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休校期間に比例して予備校が儲かり,教育格差が広がっていくんじゃないかという話

 久しぶりの記事投稿です,ひとりごとです。巷では小中高の夏休みが延びる(休校措置が取られる)とか云々が言われていますが,当方複雑な心境です。そういうわけで投稿です。

 投稿が久しぶり…となったのも,実は今期は想定以上に忙しく,こういう思考をする余裕がなかったことが背景にあります。2年前,入試改革直前(センター試験ラストイヤー)には,駆け込み需要だかなんだかわかりませんが単純に生徒数が多く,フツーに忙しかったのですが,なんだか“生徒一人当たりの熱量”がそれほど大きくなかった気がします。それと比較して今年は,スタート時点でベースとして対面授業の需要が低下している(および受講者数も制限している)ので生徒数は多くありませんが,“一人当たりの熱量”が大きい。結果として質問対応が忙しいとか,進路指導が深く入り組んでいくとか,そういう状況になっています。

 これ如何に…?と思っていたのですが,生徒に色々話を聞いていると,やはり要因として垣間見えるのは昨年度(2020年度)の一斉休校期間の存在です。

「休校期間に扱われた数学の〇〇の単元が分からなくて,そのままになってしまった。特訓したい」
「休校期間の穴埋めをするために,無機化学の内容が後回し(省略)され,すっかりわからないままだった。今年じっくり教えてもらってよかった」
「出題範囲に化学の高分子を含まないなどの対応をする大学が多かったから高分子はほとんど勉強してなかったので,ほぼゼロからスタートです」

こんな生徒がウジャウジャいる印象です。生徒によって,ないしは在籍・出身高校によって,休校期間の影響を受けた内容が千差万別で,個々に異なる対応をしているような感じです。

 もちろん,こうした学習の程度の差は,休校期間がなくても元来から存在していたものでした。さらに言えば,学習コンテンツやツールの進化によって成績向上の機会の格差はかなり縮小したけれども,結局それらの活用能力の差で学習の程度の差は拡大していたと思われます。それが,強制力としての一斉休校で顕在化した,というだけなのだと思います。

 問題は,その格差をどう埋めるのか,というところです。私は大学受験予備校で仕事をしているので,仕事をする相手があくまで“大学受験を志す”高校生や高卒生であって,その点で小学校や中学校といった義務教育に携わる方々とは問題意識の重心が異なるところにあります。すなわち,彼らは「100人いたら100人を漏らすことなく課程修了程度のレベルまで成長させなければならず,その中での格差をどう縮小させるか」を考えますが,私は「“大学にいきたい”と思っている生徒にとって平等に機会が提供されているかどうか」という点をよく考えます。

 その点(後者)において,やはり一斉休校は危ないと思うのです。前述のように,休校によって学習が体系的・網羅的に進められなかったような生徒の最終手段が「お金を出して予備校」というのは,真っ当な手段ではありますが,かなり逆進性があります。私は,立場上,お金を払って在籍・受講している生徒のためを第一に考えて仕事をしています。でもその仕事が,“本来与えられるはずであった機会を与えられなかったための損失を穴埋めするため”のものだというのは,一概に喜べるものではありません。

 ですが,こうした状況を背景に,予備校は(対面授業縮小の条件下であっても)儲かってしまいます。儲かるのは,私個人としては,吝かではありませんが,やはり前提として,満足に高校に行けていて,やれることはやっていて,その上で“大学にいきたい”気持ちを実現するために予備校に通ってほしいな…と思う限りです。

 以上,至極当たり前な話をつらつらと書いてしまいましたが,若い人たちが諸々の制約を受ける現状を目の当たりにするアラサーのひとりごとでした。

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