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思ったよりもずっと、基礎からやり直したい不安

生物学研究をしているくせに、その中で使われる概念をたびたび誤って理解している。

たとえば「進化」の定義とは、
「ゲノム配列に変異が新たに入り、
 新しい性質を獲得して、
 そういう個体が増えていくこと」
だと理解していた。

もっといえば、ちゃんと考えない状態でとっさに聞かれたら、
進化とは「新しい種」が生まれること、と答えてしまうだろう。

例えば、馬とロバはお互いに種が異なる。
クラシカルな定義では、種が異なると、掛け合わせて生まれた子孫に生殖能力がなくなる。
馬とロバを掛け合わせると「ラバ」が生まれるのはわりと有名だと思う。
このラバは子供を作ることができない。
現代的な理解では、交配する親同士のゲノム配列がある一定程度以上ちがってしまうと、うまく子供が育たなかったり、その子どもたちがさらに子供をつくることができない。
最初は同じ種だったものの中に、変異が蓄積していき少しずつゲノム配列が変化し、やがて同じ種同士なのに個体の組み合わせによっては交配に支障をきたすようになる。
交配できない個体同士は、ゲノム配列が混ざりあった子孫をつくることがでいないから、それはもう同じ生物ではなく別の種と考えるべきだ、ということだ。

すくなくとも哺乳類の場合、こうした変化には何万年も何十万年もかかる。
だから進化の過程は、化石などからしか直接的な証拠が得られないものだと思っていた。
しかしもう少し小さな変化も進化と呼ぶらしい。

たとえば、蛾の翅(はね)の色の変化。
その界隈ではよく知られている例らしい。
詳細は思い出せないがイギリスでの研究だったと思う。
工業化が進むにつれ煤(すす)の付着した木などに擬態できるよう、ある種の蛾の、翅の色が白から黒に変化した。
そして驚くべきことに、環境問題が叫ばれ工場からの排煙が減少すると、翅の色はふたたび白色に戻っていった。
この間、100年にも満たない。
ちょっとややこしい話になるかもしれないが、最初、翅の色に関する遺伝子に変異が入って、偶然、黒い個体が生まれたと考えられている。
黒い翅の個体はよりうまく擬態して、鳥などの捕食者から逃れられるので生存率が高い。
そうすると何世代後には、黒い翅の個体の割合が増える。
ひとつの種の蛾の中に、白い翅の遺伝子を持つ個体と、黒いそれを持つ個体が混在していて、生存率の差により黒い翅の個体が増えていく、というわけだ。

最初に翅の色の遺伝子に変異が入ったのが「進化」であるのはすんなり受け入れられた。
しかし、どうやら黒から白にもどったときも進化らしい。
黒が優勢を占めたとき、その種類の蛾の中には、白いタイプの遺伝子と黒いタイプの遺伝子の両方があったはずだ。
そして環境によって、それぞれのタイプが占める割合が変化した。
こうした、「遺伝子のタイプの保有率」が変化することも進化と呼ぶ。
既存の遺伝子に変異が入り、新たなタイプの遺伝子が誕生することは進化の定義に必須ではないらしい。
もちろん、長い時間をかけネズミと猿と人間が分かれていくような進化には、当然、遺伝子の変異、ゲノム配列の変更は必要なのだが、「進化」のミニマルな定義には含まれていない。

このことを知ってからしばしの間、「本当に、遺伝学や進化学の専門家の間でコンセンサスがとれているのだろうか」と疑った。
しかしまあ、この分野に関してちゃんと教科書で勉強せず、研究生活を送る中でなんとなく耳にした情報からしか学んでこなかった自分が悪いのだろう。
進化だけではなく、生物系の他の分野でもこういった勘違いが自分の中にはたくさんあるにちがいない。
そうなるともう、生物研究について話すことへの不安が増すばかりだ。
この不安はいつになっても消えない。
ずっと抱えたまま進むしかないのだと思う。


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