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タンドリーチキンを探して

タンドリーチキンって子供の頃から美味しそうだなとずっと思っていた。カレー味のチキン、そんなのって夢みたいじゃないか。そして子供の頃に父親に作ってもらったのだ、夢のようなタンドリーチキンとやらを。

カレーで黄色く染まったチキン。念願のタンドリー。ワクワクしながら食べてみると何か違う。思っていたのと違う。パサパサでカレーのパンチもない。想像していた俺のタンドリーはなんだったのか。正直ガッカリしてしまった。アジカンの曲名にもなってる『江ノ島エスカー』を初めて見た時のガッカリ感にも匹敵するのではないだろうか。俺の夢にまで見たタンドリーチキンを返しておくれと。

でも、そんな時に少年のオクダは思った。もしかしたら家庭で作ったからきっとパサパサでパンチのない「偽タンドリーチキン」になってしまったのかもしれないと。きっと本物のターバンを巻いた人が作ったならば夢のようなタンドリーが食べれるのではないかと、そんな日の訪れをまた新たな夢にした。

それから二度と家では「タンドリーチキンが食べたい」と言うことはなくなった。親からまた作ろうか?と言われてもやんわりと断り続けた。さよなら、オクダ家のタンドリー。

そして高校生になったある日の放課後、高校近くにあるカレー屋にみんなで行った。そこで目にしたメニュー表にある「タンドリーチキン」の文字と紅に染まったタンドリーチキンの写真。その瞬間に稲妻が走った。俺のタンドリーチキン。いよいよこの日が来てしまった。

ターバンは巻いていなかったが中東系であろうのお兄さんに緊張しながらタンドリーチキンを注文した。緊張のタンドリーチキン。

何かしらのスパイスで紅に染まったチキン。本当の念願のタンドリーが運ばれてきた。これで夢が叶ってしまうと、何かが終わってしまうと思いながら食べてみると何か違う。またも何かが違う。カレーのパンチがないし、なんかしょぼい唐揚げだ。しょぼ唐揚げでいいはずがない。だってタンドリーチキンなんだから。

長年想像している俺の中に存在するタンドリーチキンとは一体なんなのだろうか。俺の敗北なのか。決して不味いと言うわけではない。ただ違うのだ。タンドリーチキンとは一体なんなのだ。

俺はきっとまだ俺の中に存在するタンドリーチキンと出会えていないのだろう。そう思って諦めずに今日もタンドリーチキンを食べる。これまで何度も何度も食べてきた。そのたびに頭の中のタンドリーとのギャップに脳内にハテナがたくさん浮かぶ。

もうこれだけ食べれば正直分かっている。この世に俺の思い描くタンドリーチキンなんてものは存在しないこと。分かっているのだ。

ごめんな、5歳の自分よ。俺たちがずっと思い描いたタンドリーチキンにはもう出会えない。それでも大人になるとたくさんのことに出会うぞ。だからそのまま生きてきなさい。思いのままワガママに願望をたくさん叶えなさい。傷つけたり迷惑かけた分は大人になった俺が尻拭いするからな、任せとけ。

あとファミチキの方が美味いぞ。


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