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コントロールできることに注力する

令和6年8月29日

皆さんお元気ですか?
僕は昨日地域支援で体を使いましてね。
全身がバキバキに筋肉痛です。

もはやずっと体がだるいです。
さめざめは仕事に行けるのか…?
行けるけど…!行くけど…!

いろいろと理由をつけて愚痴を言っても「仕事」というのは自分にはコントロールできない部分が大きいです。

自分には「仕事を無くす」はコントロールできないし。
「年休を消費せずに給料をもらいながら休む」を生み出すことはできません。

それなら、自分がコントロールできることをやっていくんです。
コントロールできることと言えば、
「出社して、パフォーマンスを落とさずに筋肉に負担を使わないように立ち回る」
なんですよ。

出勤してやることもあるので、出勤しましょう。
うまいことやっていきましょう。






さて、

個人にコントロールできることってそんなに無いもんです。

例えば、
・仕事をする
ということについても、ほとんどが流れの決まったものをやっているに過ぎません。

マニュアルがあるじゃないですか。
そのマニュアルを自分がやりやすいように大きく逸脱するってのは組織としての仕事をうまく動かせないものになります。
やれても、「マニュアルの範囲で自分がやりやすい方法を模索する」という程度です。

また、
新しい事業を作って動かしたとして、そこにはたくさんのステークホルダーがいるはずなんです。
ステークホルダーの意見を聞き、そこのニーズを埋める形での事業創造となると、「構築システム」はあれども「自分らしく」というものは後回しになっていきます。

もちろん、
自分が中心になって行う個人事業主や創業者という形では自分でコントロールできる範囲が広がります。

しかし、
実際は納期や事業内容というのはたくさんの要素が絡み合って、いつの間にか決まっていくことが多いです。
自分で全てをコントロールできるという段階まで行くには相当な時間がかかってきます。

そうなんです。

大体の仕事には「自分でコントロールする」という権利がなかったりします。

僕も地域包括支援センターの所長と兼業での個人事業主をしていますが、自分が中心になってコントロールできるものなんて些細なもんです。



で、

「自分の思うようにならなくてなんだかムカムカする」という感覚を感じる時があるじゃないですか。

その時に発生しているものって2種類あって、
①自分がコントロールできないものにコントロール権を求めている
②自分がコントロールできるもののコントロール権を譲渡している
上記のどちらかだと思います。


①自分がコントロールできないものにコントロール権を求めている

すごく言い方が悪いんですが、
・会社の在り方はこうじゃないだろう
・人間はこう生きるべきだ、お前もそうしろ
・環境問題がある。これはなんとかしなきゃいけない
・政治が腐っている。あの政治家を落とさなきゃいけない

これらはですね、
「自分がコントロールできる部分の過大解釈」に他なりません。

もちろん、
自分が動き出せばなにかが変わっていきます。
動かないと変わりません。
あなたの一声、1つの活動で環境も政治も社会も変わっていくかもしれません。

しかし、
あなた一人の声で、あなたの思う通りの形に変わるということはありません。

それならね、
「自分がコントロールできる立場になる」をやらなくてはいけないんですよ。

例えば、
組織を変えるためには自分が課長とか所長とか、役職を持って、もっと上の組織と話し合う権利を持たなくてはいけません。

社会を変えるためには
政治家になって自分が変えていくのが手っ取り早いです。
自分の意見を誰かにやってもらおうだなんて、あなたの意見全てが叶うわけではありません。

環境や社会要素を変えていくには
活動家になって実績と仲間を作っていくんですよ。

あなたの一声はたくさんのものを変えるかもしれない。
ただ、
実際に動いて変えていく人は「立場」を持った人です。

立場を持った人がたくさんのステークホルダーの意見を聴いて、叶えられるものを叶えて改善していきます。
その立場を持っている人には、それぞれのステークホルダーたちの関係性を見ながら「良い落とし所」を探す形での改善策を考えていきます。
それは
意見を持っているあなたの全てを叶えるものではありません。

だからこそ、
「自分らしく」を叶えるには「自分が動かせる立場になる」をしなければいけないんです。


これは個別支援でも一緒です。

保健師で、看護師で、介護職で、福祉職で、心理職で。
それでこんなに支援をしているのにあの人は一向に良くならない。

という中でも
自分がコントロールできる部分の過大解釈が入ってしまっています。

被支援者、要支援者というのも結局のところ「自分以外の存在」です。
その人には考えがあるし、生活歴があるし、固定観念もバイアスも存在します。

そうすると、
支援者がどんなに操作しようとしても、本人が決定することの選択要因にしかなりません。
本人のことを決めるのは最後には本人なんです。

「こんなにやってあげているのに全く変わらない」
「あの人は迷惑だからなんとかして」
「あの人をどうにかして」

これらは結局のところ他者をコントロールするものです。
そう、
「支援者に他者をコントロールする権利」が無いんです。
同時に、
「自分/あなたには他者をコントロールすることはできない」んです。

どうやっても、
自分の想い通りにはいかないものです。
どうやっても、
自分にはコントロールしきれないものがあります。

自分がコントロールできないものにコントロール権を求めても、その権利はもらえないんです。
その権利を持つには、コントロール権を行使できるだけの立場にならないといけません。

その立場、
持っていますかね…?



