「ヨガ日記」アシュタンガヨガフルプライマリーについて
私の教室は、週末の朝ヨガに、アシュタンガのフルプライマリーを行なってます。私がはじめて、アシュタンガヨガをうけたのは、たしか10年ぐらい前。
身体をほぐす為に行ったはずのヨガスタジオ。まさか、こんなにも体力を使うのか…。と思ったのが正直なところ。まるで、生まれたての小鹿が脚をぷるぷるしながら、懸命に立ち上がろうとしてるかのようなダウンドックのポーズ。私の腕も脚もぷるぷる。もう限界…。体中の水分が流れ出てしまったのではないかと思われるほど、大量の汗をかいた。翌日は、言うまでもなく全身筋肉痛だ。
その頃、わたしは、リラックスできるゆっくりなビンヤーサヨガを教えていたので、自分の練習としてのヨガは、殆どやってなかった…。ヨガ講師養成講座(ヨーガ療法士YTC)での本を読んだりレポートを書いたりばかりしていたのだ。その頃は、体の使い方よりも心の在り方をどうにかしたいと思い、ヨガポーズよりもヨガ哲学の方に興味があったのです。"どうしたら幸せになれるのか" "内なる喜びの源"とは何か" といったことについてでした…。
体と心をひとつに結びつけるヨガは、あくまで体から入っていくという実践が大切なのですが、私は頭から入っていき頭が納得したものだけを良しとしていました。なので、頭デッカチで実践が伴っておらず、柔らかいだけの貧弱な体だったのだと思います。
貧弱な身体の私は、それでも幸せ探しを続けるのです。幸せってなんだろう? 成功? お金? 贅沢出来るくらし? 愛する家族がいることかなぁ? 無心になるとそれらが手に入るらしいぞ。やっぱ瞑想がいいのかなぁ。
と、無心を目指しながらも頭の中は、エゴ(野心)でいっぱいになっていたのでした(笑)。
早く手に入れたいという気持ちは、読書をする時も同じで、以前わたしは、小説を読むときに、早く物語の展開や結末が知りたくて、人物描写や風景描写を飛ばしながら、読んでいました。目的地まで、いっきに自動車で運転しては、また別の目的地を見つけ、いっきに自動車で走るような感じです。それで、ある時、気づいたんです。
それって、達成感なんじゃないかって。
幸せって、もっとふわふわしていて見失いがちで、もっと小さなものじゃないかなぁ。ふとしたときに、え? もしかしたら、今、自分幸せなのかな? みたいなことかもしれないなって。
とくに朝のヨガを終えた後に、そういう気分になる事が多い気がする。運動量の多いアシュタンガヨガでは、集中力が必要です。意識を集中するということは、程よい無心状態になり易い。なので、頭がスッキリし、スッキリした頭で作業したり、もしくは、なあ~んにもせず、ぼんやり珈琲を呑んだりする。冷たい空気を感じ、ビュービュー吹く風の音を聞く。それだけで、「今、幸せなんじゃない?」って思ったりする。おかしいよね、何かを手に入れたわけでもないのにね。
達成感が、自動車で目的地まで一気にドライブすることだとしたら、幸せとは、じっくり自分の足で歩くことに近いかな・・・。
読書をする時、本のなかをじっくりと、歩くように読めば、想像力が広がり物語の世界を味わう事ができます。
ゆっくり読むこと自体は退屈だけど、目に映るもの一つ
一つは鮮やかで、思考は深まります。
ヨガは、やっぱり自分の身体を使って、実践するほうが、体だけじゃない心の耐久力や心の体力が付いてくるような、そんな気がする今日この頃です。
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