道興が歩いた道、廻国雑記を辿る〜⑦十玉ヶ坊(志木市幸町) → 所沢 → 久米川(東村山市久米川) → 十玉ヶ坊(志木市幸町)
このシリーズ、これまで、
と、exploreしてきました。
道興は、多摩川を渡り、恋ヶ窪から十玉ヶ坊に入り、そこを拠点として、笹井観音堂、柏の城、川越、勝呂、野寺・野火止・膝折を訪問した後、所沢と久米川を訪れています。
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道興は、所沢で、以下の歌を詠んでいます。
ところ澤といへる所へ遊覽にまかりけるに。福泉といふ山伏。觀音寺にてさゝえをとり出しけるに。薯蕷といへる物さかなに有けるを見て。俳諧。
野遊のさかなに山のいもそへてほりもとめたる野老澤かな
風土記、所沢村、上新井村の記述に、
"福泉坊塚、僅かの塚なり。福泉坊は古の修験者にて、廻国雑記に観音寺にて福泉が竹筒を取り出しせしとあるはこの福泉坊のことなり言いされば文明長享の頃の人なることを知らる。この塚はその葬地なとにや。今この辺りの小名に福泉と呼ぶ所は余程広ければそのかみ居住せし跡なるにや。観音寺は今上新井村の内にあり。"
"観音院、新義真言宗遊石山新光寺と号す。・・・廻国雑記を閲るに所沢という所に至り福泉という山伏、観音寺にてささえを取り出しけるに薯蕷といへる物さかなに有けるをとありて俳諧體の歌あり観音寺というはこの寺のことなるべし・・・"
ということで、道興は、福泉という本山派修験山伏に会いに行っているわけですから、東国巡礼の本来の目的である組織強化の為に所沢に寄ったことが分かります。
所沢を訪れた後は、鎌倉街道を南下し、久米川を訪れています。
この所を過てくめくめ川といふ所侍り。里の家々には井なども侍らで。たゞこの河をくみて朝夕もちひ侍となん申ければ。
里人のくめくめ川とゆふくれに成なは水はこほりもそする
風土記によれば、
"熊野社小名新宿にあり、2間四方の覆屋にて、拝殿は3間に2間。村内の鎮守なり。例祭は毎年9月9日、入間郡難畑村本山修験泉岳院の持。社地凡2畝ばかりの地租税を出さず。"
ですから、久米川に寄ったのも、本来の目的の為、ということが分かります。
前回は道興憧れの人、在原業平の聖地巡礼の小旅行でしたが、その後の所沢、久米川では、しっかり仕事した、そういう感じでしょうか。
次回は川越、勝呂の、道興の歩いた道をexploreしたいと思います。
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