さよなら大学生。

こんにちは、よだだよ!です。


つい先日、修士公聴会を終えて、大学生ももう終わりに近づいています。


研究室いくのも片手で数えられるし、自宅のベッドで寝るのも2進数表現なら片手で数えられる。

もしかして「この景色を見るのももう最後かも」って思う日々。



そんなわけで、

今回のこのnoteは自身の6年間の大学生活について振り返ろうと思います。
流れとして、
 ・そもそも大学に入った理由
 ・大学でやったこと
 ・大学院に進学した理由
 ・大学院でやったこと
 ・まとめ
といった流れで書いていこうと思います。


大学に入った理由

高校時代は、ソフトテニスに明け暮れていた。この時点では、何かしたいとか特になかった。部活を引退して、進路について考え始めた。

色々考えて見たりするが、なかなか浮かばず。
結局、安定性と物理の中で電気が得意だったから、電気電子工学科を目指すことにした。そう決めて、受験勉強を始めた。

だが、願書を出す直前に、自分自身とあらためて向き合った。
電気が得意だからで、電気系に進学していいの?
4年間お前は頑張れる?やってて楽しいと思える?
」と考えた。

結論、「無理だ!」ってなった。

「100%、中退する」って思った。

せっかく、4年間大金をかけて学ぶのだから、楽しいことをしなくてはと考えた。
そこで、選択肢として出てきたのが、「情報工学科」だ。
理由としては、身近なものにスマートフォンがあり、mixiなどのSNSやyoutubeなどのアプリを触っていて、とても自身が「ワクワク」していたからだ。


「自分でも、面白いサービスを作りたい!」


そう感じて、電気電子工学科 → 情報工学科にすぐに変えた。


そして、センター試験、私大受験、国公立受験に望んだ。


受験結果は散々で失敗したが、やりたいことが明確に決まっていたから、
「やりたいことができるのなら、正直どこの大学でもいい!」って思って、メンタルは割とすぐに復活した。




大学でやったこと

・1年生

(確か)桜満開の中、大学を入学した。

とにかくアプリが作りたかった。
授業は最初、C言語なんてものから始めるらしい。

「アプリを作るぞ!」って息こんでいたものの、授業の環境構築ですでに絶望。
パスの設定ができず、コンパイラが動かない...
授業後、本屋に行ってヨーダでも出来そうな、C言語の本を買ってきて、やった。

それで授業は普通についていけるようになったけど、
授業は黒い画面で"Hello World"してるだけだから、
「これではアプリ作れないじゃん!」って気がついた。

そこで、アプリが作れそうな課外活動プロジェクトに参加することにした。
KIESプロジェクトというところに所属することにした。

アプリが作れる!って言われて入ったのに、最初にやったのはArduinoでマイコンプログラミング。

「Lチカなにそれ、おいしいの?」

で結局、アプリ開発ができず。


さぁどうするか?
自分でやるしかない。「誰かにチャンスもらえるのを待ってては、絶対ムリだ!」と思い、独学でアプリ開発を学び始めた。

なので、1年のときは、授業でC言語、課外活動でArduinoでマイコンプログラミング、夜は家で、「ドットインストール」、「Schoo」、「Progate」でアプリの開発のために独学。

独学でjavaを学び始めるのだけど、オブジェクト指向がほんと難しい。

「クラスって何?」、「インスタンスって結局に何?」って感じで、

つまりは、ぴえん🥺


あとは、Macのほうがかっこよさそうという理由で、お金をためてMacBook Pro買ったり、"Rubyの女神"と呼ばれる池澤あやかさんのネット記事を見て、Rubyを始めたりと色々やっていた。大学内のハッカソンに出て、なんかマイクロソフト賞もらった。これは、チームメンバーのおかげ。




・2年生

2年生は余り記憶に残っていない。

多分遊んでばっかだったから。すごいモンストしてた。

でもそれなりになることはやっていて、

授業はjavaをやり始め、プロジェクト活動ではマイコンを用いてスマートホームについて取り組んでいた。

あと、誘われて農業のIoT化を行うProjectOne! ~農業イノベーション~に参加した。農業熟練者の知恵と技術の伝承ため、要は感覚でやっている部分と数値化して未来のためにデータとして残していく。良いプロジェクト。
その中で、圃場の温度やカメラ画像などがリアルタイムで見れるWEBサイトの構築に関わっていた。


