Yoga Sutra/ヨーガ・スートラ〜ヨーガの教典
小さい秋を少しずつ見つけるこの頃。季節の移り変わり、変化の美しさは何に向かっているのでしょうか。
ヨーガの実践においても、小さな変化にたくさん出会い、少しずつ段階を踏んでいくことに楽しさを感じます。
実践で体験する「心地よさ」「意欲」「リラクゼーション」そして「リセット」…これらは「整う」と表現できるかもしれません。
Yoga ヨーガの語源はYuju(ユジュ)であり、これは「結合」を意味します。何かと何かが結ばれる。それは相反するものかもしれないし、同一のものかもしれません。
ヨーガ哲学においては一元論と二元論の考えがあり、二元論の「サーンキャ哲学」を実践する教典として「ヨーガ・スートラ」というものがあります。今日、大半のヨーガ実践の礎となっているのはパタンジャリによる「ヨーガ・スートラ」といえます。
4章構成、195〜196節からなるこの経典において、ヨーガの定義は1章2節「心の動きを止滅することがヨーガである」というもの。学びのなかで芽生える苦しさも過程のひとつです。何度も読み直すことで何通りも解釈ができ、その可能性は無限であると感じます。
何度も読んでいくうち、いつしか100%のことは何もないのではないか、そしてそれこそが100%なのではと思うようになりました。一見100%と思える「死」さえ、そこで終わりではなく続いていきます。しかし、わたしたちは不確かなものにも100%と思い込み恐れや不安に陥ることも多々。
経典において、この世界が「幻 マーヤ」であると紐解かれても心のどこかで信じられなくて、見えるもの聞こえるものを全てと感じてしまいます。「わたしが…」というエゴの視点で物事を見聞きする、その時に苦しみが生まれるのも確かです。
では、この苦しみから解放されるには…そのヒントが「心の止滅」。つまり「心」を知りコントロールできる術を身につけること。
これがヨーガ実践を続けるなかで培われ、ときには覆され、そして落ち着きへと導かれていく。
エゴの世界から解き放たれ、他と思うものに歩みよれたとき「整う」と呼べるのかもしれません。
「止める」は「動かす」とともに成り立つ。
「無」は「有」とともにある。
まずは「小さなわたし」の整うサインを見つけてたくさんたくさん集めていきましょう。
「ヨーガ・スートラ」についてこちらの記事でもご紹介しています。
Ashtanga Yoga /ヨーガ 8支則
Yogi in Chigasaki
Chisato Iwamoto
yogiinc7.wixsite.com/yogi-in-chigasaki
Photo by Kohtaro Iwamoto
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