逢う魔が時は木の芽時(vol.1)
本日は国民の休日「春分の日」。
とは言えお仕事の方、ありがとうございます<(_ _)>お疲れ様(∩´∀`)∩♬
時季としては「啓蟄の候」。
冬眠から動物たちがムクムクと顔を出し、冬の寒さをじっと耐えた植物が、ここぞとばかりに花開く。色々な「目覚め」や「芽吹き」の季節でしょうか。
面白いことに人間もそう。吹き出物が出やすくなったり、色んな「何か」が現れる。体の変調が激しい季節ですね(>_<)環境もガラリと変わり負荷もかかる。期待と不安がクロスオーバーする季節でもあります。
是非皆様も心身ともにご自愛を。自分に余裕がないと、人にも優しくできないことを痛感するこの頃です( ^ω^)・・・ね
今年は身をもって学習しましたから、昨日からお惣菜作りまくって2日間は一歩も出ないように手配しましたし、梅酒ロック1杯引っ掛けて、2度寝してやりましたよ!(笑)
本業もこなしつつ、皆さんと地方競馬を楽しみながら過ごします。
最近どっちが本業か分からないけど(笑)
Twitterや以前書いたエッセイ「春なのに」でも少し触れましたが、
淀にとって3月は
辛い記憶しかない・・・自分の事も。他人の事も。心も。
そんな少し切ないお話。
今年こそいい思いするんじゃーーー(´;ω;`)ブワッ
登場人物は実在します。
実話をもとに、小説風に書いてみました。
夜のお供に(*´ω`*)フフ
2017年3月20日
3:00
近所で救急車のサイレンがいきなり止まり起こされた。
「珍しい…」
小さい溜息と共に再び眠りについた。
2017年3月20日
6:30
家を出て、8:00から19:30まで現場監督と管理。そこから残務整理とパワポで会議資料、メールと帳票類のチェック・・・現場を出るのが22:00を越えないのは珍しい。施錠確認を終えセキュリティーカードを通し、工場を後にする。
少し離れた事務棟のロッカーに戻り、油で汚れた作業着と安全靴を脱ぐと、一瞬左ふくらはぎに吊るような痛みが走った。
いてっ…
なんだこれ…重筋作業だったからかな。…なんとかせんといかんね。
(重筋作業:重い物を上げ下ろししたり移動させる作業)
その後も鈍痛は続いたものの、違和感程度でさほど気にしていなかった。
春近しい独特のまとわりつくような夜風を受けながら駐車場にたどり着き、帰路についた。
2017年3月20日
23:00
風呂上りにストレッチやマッサージをして横になる。幾分和らいだものの、 左足だけがなぜか氷のように冷たくなっていることに気がついた。
なんで片方だけ・・・?
うーん。寝たら治るっしょ。
明日も忙しいんだから、早く寝ないと。
2017年3月21日
6:15
アラームが鳴り
眠たい目をこすり、恐る恐る左足を動かしてみる。
うん。何ともないやん。よしよし。
大きな欠伸と共にトイレを済ませて立ち上がる。
ドアを開けて一歩目
左足を前に出した瞬間
膝から崩れ落ちるように倒れた。
何が起きたのか分からない。
放心状態で見えるのはフローリングの先にある自分のスリッパ。
え?
嘘だろ。
夢だろ。
左足が動かない・・・
動かそうとしても、ピクリともしない
その瞬間
今まで経験したことのない激痛が左半身を突き抜けた。
「んあああああああいってえ!!」
夢じゃない。
まてまてまてまてなんだこれ!!
