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「紅一点」という檻の中

今日から船橋ハートビートナイターで、出走は14:00。少し本業をやメールの返信、昨日のデータ移行やまとめを済ませて、一息。
競馬とは関係ないことが多いのでスルーで・・・とはいいつつちょっとそれは寂しいかも(´;ω;`)ブワッ(どっちやねん)
サポートも絶賛受付中ですよ!ww長いので暇だったら読んでもらえると嬉しいです(´艸`*)

昨日の「白鳥とアザラシとMVP」で話そうとしていた「コパノキッキング&藤田菜七子騎手」で涙した理由をこちらで書こうと思います。第2部ですね。

2019年フェブラリーステークス。
発走前の話題と言えば「コパノキッキング鞍上に藤田菜七子騎手決定」。

私もビックリしました。
コパノキッキングはご存知の通り、昨年の京都藤森SからオータムリーフS、カペラS、根岸Sを制覇し連勝街道をひた走る競走馬。藤田菜七子ジョッキーは増沢由貴子さんから途切れていた現在唯一のJRA所属女性ジョッキー。愛らしい笑顔に加え、体幹がないと出来ない低い体勢と頭が揺れないスマートな騎乗。私はとても美しいと思います。外国人ジョッキーに似てますね。JRAは元より地方競馬も積極的に騎乗し、その可愛い顔からは想像も付かない、大外から末脚一気の強い競馬スタイルで、ファンを魅了しています。調教師さんやドクターコパさんはじめ馬主さんや周りの後推しもあり、各競走馬と共に積み上げたその実力は通算勝利50勝、全国リーディング37位(2019年2月時点)という結果に表れています。

「5連勝がかかる1戦でG1初の女性ジョッキー。」かーー。

ドラマのようだなー。嬉しい(´艸`*)
ため息が出ました。が、

案の定ですよ。

「まだ早すぎる」「所詮アイドルジョッキー。こんな大事なレースを任せていいのか」「前例がない」
「G1級の馬を育て、調教していくまでには莫大な労力と資金がかかる。平気で億単位の金が動く。そんな大事なレースに…」
この辺にしときますか。

ここからは、淀が「競馬」という世界に踏み込むまでのお話を。

今は亡き主人は個人事業主で「テクニカルイラストレーター」をしていました。
プラモデル作るときに見る立体的な絵や、工作機械の組み立てマニュアル、学校や教科書に登場する理科の実験や生物、植物の絵などなど・・・
昔は全部手描きだったんですよ(*^_^*)
下書き、ペン入れやベタ塗り、スクリーントーン。そこからCADAMやAdobeなんか出てきましたけど。
病気がちだったせいもあって収入の浮き沈みも激しく、生活は決して楽ではなかった。一時期「生活保護対象世帯」になりかけたこともあります。

私は子供が小さかったのもあって外に出られないため、昼はパチンコの部品作りやシール貼りの内職、夜子供を寝かしつけてから夜中2時までラーメン屋でバイト。週末は宅配便の仕分け作業を夜勤で朝まで。睡眠時間は平均3時間から4時間。若かったなあ。それでやっと月収16万ほどでしたね。

「明日どうやって生きていこう」

それだけを考えて5年が過ぎました。
長男が小学生になり、長女も年長もなった頃、求人チラシを見かけて自動車部品の下請け工場に勤めることになりました。愛知ならではですかね(笑)
今までのバイトをやめて、1日6時間週4日勤務金曜休み。ちょっと残業すれば今より稼げる。藁をも掴む思いだったし、なにより夜子供と寝て、そのまま朝が迎えられること嬉しかった。

休みもできた。思う存分家事も料理も出来た。雇ってもらえたことが嬉しくて、全力で働きました。
1年半ほどたったころ、上司から「正社員の昇格試験を受けてみないか」と言われ、旦那の不安定収入の支えになればと受験。現場研修を経て、正社員に昇格。子供は学童保育や旦那に見てもらいながら、やはり自分がもてる力をフルに上げて働きました。昇給、ボーナス、子供をピアノ教室に通わせることもできた。有難かった。
そこから5年でリーダー昇格。さらに10年・・・
「辞令」を受けました。

「係長」
零細企業ながら海外に工場もあり、400名弱の従業員中係長は8名ほど。パート女性からは創業56年の会社で初。異例中の異例でした。
さらに言えば、元上司の係長と入れ替わり。上司が部下になりました。

