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子どもを苦痛に感じる時代に

The foolish man seeks happiness in the distance, the wise grows under his feet.
愚か者は幸福がどこか遠い所にあると思い込んでいる。賢い者は幸福を足元に育てる。
James Oppenheim


「子どものいない人のほうが幸せ」から始まるこのコラム。子育てに時間と労力のかかる小さい時だけが大変なのではなく、子育てが終わったシニア世代も、子どもがいない人より幸福度が低いと言うではないか。家族のために友情を犠牲にし、多くの時間を子どもにかけてきたにもかかわらず、巣立てば親の世話なんてしないのが当たり前の世の中で、このような研究報告がされてもなんら不思議なことはない。

もちろんこれは大人の事情だ、子どもには全く関係ない。要は社会が老人仕様、お一人様仕様に様変わりし、変化を嫌うようになっただけなのだ。だがそれは、子どもという変化に富んだ生物の排除につながる。だから子育ての放棄は今の社会の必然であるだけなのだ。もちろんこのコラムでも「別の複数の研究から、子どもを持つ人のほうが、目的や意義の感覚が強く、人生に満足していることが示唆されている」とは謳ってはいるが、文脈からして子育てへの憎悪は相当に手厳しい。

  • なぜ、子どもを産むことを選んだのですか?

  • それに見合うだけのリソースと感情的な能力がありますか?

  • そうするべきだと思ったから、ただ闇雲に産むのですか?

挙げ句の果てに「私は子どもが要りません」とはっきり言う人間に拍手喝采が送られるだなんて。こんな時代に適齢期を迎えていたら、私でさえも子作りから目を背けていたかもしれない。

子育てが蔑まれる時代に入っていると思う人が増えているのもあるのだろう、子育てをしてる人の幸福度が低いのは。それを「社会のせい」とうそぶく発言に、当たり前のように頷く輩が増えている昨今、もはや空気を吸うかの如く、子どもに何ら関心を持ち合わせている大人の多いこと多いこと。そんな子どものいない社会が当たり前になっているこの時代に、こういう記事が追い打ちをかける。そして、今の社会での子育ての拒絶に拍車をかける。そして一億総右へならえのネット民がその声を擁護し、子どもを持つ人を悪者に仕立て上げていく。

私が今の時代に今と同じ安月給で、果たして子どもを3人も4人も持つことを選んだろうか。まあ当時も子どもなんてそこまで欲しいとは思っていなかったが、恥ずかしながら、動物的本能が勝ってしまい、計画性の無さも相まって、いつの間にやら子だくさん。まあ、どんな状況でも自らの足元を楽しむことができる人間だと自負していたから、今の立ち位置で生き抜くしかないと思っていたから、子どもにお金をかけられないことを特に恥ずかしいと思った事もなく、いや多分生活保護を受けたとしても、その場を楽しむことができると思っているほどなので、昔と同じように、人や行政に頼りまくりつつ無茶苦茶楽しく子育てをしているだろう。そんな私だ、こういう論調クソ喰らえ!なのだ。うん、楽観的な私で本当によかった。

「生きることは、困難になればなるほど、意味のあるものになる可能性があるということが明らかです。」
「それでも人生にイエスと言う」ヴィクトール・E・フランクル


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