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ブレイクスルーのある景色

20年くらい前、海外サッカーを見ていた。
ベッカムとかジダンとかが活躍していた頃だ。
生活する環境が変わりケーブルテレビ的なものが見れなくなったのでそのままフェードアウトして今にいたる。
YouTubeでサッカーのハイライト動画を見ても、選手はほとんど入れ替わっていて、知っているのはメッシとかクリスティアーノ・ロナウドとか、長年活躍している超一流選手だけだ。
トップリーグで活躍している選手のプレーは相変わらずすごくて、知らない選手ばかりが立っているフィールドの光景は、ずいぶんと変わってしまった。
似ているようで違う、この光景に既視感を覚える。
しばらく考えた結果、科学ニュースや最新の論文を見ていて時おり湧き上がる感覚と同じだった。

ここ数ヶ月はとくに新しい科学ニュースを積極的に集めていて、自分が専門としてきたエピジェネティクスという分野以外にも、生物・医学関係の論文とか記事とかを読むようになった。
自分のもっていたイメージより、神経科学とか、がん研究とかも、すごく進歩していて、昔、大学院生の頃に聞いた話とは全然ちがった。
一般向けのニュースになるようなメッシクラスの研究成果だけじゃなく、それ以外にも、それぞれの分野で重要な研究とか技術がたくさん生み出されている。

頭に電極を差し込んでそこから電気を流すと、うつ病の症状が良くなる。
そういう方法で治療しようとする試みはなんとなく聞いたことがあった。
最近では、より実現に近づけるため、うつ病で現われる脳波のパターンをAIで解析しているらしい。
自動的に脳波を解析して、症状が悪化しそうな兆候があると、自動的に電気刺激を与える技術ができつつある。
電気刺激をうけた患者は、鬱々した気分が吹っ飛び、爽快になる。

やっていることは分かる。
今は機械学習(AIとか深層学習)の何回目かの全盛期なので、脳波のパターンと気分の関係を見つけ出そうというのは、いかにもやりそうだ。
AIはパターンを見つけて分類することに長けている。
というか、世に出回っているAIのほとんどはそれしかしてない。
刺激用の電極と、脳波を解析するAIをまとめて頭の中(頭蓋骨の内側)に設置して、継続的に治療できるよう研究中らしい。

原理はわかるけれど、自分が思っていた景色よりずっと前に進んでいた。
攻殻機動隊のように記憶を精密に操作することはまだ原理的にも無理だけれど、気分を変えることくらいは現実味を帯びてきた。

今の生命科学とか医学は、21世紀に入ってから現れた二つの技術革新によって、新しい光景を見せてくれるようになった。
一つは次世代シーケンシング技術で、それまでは何年もかかって人間ひとり分のゲノムDNAを調べていたのに、今は数日で終わってしまう。
最近よく耳にする腸内細菌がなんたら、みたいな研究の多くも、この次世代シーケンシング技術を使っている。
腸にいる多種多様な細菌たちを、まとめて解析してしまえるようになってから、爆発的に進展した。
オーダーメイド医療のような、一人ひとりの患者に合わせて治療法を選ぶアイデアは、この技術を使って遺伝子を簡単に調べられるようになったからこそ、出てきたのだと思う。

で、もうひとつのブレークスルーがAI技術だ。
病気の診断に使われ始めていることに注目が集まっているが、ここ二、三年は、基礎的な生命科学の研究にもめちゃめちゃ使われている。
昔から生物研究者は、生物の「形」と格闘してきた。
羽の形や模様で蝶の種類を見極めたり、細胞の形や並び方で癌かそうじゃないか判定したり。
形は見れば分かるので取り組みやすい。
生物のもつ特徴を調べるためにまず最初に行われてきた。
しかし、あまりに複雑なパターンや、微妙な形の差を見分けるのは難しい。
たしかに、熟練の大工が数ミクロン単位でカンナをかけられるように、トレーニングすれば、体とか臓器とか細胞の形の差を見分けられる。
それは人間のすごいところだけど、でも科学には再現性が必要だ。
いつ、どこで、誰がやっても同じ結果が出るのが理想で、そこまでじゃなくても、ある程度の知識と経験のある研究者なら、誰がやっても同じにならないと認められない。
だから、形を見分ける系の研究は常に「主観的」とか「恣意的」といった批判に晒されつづけてきた。
いつも決まって同じ答えを返してくれて、かつ人間の顔程度の複雑さだったら簡単に見分けてくれるAI技術は、だからこそ、救世主的な存在、といったら言い過ぎかもしれなけれど、これはすごい!ということになった。

そんなこんなで、技術の進歩とともにここ二十年くらい、気がつけば科学は違う景色を見せてくれるようになった。
フィールドにいる顔ぶれはすっかり異なり、光景は変わった。
そこでプレーする彼らは相変わらず、すごい。

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