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【581/1000】なににお金を払ってもらっているのか

 自分のこととして、コンビニでサラダを買う場合、何にお金を払っているのかは明確なきがしています。もちろんサラダそのものを買うということなんですが、なんでサラダ選んでんの?なんでコンビニなの?も含めて、自分なりに理由ははっきりわかってるつもりです。

 でも、これは、その場で1つ●円で購入するなのでまだいいかもしれませんが、これがモノではなく、サービスとなってくるとちょっと様子が変わってきます。

 24時間ジムの会費を月額で払ってますが、これは明確なようですが、慈雨分の場合1回●円という概念はほぼありません。いつでも行けるという権利にお金を払っているように思います。なので、月に10回使う時もあれな、月に数回しか使わない問もある。でも料金は同じです。

 サブスクの情報サービスアプリに課金しているとして、これは自分はなににお金を払っているのかは、かなりぼんやりします。やめてもきっと、さほど困らない。でも、ちょっと見たい時があるので、そのまま続けている。。

 サブスクのサービスって、まぁそんなもんかなと思ってしまえばいいのですが、ここをもう少し深掘りたい。自分はこのサービスをどんな時に解約するのだろう。。ひとつはコンテンツがつまらないと感じることが続いた時。すぐにということではないとしても、2か月それが続くともういいやって思ってしまうでしょう。もうひとつは、他に欲しい情報のあるサービスに乗り換える時かなと。

 いくらCRMのレコメンドプッシュが絶妙だったとしても、コンテンツがつまらない、他にいいサービス見つけた、となると解約するのでしょう。逆に、多少UIがよくなくても、コンテンツが面白ければきっと解約しない。また次も見たいコンテンツ、飽きないコンテンツの更新性、また見返したくなるロングテールコンテンツの存在。このあたりが揃っていると、財布が許す限りは続けるでしょう。

 ということは、結局、コンテンツに払っているということでしょうか。もしこれが解のひとつということであれば、では、どんな人に、どんなコンテンツが必要なのか・・・を見つけ出し、どうやってそれをお届けするかという、途方に暮れるプロセスが必要になってくるということですね。

 大切なことと分かりつつ、なんかとても疲れるなぁと。。提供する側だけでなく、提供される側も同じように疲れるんじゃないかなと思うようになってきました。サブスク疲れとでもいうのでしょうか、もっと自分の身の丈に合った、もっとゆっくり、もっとじっくり、コンテンツを探し、楽しむということをサービスの肝にするというもの、逆にありじゃないかなと思い始めております。便利すぎるからこそ、コンテンツ一つの重みがどんどん軽くなってしまっている気もしていますので、それを大切にするようなサービスにピボットしていきたいなと。

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