それと同時に

主人に肺がんが見つかり、余命半年の宣告を受けました。

不協和音の現場。女の下でなんか働けるか。辞める人もいました。
会議で意見を述べても「何も知らないくせに」「女はこれだから困るよね。」

新規部品立ち上がりの度に取引先に足を運ぶと受ける好奇の目。名刺交換の時に「元カノと同じ名前だから親近感わいちゃうなー」

クレームの電話応対に「私が最終決定権がある責任者です」「は?女が?うそでしょ?だからこんな部品出来ちゃうんだね。誠意みせなよ。今からすぐ来て。」
謝罪に伺えば「ごはんとその後朝まで付き合ってくれたら許してあげよっか」

負けるもんか。

旦那や子供を生かすためにやってきた、今までの過酷な生活考えたらたいしたことないわ。

1日2時間寝れば死なないのは知ってたので、旦那の闘病もサポートしながら、ありとあらゆることを勉強しました。

会議で私を馬鹿にした他部署の年上の同僚を、生産効率の実績と培った知識で論破し

取引先のセクハラ品質保証部長がいる会社で出した不適合品を私の部署で発見し、大手4輪・2輪車メーカーHから守って、お礼に伺いたいというアポイントを笑顔で断り、取引停止にすべきとの意見を承認させる立場にまでなった頃

専務より、最後の砦だった4輪最大手メーカーTとの新規部品立ち上げのプロジェクトリーダーに抜擢されました。営業が真夜中まで必死に尽力しこぎつけた口座開設。手渡されたバトンの重み。

そして

主人はがんの痛みと私のことをモルヒネで忘れながら、一番楽しかったであろう大学生に戻って、中京競馬場のすぐ近くにある大学病院から、2月26日に旅立ちました。
半年と言われた命を2年半も繋ぎとめてくれて、私たち家族に見送る時間をくれました。

長男は2日後に高校卒業式を控え、長女は高校2年生でした。

長男は自ら喪主になることを申し出ました。
名前を継ぐものとしての使命。
葬儀を終え、翌日長男は高校の卒業式の総代を務め、長女は吹奏楽部パートリーダーとして卒業生を送り出すオーケストラに参加。

10代の二人が

耐え難きを耐え、忍び難きを忍んだ。

負けるもんか。

そこから1年半、プロジェクトリーダーを務めた新規部品は周りの頑張りもあり無事量産にこぎつけ、今では世界中にその部品を付けた車が走っています。さらには開発から量産にかけてのプロセスが優秀であったことへの感謝状が社長に贈られ、プロジェクトチームには特別報奨金が支払われました。
これで実績を積めばこれからも受注がある。よかった。

その矢先
突然の嘔吐とめまい。気が緩んだのかな。歳だしね。もう更年期ww?

半年後
会社に行けなくなりました。
産業医と共に病院へ。休職。


溢れるように襲う不安。不眠。生理現象も受け付けないからトイレが間に合わない。家でも聞こえてくる機械音と会社の内線コールの幻聴におびえ、毎日包丁を手に寝てました。
被害妄想と脅迫観念。薬の副作用。夢と現実の狭間で、「生きる」ことを放棄していました。

それを救ってくれたのが「砂短」です。

「大丈夫?」「無理しないでゆっくりしなさいね」もなーんもなく、唐突に送られてきたLINE。

「暇でしょ?寝てばっかりで。ならちょっと手伝ってよ。僕こういう単純作業苦手なんだよね。」

職業柄、生産効率や傾向分析は毎日していたし、プログラミングは専門学校で2年学び、たまたまリサーチングの資格も取っていた…外に出なくてもいいし、お給料も少しくれるなら・・ってしぶしぶ始めたデータ整理。

宅急便で送られてきた紙の山・・紙?しかも手描き?達筆すぎて読めない…

書いてあるのはどこかの地名と数字の羅列。よくみると、地名ごとに分けられた数字に特殊な法則性がある・・・なんじゃこれ??
「これからサイト作るから、広報やらない?」

「淀ちゃん」はこうして生まれました。

「紅一点」

聞こえはいいが、男の10倍努力しないと、同じ場所に立てない現実。
私はその檻の中に閉じ込められた恐怖に負けてしまった。

コパノキッキングの頭を撫でてる藤田菜七子ジョッキー。

G1ファンファーレを聴きながらみた背中がまぶしくて
赤と黄色のリボンが可愛くて…
そして涙で見えなくなって、ゲートイン。

藤田菜七子の十八番「大外からの捲り」スタイルの騎乗。
最高の5着でした。

これからも
私の分も
夢を乗せて駆け抜けて欲しいと思う淀です。

コパさん、ありがとうございました。
これからも是非支えてあげてください<(_ _)>
馬を愛してやまない藤田菜七子ジョッキーにG1勝利を!!

読んでいただきありがとうございました(*´ω`*)

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