」の内容なんてほとんど覚えていないけれど、あまりにも印象的だったので文章として残しておく。 ぼくは、これまでの人生でブチギレたことがない。 何なら、キレたことさえない。 キレたい心情になったことは数多あるけれど、お利口な人間に育ててもらったおかげで、今のところキレずに済んでいる。 これまで一度だけ本当にキレたい時があって、以前電車で理不尽に絡まれたことがあるのだが、その時は何とか自分の中のゆいPさんを抑