見出し画像

小学生向け 読書感想文 「嫌われる勇気」その25 ※私の見解も含めて、小学生向けに分かりやすく紹介しています

あなたは世界(せかい)の中心(ちゅうしん)ではない

僕(ぼく)たちは共同体(きょうどうたい)の一員(いちいん)として、そこに所属(しょぞく)している。共同体(きょうどうたい)の中に自分の居場所(いばしょ)があると感じられること、「ここにいてもいいのだ」と感じられること、これは人の基本的(きほんてき)な欲求(よっきゅう)なんだ。

たとえば、学校、仕事、恋愛、結婚も、すべては「ここにいてもいいのだ」と思える場所(ばしょ)や関係(かんけい)を探(さが)すことにつながっているんだよ。そして、自分の人生(じんせい)における主人公(しゅじんこう)は「わたし」なんだ。だけど、「わたし」は世界(せかい)の中心(ちゅうしん)に君臨(くんりん)しているわけではない。人生の主人公でありながら、あくまでも共同体の一員であり、全体(ぜんたい)の一部(いちぶ)なんだよ。

自分にしか関心(かんしん)を持たない人は、自分が世界(せかい)の中心(ちゅうしん)にいると考えてしまう。わたしのためにみんなは動くべきであり、わたしの気持ちを最優先(さいゆうせん)に考えるべきと、思っているんだ。

この人たちは、「人生の主人公」を飛(と)び越(こ)えて、「世界の主人公」になっているんだね。他者(たしゃ)と接(せっ)するとき、「この人はわたしになにをしてくれるのか」ばかり考えているというわけさ。

だけど、その期待(きたい)はいつも満(み)たされるわけはない。他者はあなたの期待を満たすために生きているわけではないのだから。

そして期待が満たされなかったとき、この人たちは、失望(しつぼう)し、怒(おこ)るんだ。「あの人はわたしになにもしてくれない」、「あの人はもう仲間(なかま)ではない、敵(てき)だ」とね。

アドラー心理学(しんりがく)では、「ここにいてもいいんだ」という所属感(しょぞくかん)は、ただそこにいるだけで得られるものではなくて、共同体(きょうどうたい)に対して、積極的(せっきょくてき)にコミットすることによって得(え)られるものだと考(かんが)えているんだ。

積極的にコミットするということは、つまり、「人生のタスク」に立ち向かうことなんだ。対人関係(たいじんかんけい)のタスクから逃げることなく、自ら踏み出していく。

あなたもわたしも世界の中心ではない。自分の足で立ち、自分の足で対人関係のタスクに踏み出さないといけない。「わたしはこの人になにを与えられるか」を考えないといけないんだ。

所属感(しょぞくかん)とは、与えられるものではなく、自ら獲得(かくとく)していくものなんだね。


今日はここまで。次は、「より大きな共同体(きょうどうたい)の声(こえ)を聴(き)け」について説明(せつめい)していくね。

それではまた明日!

この記事が参加している募集

#読書感想文

191,457件

もしよろしかったらサポートお願いします!頂いたサポートは、今後の執筆活動に使わせていただきます!