知識を伝えるより、イメージや感覚を伝えたほうが面白い

noteを週に一度金曜日に上げると決めて、この1年くらいはできていた。
今月に入ってまるで書けなくなり、今月の1本目をようやく書いている。
生来の怠け癖が出ているだけで他に言い訳のしようもない。
元々、何かを続けるのが昔から苦手だ。
特に、続けるためのけん引力として、「やる気」を持ってくるのは、少なくとも自分の場合は効率が悪いから、最近はやらないようにしてる。
これまでだって「やる気」を出してnoteを書いていたわけじゃない。
だから、外部に理由を転嫁するために、6月に入って周囲の状況に変わったことがあるか、考えてみる。

4月と5月はずっと在宅勤務だったのが、6月に入って通勤を再開したこと。
前半は在宅勤務との折衷で、後半はフルで通勤した。
働く環境があっちこっちへと変わったから、余暇の時間で書くべきnoteに気が回らなかったのかもしれない。
もう一つは、Podcast番組『いんよう!』のことを考えている時間が長くなった。

サンキュータツオさんに定期的に来ていただけるようになり、スケジュール調整や内容のことでやり取りをするうち、番組の今後や方向性について自分がほとんど何も考えていないことを再認識した。
記憶をたどるほど昔でもないけれど、2年前にPodcastを初めたばかりの頃はもう少し考えていたと思う。
それなりに番組が軌道に乗り、月に一度、収録時間を確保すれば回るようになった。

現在、もう少しで100回になる。
100回も話せば話題や切り口は出し尽くされ、以前の話題を再生産するしかない。
それはそれでいいのだけれど、これを機に再生産の方法を二つ考えてみた。
一つは話題を自分の外から持ってくること。
自分の考え方やものごとの捉え方が同じでも、テーマが違えば新しい話をしてると思うことにする。
もう一つは、研究をしている実感や感覚を話すこと。
科学的知識や成果といった具体的な情報は、ニュースや書籍などを通じて世の中に大量に出回っている。
わざわざ自分がでしゃばっても意味は薄い。
だから、科学の解説ではなくて、科学的な現象に対して研究者が持つイメージとか感覚を話したほうが面白いのではないかと思う。
「iPS細胞は色々な細胞になれます」という科学的な情報や発見について持つイメージは、実際に細胞を使って実験をしている人とそうでない人では異なっているような気がする。
生物学の知識や経験による違いによって、頭に思い浮かぶイメージが違っているだろう。
実際にiPS細胞を心筋に変えてしまう過程において、具体的に何が変わるのか、どんな操作がなされるのか、どこが大変なのか、を知っていると、同じ情報に接しても受ける印象が変わる。
これは別に科学にかぎらずすべからくそうだ。
同じ小説でも、文学に詳しい人とそうでない人では違う感覚で読んでいると思う。
もちろん、文学に詳しい人がすべて同じ感想を持つわけじゃない。
このシーンが良かったとか、この小説が好きだとか、それぞれの感想や好き嫌いはあるはずだ。
けれどそれとは別に見えているものがあると思う。
小説の文学的な立ち位置や作者の履歴などから見えているものがあって、好き嫌いとは別の印象や感覚を得ていると思う。
そういったことを話したい。
どうやらこれは昔から自分の中にある「癖」みたいなものらしい。

今挙げた二つの要素を満たすように、『いんよう!』の中で初めて論文を紹介した。
不眠がもたらす死の原因を明らかにした論文がCell誌に掲載されていたので、試しにその論文を読んで話してみた。
伝えたいのは論文の内容よりも、論文の行間から垣間見える、筆者たちの動機や苦労、目標だったり、使われている実験方法の面白さや、それを筆者たちが選んだ理由だったりする。
あるいは、睡眠を研究している人とそれ以外の人の間に、睡眠に対する定義とか捉え方が違っていたとしたら、そういうことを伝えられたら面白いと思う。

神経科学は専門外なので怒られるんじゃないかとビクビクしていた。
でも、そもそもそんな影響力もなかったのか、思ったよりは好評で、研究分野の近い人も好意的な感想をツイートしてくれていて、嬉しかった。
そういうわけでこのまま調子に乗り、時々、論文を紹介していこうと思う。
読んだときに新しい感覚が得られた論文や、行間から筆者たちの想いが溢れているものを選びたい。

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