学祭では、コスプレしてお店を出店してた。

あとは、めちゃくちゃモンストしてた。大黒天とか難しすぎて、泣いてた。




・3年生

3年生もあんまり記憶にない。

何かはしていたはずだけど、記憶に残るものは少ない。

3年になったら、サマーインターンとか参加するんだろうけど参加しなかった。
逆求人は参加したのにね。

なんとなく、目的もなく授業を受けて、アルバイトしたり、遊んだりして過ごしていた。

ここまでだと、コイツ何もしていないなってなるので、
ちょっと書いておくと、

授業で作ったAndroidアプリを手直しして、GooglePlayに公開してた。

あとは、就活を意識し始めた。

そんな感じかな。まぁ思い出したら追記するよ。




・4年生

ラストイヤー。

就活と研究がメインの4年生でした。

就活に関して言えば、
世の中は「売り手市場」とかなんとか。
なのに、落ちる面接。

研究はと言えば、9月くらいまでちゃんとテーマが全然決まってない。
ぴえん🥺

そして、決まった研究テーマは、「〇〇なSNSの開発」になった。
自分の興味を反映した面白い研究テーマになった。自分のスキルセットのiOSが使えて研究できるのも熱かった。ただやっているうちに、もっとこのテーマで研究したいなって思った。

しかし、
就活は未だにNNT.


そんなこんなで、大学院に進学するのを決めた。
する理由は、就活を失敗したのと、研究をもっとしたいと思ったから。

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大学院でやったこと

・M1

大学院では、強く生きる!って決めた。

まず、将来のこと。
自分に「どこに就職する?」って問いかけた。

秒で、「サイバーエージェント!!」

理由は特にない。直感だ。
就活はサイバーエージェントを受けることに決めた。
特に、理由はない。


CA(サイバー)に入ることを目的にしていたわけでないが、
今の自分のままでは無理だと感じていた。

「もっと人間的な成長が必要だと」

だから、M1の1年間は、「自己投資」をテーマにした。
人間的に成長するには、

研究だけしてしてはいけない!と、
もっといろんな経験をして、失敗する必要があると。

ちなみに、前田裕二さんも「メモの魔力」でこのように言っている。

自分がやりたいと思える何かに出会えていないということなので、
「1つでも多くの事象・経験に触れ、1人でも多くの人と会って話を聞く」という別の打ち手をとることができます。


 そう思い、いろいろなことにチャンレンジしてみた。


・M2

「無事に就職が決まり、後は研究をするだけなのかな。」

欲張りだから、それだけでは満足できない。
ホントは優柔不断なだけ。

これまで迷惑をかけてきたから、誰かの役に立ちたい!、
そして、もっと色んな人や物事に触れたいって思った。

だから、M2の1年間は、「出会う」をテーマにした。
ここでの「出会う」は、人だけではない。情報も含め、広い意味での出会うだ。
これまで関わったことがない人たちと出会おう。

まずは、自分の大学内で関わってみようと。



11月に出会ったきょう。
「学生にきっかけを与える」べくFloNに参画し、動き出した。
開発中だから、待ってて。

FloNをやる中でもいろいろな人に出会った。

某オフィスで出会った人。署名活動していて、某大学の食堂で出会った人。
FloNに興味を持ってくれて声をかけてくれた人。
そんな人がたくさんいる。

M2の1年間は、「出会う」をテーマにして、過ごしてきた。
まぁ彼女居ないねんけど。あれれおかしい。
3度目のぴえん🥺


この出会いから、どう生かして、派生させていくか。


全然研究について書かなかったけど、
大学院修了できそうです。
間違っても、終了ではないよ。




まとめ

大学生活6年間をモチベーショングラフを描くなら、山あり谷あり激しいものになると思う。楽しいことをあったし、その一方で、辛いことやしんどいことも同じくらいあった。

もともと、「アプリが作りたい!」で入学して、無事に2020年4月からエンジニアとして働けるってことは、大学に入った目的は達成されているはず。

大学でプログラミングを学べて、アプリを作れるようになった。もあるけど、それ以上にそれ以外の経験のほうが今の自分の価値や今後の価値を高める気づきや経験になった。

その中の1つを書くなら、
そもそも自分はしょうもない人間だなとずっと思っている。
人間レベルがあるなら、Lv.1。

みんなができることができないし、

でも、
そんな中で自分の強みは、「無知の自覚」を最強に持っていること。
いわば、「無知の自覚」
スキルマってやつよ。

それがあるから、マイペースでゆっくりでいいから頑張ろうって思えるようになった。

その他にもいろいろな気づきを得て、
人間レベルが Lv.1 から LV.2 くらいは成長したと思う。


最後に、この6年間金銭的投資や精神的サポートしてくれた親、おじいちゃん・おばあちゃんには感謝しかない。
この金銭的投資を
直接的にお金で返すことは難しいかもしれないが、この投資が無駄でなかったことを証明していく。待ってて。

後は、大学生活6年間の中で関わってくれたひとは、本当にありがとう。
先生とかもありがとう。


さぁ、エンジニアを始めようか。


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