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私がドリーが好きな理由

ファインディング・ニモに登場するドリー。
ナンヨウハギで、鮮やかなブルーの身体に黄色いヒレがチャーミング。
「ハーイ、あたしドリー!」と挨拶したそばからそれを忘れていって、また同じことを繰り返す忘れん坊。

私はこの映画を見るたびに、どんどんこの魚が好きになっていく。
この、物忘れの激しいナンヨウハギが愛しくて、そしてどうしても彼女に強く肩入れしてしまってしょうがない。

私の母も物忘れが激しい。
子供の送り迎えを忘れていたり、約束したことを忘れていたりする。
そしてそれをいつも父に呆れられている。
大きなため息をつかれて、
誰か知り合いに話す時も、
「この人本当に忘れやすいから笑」と話のネタにされて。

周りは面白がるし、母も笑って流しているけど、それでいいのかなと。小さい時から、そういう母をそばで見てきて、そう思っていた。

「お前は抜けてるから」
そう言われる母のことを本当にそうだと幼いながらに思っていたけど、思わされていた、が正しいのか?

母も「これはもう病気だよね笑」とよく言う。

でも本当に父が母に向けて言うことや、母自身が言う「ママはだめなんだ」っていうのはそんなに言われないといけないこと?なのか?

ドリーを見る度に、いつも物忘れの激しい母を思い出す。

ドリーのこと、そんな物忘れある?と思うかもしれない。
でもあるのよ。
私はいつもドリーの物忘れを作られた設定としては見られない。

私の周りにはそんな人たくさんいて、世の中にもたっくさんいると思う。世間では疎まれることも多いし、それによって劣等感を抱いてる。

実際ドリーも物忘れのことを自分の良くないところだと少しは思っていて、それで周りから疎まれるシーンもあるんだけど、(マーリンなんてかなり酷いことをドリーに言ったりするんだ)

でもドリーは気にしない。
突き抜けて前向きで、物忘れで失敗しても全く気にしない。前に前に泳ぎ続ける。進み続ける。
ずーっとキラキラ輝いていて、見ていていつも泣けてきてしまう。

続編のファインディング・ドリーではさらにドリーの過去について、家族について掘り下げられていて、そこでは忘れてしまうことについて、謝る幼いドリーが何度も回想される。
その度に「それはいいのよ、ドリーは悪くないのよ」と声をかける両親がいてくれる。
何度も、何度も、「あなたは悪くないのよ」って。

自分ではどうにもできないこと、それをそのまま受け止めてくれて、一緒に寄り添ってくれる人。

ドリーが迷子になって、パパとママの顔と名前でさえ忘れてしまっていても、絶対に戻ってくる、見つけてくれると信じて待ってくれている人。
何年も何年も、家の周りに目印の貝殻を沢山起き続けて信じてくれる人。

私の母の周りにもそんな人がいてくれたらどうだっただろう。
もう少し、生きやすくなったかな。

ああ、そうか、私は母を救いたいなどと思ってしまっているのか?

いや、ただ
「悪くないよ、ママは悪くないよ」
って言ってあげたかっただけなんだろう。

落ち込んで欲しくなかった。悲しい顔をして欲しくなかった。
泣いて欲しくなかった。
いつも元気でいて欲しかった。

だからドリーを見ると、いつも泣けてきてしょうがないんだ。

思い出せないもどかしさとか、思い出せなくて呆れられたりとか、嫌なことを言われて、でもこれは自分のせいなんだと、どこかでいつも思ってる、その苦しさが痛いくらいに分かるから。
そうやって葛藤してきた人たちも知ってるから。

でもドリーはそうやって葛藤しながらも、ちゃんと周りに助けを求められて、助けてくれる仲間がいて、そして底抜けに明るく前向きに進んで、愛されてる。
そう、愛されてる。
そんな素敵なナンヨウハギを見ていると愛しさと少しの羨ましさで、胸が苦しくていっぱいになる。
こんなキャラクターが世界的なアニメーションに登場して、物語の中だけでなく、世界中の人たちに愛されていることが嬉しい。

だからドリーが大好きだし、こんな素敵なキャラクターを生み出してくれた人たちはかっこいいなぁと思う。

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