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Vol.62 | 泣きたい時、悲しみを抱きしめたら自分らしい味が出てくる。

ヨガインストラクター*Rina*の視点で刊行する、
のんびりいこうやない会報誌「言葉の湯船」 Vol.62です。

さあ。体をお風呂で温めるように、「言葉の湯船」に「ざぶ〜ん!」と浸かって、心も温もって行ってね。

長い間、個人的な事情によりお休みを頂きました。

2023年5月私の父が闘病の末、永眠(享年61歳)いたしました。
このnoteを読んで下さっている皆様には状況が落ち着いてからご報告したいと思い、このタイミングでご報告させて頂きました。

今回の記事は父の件に関して綴りますので(今の自分には合わないな、しんどくなるかもしれない、読みたくないな)と思われる方は、そっと、「戻る」ボタンを押して頂ければ…と、思います。

私の父は、2017年に乳がんが発覚しました。

そして2022年9月、医師から「全身に転移しているので3カ月後どうなるかわからない。もしかしたらあと1カ月かも知れないし、もしかすると無事に何事もなく年を越せるかもしれない。でも、桜はもう見れません」と告げられました。

父の余命が告げられてから私は("自分の手で直接施せる親孝行"は人生の中でこれが最後になるから後悔のないようにしよう…)と胸に刻みました。

なぜなら母は既に私が高校生の頃に他界しているので父との時間が自分にとって最後の親孝行ができる時間となるからです。

なので悔いのないように今の内にできることを全てしていきました。父の住んでいる大阪の家へ、孫の顔を見せに和歌山から何度も通いました。

父が手術する知らせを聞く度、泣きました。
父とテレビ電話をしたあと、泣きました。
またすぐ会いにくるね、と唱えながら
大阪から和歌山への帰路の車中、泣きました。
「時間よ止まれ!」と何度も願いました。

花見の時期が近づくにつれ、開花予報を目にする度怖くなりました。自分はこれから春が来るたび桜を嫌う人になるかも知れないなあ…と思いました。



ですが、2023年4月。
桜は、父の健在と共に満開になりました。
医者の予告は嬉しい方向に外れてくれました。

父との外出は難しかったのですが一緒にテレビで花見中継を見る事ができました。最後に奇跡的な思い出を作ってくれた桜を、私は嫌うことなく、今後も春の訪れを桜と共に祝うでしょう。


会う度に父は痩せていきました。ですが「やりたいこと全部やったし幸せな人生やったわ」「こんないい息子たちや娘がいてくれて幸せや」と言い、見た目とは裏腹に最後まで幸せを噛み締めているように見えました。

食べるのも、飲むことも、できなくなり
トイレにいけなくなっても
体が苦しくてまともに寝れなくなっても
父は生き抜くことを諦めず、そして
医師に勧められても入院を拒否していました。

「入院するくらいなら天国にいくわ。家族と家におりたい。」柔らかい微笑みでそう言いました。
家族といることが父の最後まで生き抜く力になったのだろうと今では思います。


病状が悪化し父が段々と言葉を発することが難しくなってきた頃…

「もしお父さんが寝てて声掛けたりゆすったりしても起きない場合、お父さんの手を握って。お父さんの指が動いたら、『(医者を呼ぶなりなんなり、なんとしてでも)どうにかして助けて!』って合図や。もし指が動かなかったら、脳死状態やから、そっとしておいて」と家族たちに合図を共有してくれました。

喋れなくなっても生き抜くためにはなにをしたらいいのか…一日中懸命に考えていたのでしょう。父のその姿は、逞(たくま)しさ強さ感動、言葉では言い表せない理屈じゃないエネルギーの塊でした。

私は段々、「看病して"あげてる"なんて言えない"させてもらってる"父のその生き抜く力をこの目で見させて欲しい」と思うようになっていきました自分もそんな風に逞しくなりたい。と感じました。

