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立ち枯れの紫陽花のように

 通勤路にある紫陽花が枯れ始めていました。あの瑞々しいまでの青や紫は褪せ白に還り、茶色いシミが浮かんでその輪郭は小さく萎んでいます。

 寂しくも思いますが、私は立ち枯れの紫陽花が結構好きです。秋が深まった頃などにそれを見つけると、もう一度時期が来たかのように主役然として見えます。色のない紫陽花。失った青や紫はその紫陽花を優しく揺らす秋風に溶けたのでしょう。

 立ち枯れの紫陽花を好きになったのは一枚のポストカードに描かれた水彩画がきっかけでした。

 永山裕子さんの描く立ち枯れの紫陽花は確かに枯れているのですが、どこか生き生きとしているように見えます。なんと言ったらいいのでしょう?枯れたということが、まるで装いを変えただけなんだよ、というような正のエネルギーで行われている気がするのです。夏色のワンピースから秋物のトレンチコートに着替えただけ、という感じでしょうか。

 枯れたからこそ別の美しさを纏う紫陽花。

 そんな風な強かさとおしゃれさで生きていけたらいいなと思います。この先は長いです。私が歩んできたたった30年の短い人生ですら、既に色々なことがありました。ピンと葉と茎を伸ばして堂々と咲き誇った夏もあれば、ヒョロヒョロに痩せ細って地に色褪せた花弁を垂れていた冬もあります。夏よりも冬の方が長く辛く感じるものです。

 ですが、そんな冬にこそ纏えるものがあるのではないでしょうか。そして、一面の銀世界の中、その分厚いコートを羽織ってザクザクと長靴で歩いてみれば、真っ白な終わりのない世界でこそ煌めく何かを見つけられるかもしれません。そしてそういうものこそ、自分だけでなく同じような雪原で吹雪に凍えている誰かの道標になれるものだと思います。

 私はそんな風に生きていきたいです。冬は今までも来たしこれからも来る。絶対に。しっかり心構えをして、冬物が安い今のうちにお気に入りのコートと長靴を買い込んでクローゼットに飾っておこう。

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