安心安全、農薬と自然農薬


有機栽培や自然栽培で作った安心安全な野菜という宣伝文句をよく目にします。少なくとも日本で流通している野菜は全て安心安全な筈なのですが、あえて有機栽培や自然栽培と銘打つことで、それら以外で作られた野菜、つまり慣行農法の野菜に対して当て擦っているところがなかなかに攻撃的だと感じます。

有機栽培や自然栽培で作った野菜がより安全だという根拠の一つが農薬を原則使っていないということにあります(有機栽培は一部使える農薬があります)。農薬の安全性については徹底的に研究が行われてはいますし、食品への残留性もよく調べられて安全だということになってはいますが、やはり食品として不要な薬剤の摂取は避けたいというのは消費者として当然だとは思います。

農薬の使用に関しては生産者と消費者で大きな意見の食い違いがあると思います。ですが、私は家庭菜園に興味があるだけで野菜に関しては圧倒的に消費者なので、この稿は以下全て、消費者の立場から農薬と野菜について述べていきたいと思います。

さて、農薬が是か非かという点では出来れば摂取しない方がいい物質だろうということになります。しかし、野菜が含有している農薬成分は人間によって使用された農薬ばかりではありません。植物が自ら生成するところの自然農薬という物質群があります。

植物は動物と違って基本的に外敵から逃げることが出来ません。ですから植物に害をなす微生物や虫に対しては様々な化学物質を分泌することで対抗します。それらの化学物質は植物の病気の元となる微生物や食害を与える虫を殺したり活動を阻害します。作用としては人工の農薬(以下、合成農薬)と変わりがありません。

1999年と些か古いのですがParacelsus to parascienceという論文(というかエッセイ)で合成農薬と自然農薬の比較が行われています。

アメリカの論文ですのでアメリカ人の食事での話になります。著者らの推定では平均的なアメリカ人は一日5000~10000種類の自然農薬またはその分解物を摂取し、その総量は1500mgにもなります。これは残留農薬の推定値0.09mgの約1000倍に相当します。毒性に関してはラットとマウスでの発がん性で比べた場合、発がん性物質が農薬に占める割合は、論文執筆時点の調査で自然農薬が57%、合成農薬で60%とほぼ同等の割合を占めます。危険性が同等なら、摂取量を勘案すれば自然農薬の方がはるかにがんを誘発する可能性が高くなります(ラットとマウスにおける結果では)。もちろん、どちらも日常生活において心配しても仕方のないレベルでの比較です。例えるなら雷に打たれて死ぬのと誰かが空に向けて撃った流れ弾に当たって死ぬのとどちらが可能性が高いか論じるような話です。

自然農薬に関しては合成農薬と違って、含有量を人間が簡単にいじれるようなものではありません。人類が摂取してきた長年の経験から健康問題となる可能性は極めて低いことも判っているので、その毒性について少なくともこの論文執筆当時は詳しく調べられていません。逆に合成農薬は徹底的に調べられています。また、この論文当時より農薬の進歩は著しく、現在ではその安全性はより高まっていると言えます。もとより針の先をつつくような話ではありますが、どれだけの毒性があるかどうかも判らず大量に摂取する自然農薬の安全性は、きちんと調べられ例え残留してもごく少量しか摂取する可能性しかない合成農薬の安全性に比べるとはるかに低いように思われます。

有機栽培や自然栽培で作った野菜に関しては、味や香りが濃いと宣伝されることも多くあります。私は個人的にはこれは栽培方法というより品種の違いによるところが大きいのではないかと考えているのですが(有機栽培や自然栽培の人は在来種を好み、慣行農法の人は消費者の好みに合わせた流行の品種を作る傾向にあります)、仮にその味や香りの濃さが栽培方法に由来するとしましょう。野菜の味や香りは大根の辛味成分やニンニクの独特の香りなど自然農薬に由来するところが大きい。よって有機栽培や自然栽培は自然農薬を増やし、全体的には全く問題ないレベルの中ではありますが、理屈の上ではさらに毒性を上げていることになってしまいます。

結局、農薬の使用に関して消費者の安心安全という意味では気にする意味はないように思われます。それでもあえて、どうしても徹底的に細部にこだわりたいと言うならコーヒーを飲む量を減らしたり、食品を焦がさないようにする方がまだしも合理的です。両方とも勿論健康に問題がない量の、それでも合成農薬より多い量の発がん性物質が含まれています。コーヒーは美味しい上に健康に良い成分も含まれていることが判っているので功罪では功が勝つと思いますし、パンや肉などちょっと焦げたところが風味になると感じられるので私はやりませんが。

有機野菜や自然野菜は高価です。私の近所の有機野菜専門のスーパーでは通常の野菜の1.5~2倍の値段で売られています。農薬の残留量にして自然農薬の0.01%分以下の安全性向上をこの価格差で正当化できるかは個人の判断に拠ると思いますが、私の感覚では無理です。

消費者にとっての安全性以外で有機栽培や自然栽培には良い所があります。農地の環境保全や生物多様性に貢献します。政府も推進している通り消費者として環境保全に協力したいと考えるなら、有機栽培や自然栽培で育てられた野菜を買うことは、コストパフォーマンスはともあれ理に適ってはいます。遠く離れた農地に暮らす小さな生き物たちに思いを馳せながら野菜を頂くのは素敵なことです。

さらに有機野菜や自然野菜はブランド力が高い。先の有機野菜専門のスーパーは客足が多いとは言えず、通常のスーパーに比べてかなり閑散としているのですが、まれにカートいっぱいに野菜を買い込んでいるお客さんがいます。貧富の格差を私が感じるのはこんな瞬間です。正直、高級車やブランドの小物を見てもどうってことありませんが(よく判らないし)、有機野菜のカート山盛りはすごいです。羨望です。料理の写真をインスタグラムに投稿するときも、どこかの有機農園の野菜だと一言添えるだけでセレブ感が爆上がりです。「自然の恵み」とか「命の営み」など格好いいことを書けるのも有機野菜だから許されるというものです。

安心安全な有機野菜という宣伝文句は誇大広告な面があるのは否定できないと思います。ブランド物を買っているという満足感はあるでしょうが、消費者にとっての安心安全は通常の野菜と実質、差がないからです。せめて「農地に暮らす生き物にとって安心安全」と対象を限定すると、より事実に即した表現になりますし、慣行農法に対する攻撃性も少しは減ると思うのですが。

参考文献

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