②自分がコントロールできるもののコントロール権を譲渡している

こちらの記事でも書きましたが、

「可処分時間」

というものがあります。

可処分時間とは

「睡眠・食事・家事・仕事等」の生活に必要な時間を除いた「本人が意思決定して使える時間」

Indeed記事より
https://jp.indeed.com/career-advice/career-development/disposable-time

というものだそうで。

「本人が意思決定して使える時間」というのはつまり「自分にコントロール権がある時間」です。

コントロール権があるはずなんです。
それなのに、
たくさんの可処分時間は無駄な時間に使われています。

SNSや
漫画や
アニメや
ショート動画とか

そういうものに可処分時間が使われてしまっています。

もちろん、
育児や家事など、どうしてもやらなきゃいけずに可処分時間自体が少ない人もいるかもしれません。
それでも、
そんな人にも多少の可処分時間が存在しています。

その可処分時間は自分でコントロールできる時間です。

SNSなどに奪われていいものではない。
SNSやショート動画とか、
あれらは研究されつくしていまして、皆さんの可処分時間を奪うことについてのプロフェッショナルシステムです。

皆さんはいつの間にか可処分時間を奪われていきます。
「自分にコントロールできるはず可処分時間のコントロール権を譲渡している」という状態です。


他には、
本当は仕事の中で、
「自分が中心になっても動き出せる事業」というのが存在しているはずなんです。

組織の中で力のあるあの人が動き出した事業。
それはあなたが動かせるものだったかもしれません。

動き出せるための準備、立場、キャリア、発言権、
そういうものを積んでいく作業というのは本当はやろうと思えば進められていた部分なのかもしれません。

仕事の中で「立場」を持つというのは、
年齢的や経験年数で自動的に与えられるものではありません。
自分で関係性の中で、動きの中で「立場のバックグラウンド」を作り上げていくものです。

ゆっくりでも
その立場を構築していく作業というのには、
そこには僅かばかりのコントロール権があります。
そのコントロール権はあなたにあるはずです。

その、あなたが持っているはずだった仕事の中のコントロール権はどこに行ったんでしょう?
誰かに譲渡していませんか?
少しずつでもコントロールしていけるものであれば、コントロール権を自分の物にしていきましょうよ。

そうしましょうよ。




世の中には
自分が自分でコントロールできるものというのは多くありません。

しかし、
自分でコントロールできることは間違いなくあります。

自分にコントロールできないものに不満を持つのではなく、
自分がコントロール権を持つものの手綱を握っていく。

そして、
確実なコントロール権というものの幅を広げていく。

そうしていくと、
少しずつ自由な生き方になっていくのかもしれません。


もしかしたら、

こちらの記事で書いている「クワドラントを左側から右側へ」というのも、お金のコントロール権を持つということに繋がっているのかもしれませんね。


人生というのは
「ライフワークバランス」どころではなく
・人生
・仕事
・生活
・家族
・お金
・キャリア
・メンタル
・愛情
・趣味
とかとかとか…
たくさんの要素で構成されています。

そのたくさんの部分に「自分でコントロールできる範囲」というのがあると思います。

うまいこと付き合っていきましょうよ。

うまいことやっていきましょう。






なんだか難しいですね。

仏教では「世の中は一切皆苦」と言いまして。

一切皆苦とは、お釈迦様がおっしゃった言葉です。
「世の中のすべては苦しみである」という意味があり、

仏教では、「苦しみ」とは「思いい通りにならないこと」と解釈します。

あらゆることが苦しみ(=思い通りにならない)ということが、本当にその通りだなと実感しています。

まいてら新聞記事より

あらゆることはコントロールできないもんなんだと仏教では言われています。
それに折り合いをつけていくことが必要なのかもしれません。

もし、
折り合いを付けながらですが、
自分がやりたいことのために可処分時間をコントロールして、仕事でのコントロール権を持っていければ、少しは楽になるんですかね。

難しいですね。

悩みます。

悩みましょう。

一緒に悩んでいきましょう。



いずれあたしも死んでいく
死に方はきっと選べない
ならば生き方を選びましょう
前例がないような奇抜なのを
誰も真似できない これが最強の生き方だ

日食なつこ「開拓者」より

良く折り合いを付けながらさ、
うまくやっていきましょう。

その中で光るような自分らしさを探していきましょうよ。

良い生き方を選びましょうよ。

良い生き方をコントロールしていきましょうよ。


日食なつこ「開拓者」


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