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最近思うこと#10 街のざわめきだって楽隊みたいなもんさ

不思議なもんで、嫌いな人って何をしていても嫌いなのだ。嫌いな人の話し方も話す声も歩く音も出す音も、何もかもが不快。どっちが引き寄せているのかは分からない。原因と結果、どちらが先かは分からないけどどちらにせよ手遅れだ。徹底された不快の上でその人の存在は成り立っている。分かりやすい。ありがたいものだ。そんなことよりもサントリーのきりっと果実を飲みまくった夏だった。


好きな野球選手の引退試合があった。背番号23、藤田一也。僕が育った街、横浜を本拠地としてる野球チーム、横浜ベイスターズのファンになった小学生の頃に藤田一也はベイスターズに入団してきた。藤田は「ベイスターズに入りたかった」と言いながらベイスターズに入団してきた選手だった。当時のベイスターズというのはあまりの弱小っぷりで、小学校にベイスターズの帽子を被っていこうものなら周りの巨人ファンの子たちに盛大にバカにされたものだった。横浜なのに。地元なのにアウェイだ。

そんな弱小だった横浜ベイスターズに、藤田は自分の意思でやってきた。そんな姿が好きで、当時から気付いたら藤田のブログを読むことが日課になっていた。生まれて初めての「推し」の野球選手だった。藤田は小学生が推すにはちょっと渋い、守備が上手くて堅実な選手だった。だから目立った分かりやすい活躍をすることも少なく、なかなかレギュラーを掴めずにとうとう楽天へと移籍をしてしまった。とても悲しかった。小学生の頃から応援してきて、高校生になった頃に藤田は東北の地へと行ってしまった。
その後、藤田はほら見たことかというような活躍を楽天でして、チームの優勝やゴールデングラブ賞などの賞を次々と獲得して、すっかりスター選手になった。そんな藤田の活躍を嬉しくも悔しく見守ってきた。
そんな藤田も40歳になった時に、楽天から実質上の引退勧告を受けた。引退勧告というのは盛大な引退セレモニーを開いて、ファンからスター選手として涙と感謝で送り出して、その後はコーチや監督への道を約束してくれるというものだ。そんな提案を受けても現役を続けたかった藤田は、それを断って横浜の地へと帰ってきた。藤田のベイスターズへの復帰が発表された夜は嬉しくて、何度もTwitterで「藤田 ベイスターズ」でツイートを検索したものだった。

藤田の引退セレモニー

ベイスターズに復帰してからは、子供の頃は親にねだっても高くて買ってもらえなかった藤田一也のユニフォームを自分のお金で買い、藤田が出る試合を観に横浜スタジアムへと通った2年間だった。たったの2年間ではあったけど、藤田一也がどれほど周りに愛される素敵な人間であるかを再認識した時間だった。そして引退試合の引退セレモニーの最後の最後までこの横浜ベイスターズに入団できたこと、この場所で野球人生を終えることができることを心から喜んでいた。藤田はベイスターズを愛して、ベイスターズに愛される男だった。楽天ファンに申し訳なくなってしまうくらいの最後まで強い横浜愛を見せてくれた。最高の男やで、藤田一也。最初から最後まで見届けることができて本当に幸せでした。



自分の気分を支えてくれる音楽というものが存在する。それを歌詞なのか、曲の雰囲気なのか、歌声なのか、それぞれなのだけど。自分の喜怒哀楽、それ以上の細分化された感情にひとつスパイスを加えてくれる音楽がある。そしてそういった音楽はそっちへと気持ちをリードしてくれる。悲しい時に寄り添ってくれる音楽、楽しい気持ちの時に楽しい方へと引き上げてくれる音楽、熱い気持ちの時に熱く盛り立ててくれる音楽。自分の手札の中にある音楽の中から、自分で選んで再生ボタンを押す。その曲がどんな曲なのか、どんな内容なのか、どんな気分になるのかはもう既に何百回も擦ったように聴いてきているのに魔法にかかったように感情を引っ張ってくれる。不思議なものだよね。

楽しい気持ちを、愛しい気持ちを引き上げたい時にはBeyoncéの"Love On Top"を。


切ない時にはDaniel Caesarの"Best Part"を。


もっと、細かく色んな自分の中の感情と音楽のリンクは存在して、その時々の自分の気持ちや天気や気温などと相談してチューニングしながら自分の手札から音楽を選んでいく作業なのだ。
それが自作自演のように思えても、安く簡単だと感じたとしても、自分自身を楽しく満足させられるならそれ以上幸せなことはないのだから、今日も騙し騙されながら自分の日々を生きていきましょう。サンキューフォーザミュージックなわけです。

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