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ぎんちゃんからのメッセージ

今日掃除をしていたら

ぎんちゃんのヒゲが落ちていた

あっ!て思った瞬間、掃除機に吸い込まれてしまった…

こうして、物質的なものは少しずつなくなっていくんだな〜と

少し寂しい気持ちになった


前回からの続き

夫に遺体を大学病院に運んでもらうために
家の前で子どもたちと最後のお別れをした

子どもたちがいるから
その後は普通に日常が流れていくのだけど

子どもたちの相手をしている時でも
勝手に涙が流れて

ずっとずーっと泣き続けていて
泣き暮れていた

解剖をしてくださった先生から
報告書が届いたのは

亡くなってから3日後のことだった

メールを開けて
報告書を読む

淡々とした難しい文字の羅列

そこには

膵臓に癌ができていたこと
その癌が十二指腸を巻き込んでいたことが記されていた

人間でもそうだけど、膵臓の癌は見つけにくく
悪性度も高い。

特に猫は本当に悪性度が高い。
見つかった時点で既に転移しているケースも多い。


今回は腸を巻き込んでいたけど
それにもかかわらず、この1ヶ月間症状なく過ごせていたことに驚くいた

苦しむ期間が短かったのは奇跡かもしれない。


その報告書を見た瞬間

何をしても助からなかったことがよくわかった

むしろ、何もしなくてよかった

試験的に開腹手術をすることもなく
検査のために麻酔をかけられることもなく
強い薬で具合が悪くなることもなく


家族と一緒に過ごせたこと。


1ヶ月前に最初の症状が出た後
なんとなく、小康状態でいたのに

最後に体調崩したのが
病院がお正月休みで応急処置しかできない時だったおかげで
ずっと家にいることができたし

私たちも今年は珍しく一切予定を入れていなかったので、家族みんながずっと一緒だった

振り返ってみれば、まるでパズルのピースがぴったりはまったかのような最後の1週間だった

ぎんちゃんがその時を選んだかのような

ぐったりして寝ていた最後の数日も
子どもたちが周りで騒がしくしている状況も

ぎんちゃんがそれを望んでいたのかも?

解剖の報告書を読みながら

ぎんちゃんが自分で自分の死に場所を決めて選んだのでは?
という思いが確信に変わった。

これでよかったんだ

心の底からそう思った。


そしたら……

不思議なことに

今まで嗚咽するほど泣いていた涙が
ピタッと止まった

もう、まるで別世界に来たかのように

胸の中にあった重苦しい塊が

すーっていなくなってしまった

自分のあまりの変わりっぷりに
びっくりして恥ずかしくなるくらい

どんだけ白状者なの⁉︎
どんだけゲンキンなの⁉︎…と思わなくもないけど


私の中にあった罪悪感は
それだけ巨大で重いものだった。

私の喪失感の9割は罪悪感でした…というオチに少し自分が情けなくなるけど

それがなくなった後には

いなくなってしまった痛みと
生前にちょっと邪険に扱ってしまった後悔と
そして、うちに来てくれたことの感謝や
過ごした日々の暖かさが残っていた。

大学の恩師から届いた報告書には
臓器の写真がついていて
表面がとても綺麗で、直前まで生きていたことを感じさせた。

そして、腸の中には
前の日まで飲ませていた流動食が
ある程度消化された状態で残っていたのだけど

あんな状態でも体は生きようとしていた…
最後の最後まで命を尽くして生きていたんだな

命の力強さと尊さを感じた。

あの時、迷ったけれど解剖を依頼してよかった

そのおかげで
ぎんちゃんからの大きなメッセージを受け取ることができた

いなくなってしまった寂しさと痛みはまだまだ感じるけれど

一緒に過ごした日々の暖かさも思えるようになったよ。

最後まで私たちのこと気にしてくれてたのかもしれない。
死ぬかもと思った時に、解剖のことが頭をよぎったのも、ちゃんと僕のこと見てよ!というメッセージだったのかもななんてことも思ってる。

ありがとうね。

ぎんちゃんの死をきっかけに
いろんなことを考えたり感じたりしたことは

大きなギフトだよ

本当にありがとう。


感じたこと、考えたこと
もう少し書いていこうと思います

ここまで読んでくださってありがとうございます^_^




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