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アクロアイトの風 -春待つ二人-

笑い声が聞こえる。
ふたつ。
ひとつは、君の声。
もうひとつは、私の声。
自分のことなのに、不思議と俯瞰で二人の姿が見える。
あ、夢だ。
これは夢。
まだ、私が一人で歩けたときの、まだ、なんの不安もなく一緒に笑いあえた時の、夢――。

「目が醒めた?」
君は隣で、少し眠そうな、でもすごく優しい顔で私にそう言った。
「うん」
夢を見て……、そんな言葉が喉を押し上げようとするけれど、重たい蓋がのしかかっているようで、思うように声が出ない。
寝起きだから?いや、思い出さないようにするため、かもしれない。
「変な夢でも見た?」
そんな私の気持ちを見透かすように、君が問いかける。
変、ではないな。
楽しい記憶。
それを思い出さないようにする、なんて、やっぱり変なのかもしれない。
「ううん、忘れちゃったけど、なんか楽しい夢だった気がする」
「そう。喉乾いてたら何か持ってくるよ」
「大丈夫、ありがとう……あ、やっぱり水、貰ってもいい?」
「オーケー、水ね」
椅子がギッと音をたて、君はこの部屋を出る。
ちょっと遠いんだよな、自販機から。
束の間の一人の時間に、さっき見た夢を思い出す。
忘れたのは、嘘。
話したくないわけじゃないけど、話すとさ、見るのが辛いんだ。
君の顔、優しく微笑んでいるようで、少し悲しげなのが、わかっちゃうんだな。だてに長いこと一緒にいないよね。
そんな君の顔が、私の自覚を促す。
あ、治ってないんだ、って。
あの時と同じようには笑えないんだ、って――。
あの笑顔は二人で作ってたんだなって、今更ながらに思う。
思い出を夢中で話してる時、私は病気のことを忘れられる。
その瞬間だけは昔に戻れる。
でもふと君の顔を見ると……。
いつからか、君が教えてくれる本や映画の話ばっかりするようになってしまったな。
「買ってきたよ」
カラカラ、と音を立てる扉に被せて君が言う。
そういうちょっと前のめりになってくれるところが、昔から好きだ。
「ありがとう」
御礼を言って水を受け取る。もちろん、キャップはもう開けられてる。よくできるな、と私はいつも感心してしまう。
ペットボトルに口をつける私に、君は問う。
「そういえばさ、この前勧めた映画はどうだった?個人的には今年のNo.1だと思ってるんだよね」
言い終えると同時に、コクンと喉が震える。
「あ、すごく良かった!ベタな恋愛ドラマかと思いきや、すごい登場人物の気持ちや情景が丁寧に描かれてて、すごい感情移入しちゃった」
「だよね!」
嬉しそうに相槌を打つ君に、私もどこか嬉しくなる。
こうして過ごす1日が、とてつもなく愛おしく、狂おしいほど貴重に感じる私は、『焦がれる』の本当の意味を知ったんだ。

「手を――、握ってください」
柄にもなく敬語で話してしまう。
ちょっとさ、息が苦しくて……懇願するような気持ちになってしまって。
慇懃無礼とかいう言葉もあるけど、そうじゃないことは、君ならわかってくれるよね。
「……」
無言で私の手を握る君。
怒ってる、わけないんだけど、君のことだし、たぶん色々考えちゃって、無言なんだよね。
でも、こういう時一言あると嬉しかったりするよ、少なくとも私は。
「大丈夫?」
なわけ……って、あーやだ。
自分に余裕がないと優しくできないって、本当なんだな。
口にこそ出さないものの、頭の中でネガティブな感情がぐるぐるぐるぐる渦巻いているのを鬱陶しく感じる。
君といる時間は少しでもいいものにしたいのに。
「あれ、やってよ……こ、いびと、つなぎ」
面食らうな。ちょっと不機嫌ぽくしちゃったから、こっちだって恥ずかしいんじゃ。
「うん。……どう?」
あ、違うねやっぱ。安心するわ。こっちの方が。だって慣れてるもん。いつも出掛ける時はこうだったもんね。
「安心する、なんか」
でもなんか……なんか、思い出しちゃうな。
特に理由もなく夜道を二人で散歩して、まだ3月だったから、結構肌寒いのに、もう3月だからって薄着しすぎて、二人してガタガタ震えて――。
花火も見たなぁ。
河川敷沿いに実家がある私にとって、花火って正直特別なものって感じじゃなかった。
でも、やたらと君が花火!花火!っていうからさ、行ったよね。海。伊豆だっけ。うん。伊豆。
目の前で見る花火って、こんなに迫力違うの!?って、花火が打ちあがるたびに体がビクッって反応する私を、落ち着かせるかのように、ギュって握ってくれてたよね。
たぶんすごく赤くなっちゃってたと思う。今更だけどごめんね。
でも、暗くて色なんてわかんなかった。
ただ、なんか、熱かったなぁ。
「なんか、色々思い出すね」
君の声が、今はすごく優しく私の体に響くよ。
「うん、また、花火とか見に行きたいね」
「見に行こう。もっとすごいところがあるらしいよ」
「えー!絶対行く」
約束って、不思議な力があるなって思う。
「あ、花火だと結構先になるけどさ、花見はどう?とんでもない桜並木が意外と近くにあるらしいよ」
「行きたい!見たい!桜の花なんて学校に咲いてるのくらいしか意識してみたことない」
約束することで、ネガティブな気持ちが少し薄くなっていく気がする。
目標ができた、みたいな。
「そんな話してたらすごい行きたくなってきた。早く春にならないかな」
病気で息が苦しいのと、ちょっと興奮して息があがったのがごちゃごちゃになって、少しだけ気分が晴れた気がした。不思議だな。同じ息苦しさなのに、原因が違うだけでこんなに感情が変わるんだもんな。
「もうすぐだよ」
「そうだね。外出許可も、出るかもしれないよって、この前お医者さんに言われたんだ」
「マジか、ナイス」
「大きな病院来ちゃって、周りも全然わかんないけど、結構栄えてるみたいだし、普通に散歩もしてみたいな」
「もうすぐに温かくなるよ」
「ね、なるといいな――」
ああ、会話って、意外と体力使うんだな――。
そんなことを考えながら、いつの間にか私は眠ってしまっていたらしい。

