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都市伝説

「ねぇねぇ、口裂け女って知ってる?」
「知ってる!赤いコートの女の人なんでしょ?」
「そうそう、学校帰りの子に話しかけてくるの。髪が長くってすっごくキレイなんだけど、
マスクをしているのよ。」 
「で、何か聞いてくるのよね?」
「そうよ。『わたし、キレイ?』って。」 
「でも顔は見えないんでしょ?」
「顔の半分を覆うようなマスクをしているからね。でもね、目鼻立ちからキレイなのがにじみ出てるのよ。」
「なら、わたしならきっと『キレイです』って答えちゃうなぁ。」
「それはダメよ!『キレイです』って答えると、口裂け女はマスクを外して…
「こんな顔でもかー!!!」
と、皆さんの思う都市伝説はこんなところでしょう。この例は、比較的正しい伝承の形です。

我々の発足した都市伝説研究所では、統計上、都市伝説の主人公たちの多くが
帰り道に現れるといったデータが挙げられています。

→ゆうわくの帰路


このように都市伝説の主人公たちと帰り道で出遭ってしまった場合、“にらめっこ”あるいは
“とおせんぼ”のように身動きが取れなくなってしまいます。
神出鬼没の彼らからの被害を最小限に抑えるため、
当研究所ではそれぞれに対する対処法をお教えするよう決まっておりまして…。
例えば、先ほどの口裂け女なら『ポマード、ポマード、ポマード…』と唱えることにより、
彼女からの接触を回避できるとの報告が挙げられております。
『本人から目をそらさない』・『“ホウホウホウ”とフクロウの鳴きまねをする』など、それぞれに対して
さまざまな対処法があるのです。
しかし、それもまた一時的な“対処法”。“解決法”では無いのでご注意を。
場合によっては、都市伝説の主人公たちと終わらない追いかけっこのように
なってしまう方もいらっしゃるとか、いらっしゃらないとか、、、

→徒競走は終わらない


「都市伝説の被害から逃げ続けるなんて根本的な解決にはならない」とおっしゃる方も沢山いらっしゃるのではないでしょうか。

まあまあ、皆さま、そう怖い顔をしないでください。
当研究所では、全員が都市伝説に関する研究に日夜勤しんでおります、何一つ心配ございません。
(むしろ怖いのは生きた人間の方ですもの、おほほほ…)

都市伝説の対処法としてもう一つ、有力な説があります。それは、『自らが都市伝説になる』という方法。
「目には目を、歯には歯を」という有名な言葉がありますよね。それをやってのけるわけです。

「そんなこと出来るわけない」とお思いの方…(挙手を取る)、はいはい、わかっております、あなた方の尻込みは耳や目をつむっていても聞こえますよ。

当研究所では、ハンター・祈祷師・陰陽師…などなど、その都市伝説相応のプロの派遣も行っております。

→こっちにおいで


しかし、すぐに彼らも時間給で雇われた人々…必ずすぐに行動できるわけではありませんので、やはりオススメは自らが都市伝説の主人公になることですね。

これならSNSをお辞めになっても承認欲求は満たされますし…現代人の皆さまにはご都合が合うのかと…思っております。が、まぁそれはなかなかに難しいことですものね。承知の上です。

ご安心ください。
都市伝説にも、まるで現代のタピオカのように流行り廃りがあるわけです。
「口裂け女?人面犬?なんてレトロなの!」と思われた方もきっといらっしゃいますよね。彼女らが“レトロ”になってしまったのは、ズバリ、廃れてしまったからです。

口裂け女は、1979年の春から夏にかけて流行し、秋にはパッタリと目撃情報が途絶えたという記録が残っています。こちら…実は「学生が夏休みに入った」事が原因だと言われており、まぁ、「噂好きな学生達が学校に行かなくなった事により噂が途絶え、衰退した」という内部事情ですね。

このように、都市伝説の主人公たちは、皆さんの噂・認識・記憶の中で生かされている事がよくわかります。

例えば、こちらが見えますか?
このギター。皆さんにも見えていますよね。
そして、こちら。この青年。「見えているよ」という方…(挙手を取る)。そうですね、ほとんどの方が見えているでしょう。
しかし、この青年は“幽霊”です。見えている皆様は、きっと『幽霊を信じている人』なのですね。

これは少し量子力学的な話が混じりますが、幽霊もまた都市伝説と同じように、人間の認識の中で存在します。
認識が及ばない犬・猫などの動物、また、幽霊の類を信じていない一部の人間には見えないというわけです。

→雨の町、幽霊少年


量子力学の世界では「これがヤマハのギターだ」「これが雨の町の幽霊だ」そうして認識することを『認知する』と言います。
「これが在るな」と感じることですね。

幽霊を信じないように、認知しなければどうでしょう?
…お分かりだと思いますが、記憶も、存在も全てが無かったことになってしまいます。

「認知しなければ、信じなければ都市伝説なんぞ怖くない!」皆様そう思われましたよね?
(拍手)いやぁ、素晴らしい!その通りです!

しかし、一点恐ろしい事がありまして…。
先ほどお伝えしましたよね、本当に怖いのは人間だと。
込み入った話にはなりますが…、量子力学における“認知”が存在を示すことだとすれば、人間もまた、認知されなければ消えてしまう…とそういう事実にたどり着くのです。

そうですね、例えば、この会場にはわたし一人。そして宙に浮いたヤマハのギターが一本。わたしがそう思ってしまえば、それが現実となるのです。

そんなことあり得ないとお思いの方は、よくよくお考えください。“認知しない”事が不可能だとしても、“忘れてしまう”“わからなくなってしまう”そういった事象は、確実に存在します。

あなたたちは、50年後も今日という日が在ったと、Bossa/Novaの34回目が存在したと、認知し続けられるでしょうか?

→アーモンド


都市伝説の主人公たちは、実は人間による自分勝手な妄想の被害者だという説があります。

口の裂けた女として勝手に生を享け、噂に飽きた夏休みには人知れず死んでしまう。
写真を撮ってすぐに置いてけぼりにされるタピオカミルクティーと同じです。

しかし、都市伝説について研究を尽くした我々の結論から言いますと…それは悪いことではありません。

この浮世を運営していくために消費されるコンテンツは、人間の日々の活力を向上させるために不可欠なものだと考えられるからです。

それは我々歌うたいも同じこと。
失恋をすれば悲しい歌を、恋が成就すればキスをする歌を、そして愛犬が他界すれば巡り逢いの歌を…そうして消費者たちに消費されていく、わたしたちも都市伝説と同じ、認知上に於ける盛り上げ役のコンテンツです。

さぁ、そこまでお話をしたところで、我々よあけのばんがお遊びで演じていた『都市伝説研究所』のお話はお終いです。
“量子力学”なんていう難しい言葉も使いましたが、わたしたちが本当に伝えたいのはそんなことじゃありません。

消費されていくコンテンツである歌うたいの代表としてわたしたちが伝えたいこと、それは「今日の舞台もお前らの脳裏にこびりついて忘れられないようにしてやる」ということ。

いつか『よあけのばん』という変な2人組が意味不明な持論をこねくり回して帰っていった…そんな都市伝説になってみたいものですね。
ご清聴、ありがとう。

よあけのばんは、大阪で世にも小さな音楽劇団として活動しています。どこかで公演を見ていただけたら嬉しいです。応援よろしくお願いします。