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雑に作業すると失敗するし、丁寧にやると途中で飽きる

生物実験は料理に似てる。
お菓子作りでもいい。
だいたいどちらも、材料を量ったり細かくしてから、混ぜたり煮たりする。
一定の温度のまま寝かせることもあるし、混ぜた材料を型に流し込んで固めたりもする。

ただし、ひとつ決定的に違うことがある。
料理はできあがりがよければ、つまりは美味しくできていれば成功だけれど、実験はいくら綺麗な結果が出てもそこから何か新しいことが見つからなければ意味がない。

なにも、料理はうまくできさえすればいいから楽だと言いたいわけじゃない。
逆を言えば、実験の結果がきれいじゃなくても、そこに何か生物学的な発見があればそれでいい。
実際に、すごく汚い実験結果が論文に掲載されているのを時々、見かける。
印象としては、汚い図を載せる日本人研究者は少ない。
日本人が器用だからなのか、職人的なこだわりがあるだけなのか、あるいは私の持つバイアスがそう見せているだけなのかよくわからない。
そもそも実験結果の綺麗さにこだわりすぎるのは研究者として正しい態度ではないと思う。
見た目や味が不味くても、意味を見いだせることがある。

実験を雑に行って何が何だかわからないほど汚い結果しか得られなければ、解釈して実験の意味を考えることもできない一方、綺麗さにこだわるあまり時間や労力をかけすぎると研究が進まなくなる。
世の中のほとんどすべてはtrade-offな要素の組み合わせで成り立っていて、最適なバランスを考えるしかない。
実験に割く労力でいえば、結果を十分に解釈できるぎりぎりの汚さが最も合理的だろう。

だけど実際にはその人の性格がかなり反映する。
綺麗な人は、いくら時間がかかろうとずっと綺麗だし、汚い人はたとえ失敗しても汚いままだ。
研究者の理性的ではない部分というか、生まれつきの癖みたいなのがそのまま出るからおもしろい。
私は器用じゃないのに綺麗さにこだわりたくなるときがあって、ぜんぜん実験が進まなくなる。
業はなかなか直せないから困る。

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