痛い、痛い。
痛い痛い痛いいたいいたいたいたい!
さっきまで普通だったのに。
さっきまでちょっと息苦しいだけだったのに!
さっきまで普通に会話できてたのに!
経験したことのない痛みに焦る。
ナースコールは?
先生は?
点滴つながってる?
てゆーか体はちゃんとある?
バラバラになりそう、てかなってる。
手も足も、頭も顔も指先も。
ジンジンしてガンガンしてビリビリして……。
もう、何が何だかわからない。
――ん?
誰か何か言ってる?
耳がどこについてるかもわからない。
何か聞こえる気がする。
……。
ちょっとだけ痛みが落ち着いた気がする。
これは、君の声?
いるの?
もう帰ったんじゃなかった?
それは昨日?
ああ、何が何だかわからない。
バラバラだった体が、ちょっとずつまとまってきた気がする。
四方八方に散らばってた体のパーツが、なんとなくある方向だけはあってきたような……。
手。
右手?
左手?
たぶん、左手。
ちょっと重い。
あ、繋いでくれてるみたい、手。
左は……、こっちか。
全意識を頭の方に持ってきて、少しだけだけど左を見る。
やめてよ、そんな顔。
私、まだ生きてるよ――。

「外出許可でないかなぁ」
独り言のようにポツリ。君が横にいるのはもちろん知ってる。だからこれは独り言のようで独り言じゃない。人間て面白い。
「出てほしいけどね。また発作が起きたら怖くない?」
この前のことは、私にとってはもちろんだけど、君にとっても結構なトラウマだったみたい。
「そうだけどさ、落ち着いてたら別にそこまで、って感じなのよね」
「わかるけど」
けど、の先には何もない。本来は何かつなげるべきなんだろうけど、テストだったら減点なんだろうけど。たぶん言いにくい何かが隠れてるんだろう。でも、何もないから何もない。本当は言いたかった何かを、私が聞いて気分が沈むこともないし、勝手に予想して怒るなんてこともない。いや。ホントはちょっと沈んでる。気遣いがわかるから尚更。
「映画でも見ようよ、また気に入ってくれそうなの見つけたんだよね」
ちょっと気まずい雰囲気を振り払うように話しかけてくる君。
「映画かぁ、確かに最近バタバタして観てなかったなぁ」
「ね、一応ここでも観れるし――」
「や、映画はやめよう」
そんな悲しそうな顔しないでさ。
「なんかさ、思い出話とかしたいなーって」
安心した?ん?私が嫌がってたじゃんて?
「なんかそんなフェーズは越えたっていうか……とにかくさ、話したいのよ。いろいろ。これからのことでもいいけど、振り返ろうよ。私たちの歴史」
なんて、仰々しいこと言ってるけど、本当は違う。
もちろん歴史は振り返りたいけど!
本当は、声が聴きたいの。君の。
きっと、遠くない未来、私は遠くに行ってしまう。
君はきっと、まだだいぶ長いことこの世界にいると思う。
だから、忘れたくないんだ。
人って、最初に忘れちゃうんだって。声。
顔とかじゃなくって、声。
こっちに来たら呼んでほしいじゃん?
おまたせ!って。
そしたら、すぐ振り返りたいじゃん?
おそいよ!って。
だから、いっぱい喋ろう。たくさん喋ろう。一日中喋ろう。
絶対忘れないよ。君の声。
もちろん、君も、私の声、絶対覚えているように!

――ねぇ、風が気持ちいいよ。
もう、桜も咲いてるよ。
花見、行こうよ……。
慌ただしく動く周りの世界は、残像にしか見えなくて。
僕にできることはただひとつ、願うこと。
これは、嘘だ。
って――

君が望んでた春は、風とともに君を連れ去った。
ただ、一人で過ごすには、広すぎる、部屋を残して――。

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