病を患っている患者さんは、得てして「看病してもらっている弱い立場」と捉えられがちですがその内面は決して弱くない。寧ろ他の人にはとても背負いきれないと思われるものを背負って生きているから健康な人達よりも強靭な心の持ち主なのかもしれない。健康な人たちよりも、小さな幸せに気付き、もっともっと心豊かに生きているのかもしれない。

父も同じく、私にはまだまだ到底背負いきれないと思われる死を受け止め、面と向かって直視している。その勇敢さに私は尊敬や畏敬の念を覚えざるを得ませんでした。


この合図を家族に伝えてくれた三日後、父は息を引き取りました。手を握ってみると、指は動きませんでしたので、合図の通りそっとしておきました。やっと長い苦しみも和らいで安らかに眠れたのかなと少し安堵しました。

亡くなる前日まで父は家にいたので最後まで懸命に生き抜く姿を私は全身を使って感じ取り見守らせてもらいました。まさに感服。本当に、最後の最後までよくがんばりました、お疲れさまでした、と盛大な拍手を贈りたい気持ちでいっぱいです。

この期間、沢山沢山泣きました。その間に、しっかり心の準備ができたように思います。沢山悲しみ抜いてわかったことがあります。

悲しければ悲しいほど、
素敵な出会いだった。
自分には必要な経験だった。
学びが深かった。

ということ。

人と関わって生きていると、それはそれは人それぞれ、種類は違えど多種多様の悲しみや悩みを各々が経験しているのだな〜と、感じた事がある人は多いのではないでしょうか?悲しくなったことがない人は、恐らくいないんじゃないでしょうか…どうでしょう?

この記事を今開いて読んで下さっているあなたにも、もしかしたら過去に、或いは未来に、悲しみに打ちひしがれるような出来事があるのかも知れませんね。そんな時にこの記事の内容を思い出してもらえたら、悲しみによる苦痛も和らいで少し楽になれるかな…と願って、私のプライベートな部分をさらけ出して、今回の記事を書いてみました。

「悲しみは早く消し去りたい」「辛い」と誰もが思いますね。一方で「なぜこんなにも悲しいのか?」なぜ?なぜ?と眼の前に敷き詰められた悲しみのカード達を一枚一枚丁寧に裏返してみると…その裏面に書かれている「理由」は決して「不幸だから」という理由ではない。

あなたが悲しければ悲しいほど…

それほど好きな人に出会えた。
それほどかけがえのない存在に出会えた。
それほど学ぶことが多い存在に出会えた。

ということだから。

また違う角度から見ると…

それほどあなたが人を愛する事ができた。
それほどあなたが一生懸命生きている。
それほどあなたが成長している。

ということだから。

それほどあなたが自分らしい人生を歩んでいる
という証になると思うんです。


この悲しみを経験することでしか得られない
「あなただけの学び」がそこにはある。

…なのであなたが悲しい気持ちを味わったなら。
自分らしさがまた1つ増えることになると思うんです。世界でオンリーワンの自分に胸を張っていいなと思います。

「悲しみ=悪、ではない。その悲しみの裏にはどんな幸せが隠れてる?」
しっかり悲しみを抱きしめる。その後は、あなたがどれだけ尊い人生を歩んでいるのか…涙で霞(かす)んでいたものが見えてくるかもしれませんね✿





あとがき…
私は両親がこの世を去り<直接自分の手で施せる親孝行>はもうできません。が、この別れの悲しみを、悲しみだけで終わらせたくありません。今こうして読んでくれている画面の前のあなたへの還元へと変換したり、自分らしく生きる力に変えることとして親孝行をして参ります。
私は今ご飯もしっかり食べてしっかり寝て元気に過ごしております!^^


あなたのその気持ちと想い、素晴らしく嬉しいです。 私の人生にとって大きな今後の活力になりなす。 いただいたサポートは今後の活動や勉強に使わさせていただきます*^^*