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喪失感の中にあったもの。そして本当の悲しみとは…

思うことが沢山あって

長々と書き続けてしまったけれど

ここで書いていることに
話を戻そうと思います。

これまでのお話

○我が家のメンバーだったネコのぎんちゃんが亡くなった

○辛くて悲しくて苦しくて泣き暮れていた

○でも、元々、命をあまり大事に考えることができなかった私がここまで悲しみを感じることに驚いて

○悲しみや喪失感について考察していた

○そうしたら、ぎんちゃんの死因がその3日後にわかったことで

○私の涙は一瞬で止まってしまった

その間のいきさつはこちらに詳しく書きました

涙がピタッと止まったのは

「ぎんちゃんからのメッセージ」に書いたように
死因が

"もうどうしようもなかったもの"

だってはっきりわかったから。


私ははっきりと

私のせいじゃなかった。よかった。

って思っちゃったのね。

お恥ずかしい話だけど


私にとって大事だったのは

自分が悪かったかどうか

だったの。


そんな、あなたのせいなわけない。
って思うかもしれないのだけど

実は、亡くなる前の1ヶ月間
抗生剤を長期内服させていて

この薬本当に必要かな〜と疑問に感じながら
自分の手で缶詰に混ぜながら食べさせてたの。

だから、最後に調子を崩してひどい下痢が始まった時、
これは薬のせいで体のバランスを崩してしまったのでは?
って思っちゃって

あの薬さえ飲ませていなければこんなことにはならなかったのでは?

私が殺しちゃった………
って強く思い込んでた。

だから、癌があったことがわかり

全身状態がいきなり悪くなることも
そのまま持ち直せなくなることも
いつでも急変が起こる状態だったとわかって

ほっとしたんだね。
私のせいじゃなかったって…

でも、涙があからさまに止まったときは
そんな自分が人として恥ずかしくて
混乱したけれど


今、改めて振り返ってみると

あの時は、

取り返しのつかないことをしてしまった
どうしよう
申し訳ない
怒られる
もう一生許してもらえないかもしれない

と、私の中の小さな子どもが
自分という存在がもう許してもらえない気がして
怖くて震えてたんだね。

本当にもう、
絶望的に苦しみのどん底で

でもそれがなぜそんなことになっているのかわからず
ただただ泣くことしかできなかった。


怖かったんだね。私。
許してもらえないって思って怖かったんだね。


一枚の解剖所見が
まるっと私の罪悪感を取り除いてくれた


そして、その後に残ったのは

本当に純粋な悲しみや喪失感。
ちょっとの後悔。


以前、ある心理セラピストの先生の講座で
世の中の悩みの全ては思考が作り出す投影からもたらされていて
純粋な魂の望みや声だけの状態には、苦しみはない。
という人間の思考の仕組みについて学んでいたのだけど

その時に、
投影が外れれば、悩みが悩みでなくなるけれど

だからといって
嫌なことは嫌だと思うし、悲しいことは悲しいと思う
それは人が持っている当たり前の感情

ただ、何が違うかというと、投影のない状態では
嫌だって思っても悩まないし
悲しいことがあっても苦しくない

って言ってたの。
(※注 投影が良いか悪いかという話ではなくて、投影があるのが人間という生き物だし、苦しみも決して悪ではない。この辺は長くなるので割愛)


全然意味がわからなくて。
ぜーんぜん意味がわからなかった。

嫌なことされて悩まないって意味わからないし
悲しいのに苦しくないってどういうこと???
って思ってた。


今回、

私の苦しみの9割が
罪悪感だったっていうのを体感を伴って理解したことで


この言葉の意味が、もうめっちゃわかる。


罪悪感が一瞬で消えた時は
慌てたけど

大きなエネルギーだったから
馴染むのに時間がかかって

今は、普通に?
ぎんちゃんがいなくなった
ぽっかり空いた場所を
寂しいと思ってる


外から帰って玄関を開ける時に
にゃーんと出てくるような気がしたり

つい、いつもの場所に姿を探してしまう

毎日、「♪そんなとこにいるはずもないのに〜」
って脳内エンドレスリピート^^;

自分にとって
ものすごく大きな存在だったなぁということを失くして初めてわかるっていうのは申し訳ない話だし
生前、もっと大事にしてあげればよかった
という後悔はまだまだあって

ハートは痛みを感じているし

人に話せば涙も出てくる

こうして書いていても、悲しみは湧いてくる

だけど
前と違うのは

いつか癒えるもの感があるという感じがあったり

この悲しみさえも、ぎんちゃんが生きた証と感じることかな。

だから、悲しむことが怖くないというか
ありがとうと思えるような。

転んで怪我して、めっちゃ痛いけど
包帯しておけばかさぶたになって治るよ
痛いのは生きてる証だね

っていう感じ。

罪悪感を抱えてたら、私は一生下ろせない十字架を背負ってしまったと思う。

その時その時に起きたこと
一瞬一瞬の判断が全て最善だったと心から思う。


そして、
若い頃の私が、

命がなくなりゆくことに
なんの感情も持てないでいたことや

飼い主さんに心から寄り添えないでいたのは

経験がなかっただけだってことだと思う。

生きてるうちに命を大切にすることとかも
価値観として持ってなかったんだよね

それを欠落だと感じて
とても恥じていたけれど

ただ無かっただけ。

いろんな事情はあるけど

ただそれだけのことだった。

人は経験したことのないことはわからない。

それは、実際の経験だったり
親や周囲から受け継ぐ価値観だったり

本当にそうだなと今感じています。

だから今
その経験をして
たくさんの思いを受け取って

そして、子どもたちに受け継いでいくことができることは

ぎんちゃんからの大きなギフトだなと思いました。

それに、大きな罪悪感を感じるということは
それだけその子を大事に思っていたからだよね。

そんな自分をもっと信じてよかったよね。

ありがとう。
天国でゆっくりしてね。

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