痛みと焦りで呼吸が浅くなる。
落ち着け。
落ち着け。
とりあえず電話しないと。
下半身を倒れたまんまの状態でなるべく動かさないように、上半身だけでベッドサイドに縋りつく。横になりしばらくすると、痛みは引いたが左足は痺れたまま感覚がない。起き上がろうとする瞬間に声が止められない激痛が走り再びベッドへ倒れ込んだ。
無我夢中で充電ケーブルを引っ張って携帯電話を手繰り寄せた。
2017年3月21日
7:30
リーダーに電話。
掲示されている生産進捗に遅れがあるポジションは残業をかけてでも取り戻すこと、今日の会議に資料だけは提出しておくこと、注意人物の作業状態を監視し、こまめに指導すること、そして今の身体の現状を伝えた。
リーダーが「いまから行く」と言ってくれたが、現場が守れるのは彼女しかいないと思っていたので、無理やり「大丈夫」と言った。
動かない上司より現場最優先だった。
その後も平静を装い上司に取り次いでもらって今日の欠勤と謝罪、会議資料の概要、打ち合わせ予定だったセンサーの業者への伝達をお願いし、電話を切った。
「明日来れるんだろうねえ!」
怒号も耳に入らない。
冷や汗が流れる。
これは
マズイ。
相当我慢強い方だけど、これはアカン。
マンションはオートロック。インターホンについている「解錠」ボタンを押さないとドアが開かない。
救急車呼んだとしても、開けられない
どうする・・・
2017年3月21日
9:30
…!!
痛みに耐えすぎて意識を失っていた。
「失神」初体験。
あれ?
痛くない
少しだけ動いてみ・・
「!!!!!!!!っったーーーい!!!」
だめだ・・・
上を向いて「気を付け!」の体制のみ、痛みがひく。
立つことも、曲げることもできない。
長女の姉は看護師で電話をするが繋がらない。両親は当時携帯を所持しておらず、実家の家電も出かけたようでいない。
痛くないのに涙が出た。
「誰か私を見つけて」
言い知れぬ孤独に襲われた。私はこのまま死ぬんか?
あ
そういえば
2017年3月21日
11:00
「・・・もしもし」
「えーーーまじで淀なの?めっちゃ久しぶりじゃん元気ーー?(∩´∀`)∩♬」
「・・・・」
「・・・ん?ど、どしたん?もしもし?」
「あ・・・あのさ、今・・・暇?」
「えーーーめっちゃ暇ーーー(*´ω`*)夕方からママさんバレーくらいだよー」
「正美お願い!!力貸して!実は・・・」
(正美:まさみ)
専門学校時代の同級生。数少ない息の長い友人の一人。毎年律義に子供の成長を写した写真と共に年賀状をくれる。
学生時代合格率7%の国家資格にあっさり合格した才女。
出来婚→出産→6か月で離婚→今はシングルマザーで実家暮らし。議員の父を持ち、子供も今年で成人した。車で10分ほどの隣の区に住んでいる。
まさかこんな形で3年ぶりに会うとは思いもしなかったが、事の重大さに気づき救急車を呼んでくれて、救急隊員に事情を説明してくれた。
私は正美に言われるまま管理会社に連絡を取り、合鍵をもつ大家さんが駆けつけてくれた。
主人が亡くなってから引っ越し、ここに移り住んで7年と少しになるが、大家さんに会うのは初めてだった。ほどなく聞こえるサイレンの音・・・
3年ぶりに会う同級生
初めて会う大家さん
なんのご縁もない救急隊員2名が
私を救ってくれた。
思わず
「・・・助けてください・・・」
痛みで泣きながら、多分今まで他人に見せたことない顔して、見ず知らずの救急隊員の腕を掴んだ。
「あー痛かったですね。もう大丈夫ですよ!」
その一言でまた泣いた。
なんでか知らないけど正美も泣いていた。
2017年3月21日
11:30
通路が狭く普通の担架が入れないために、災害救助用の布の担架に身体をベルトで固定され、一段ずつ慎重に階段を降りる。
大学の目の前にあるマンションで近くに行列ができるラーメン屋がある。
昼時のざわつく学生の行列とラーメン屋の店主に見守られながら、
正美に付き添われ、私は日本赤十字病院に緊急搬送された。
朝倒れてから4時間が経過していた。
入院・手術決定だろこれ・・・
ところが
「帰ってください。」
え?
(to be continue)
読んでいただきありがとうございました。これをご縁に、あなたのところへも逢いに行きたいです。導かれるように。