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町並みは近代の産物?

美しい町並みというものがあると我々は思っているが、よく考えると、美しい町並みというものは、もともとない。町並みの美しさというものがいつの時点か生み出されて、その後、美しい町並みというものが作り出されたのだ。

町並みはそもそも人々の生活の場である。それぞれの住居にそれぞれの家族が住み、そこで人生を送る。それぞれの家族の状況や収入の状況や仕事の状況にあわせて、建物を付け足したり、作り替えたり、あるいは新たに建て替えたりしながら、生活を営んでいる。時間の流れの中で、建築の技術や材料が新しくなれば、新しい技術や新しい材料で建て替えられるだろう。一つの町並みの中で、個々の建物が異なることの方が自然である。

ただ近代以前の時代においては、材料は木材やカヤ・竹・土・石などの自然材料や、あるいはそれらを加工した瓦や漆喰が用いられており、技術的にも平屋がほとんどで一般的な住居としては2階建ては稀であった。結果として、似通った建物が建ち並ぶ町並みができていたと言える。

町並みの保存という発想は、そうした自然に出来上がっていたものが、壊されていく中で生まれてきたものではないか。もっと言えば、現在の町並み保存は、必ずしも正しいとは言えないモデルを設定して、それに当てはめるかたちで無理やり不自然な町並みを作り出しているのではないかという疑問が拭えない。

なぜこんな話をしているかというと、来週訪れるバヤンのことを考えていたからである。バヤンは歴史的な履歴を持つ地域である。中心に16世紀の建造と考えられる木造モスクがあり、ロンボク島のイスラーム伝導の中心地である。一方で、土着の信仰・ヒンドゥー・イスラームとの混淆によるウェトゥテルという独自の信仰を持ち、儀礼の場であるカンプは、竹の塀で囲われ、古式を守る住居・釜屋・ブルガが並ぶ。年に一度のマウリッド・アダット・バヤンを始め、様々な儀礼がしばしば行われている。では、集落全体が町並み保存地区のように伝統的な住居で占められているかというと、まったくそうではない。2018年のロンボク島地震で集落の様相は若干変化したが、それ以前でも木造の伝統的な形式の住居はほとんどなく、レンガあるいはコンクリートブロックを積み上げ表面にモルタルを塗った壁、波板鉄板あるいは瓦の屋根の住居が建ち並ぶ。

つまり、地域の伝統とは、町並みで表現されるものではなく、信仰に結びついた建造物と儀礼のための場と繰り返し行われる儀礼によって継承されるものなのである。我々の住む地域を改めてみてみると、その状況は共通している。現代の技術にもとづき家はどんどん進化している。必ずしも景観形成に寄与するものは多くないが、そうした新しい家がばらばらに立ちならびながら町並みが形成されていく。一方で、神社は森に囲まれた境内と、古い形式を残す本殿とで地域の自然や歴史を継承していく。寺院も古い建物のものもあるが、一般的に神社と比べると寺院の方は現代的に建て替わるケースが多いように思う。神社で行われる秋祭りなどの祭り、子どもの成長にあわせて行われるお参り、年始の初詣、寺院で行われれる法事や墓参りなどの神や祖先とつながる儀礼は根強く残っている。それが自然な地域の時の受容の仕方だと思う。240913

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