ギリギリスタート→何とか間に合う、は切り札にしておきたい
こんばんは、曇天です。
子どもの頃からずっとギリギリスタートマンな私です。
コンスタントにこなして結果に繋げることが日常的に出来るなら、それこそそれがベストだと思う。ただそれが出来るならばこちらも困難さはないわけで。
そもそも論として、発達障害の場合コンスタントに日常を過ごせる状態にない性質なのかなと思う。日常に対してイレギュラーが多すぎる。気圧に振り回されるし、感覚過敏ゆえに様々なものに振り回される。自分の力だけじゃどうにもならない部分が多過ぎて、服薬や補助器具があってもしんどい。
毎日がトライアスロン。
そんな中で否が応でもギリギリスタートになってしまうことが多々ある。
そしてそのギリギリスタート→何とか間に合うの図式が必要悪的に存在する。
そしてこれが下手に身に付くと、まぁなんとかなるでしょを拗らせて毎回何かにつけて追われている状態になる。
まぁ過去の私であり、現在の息子でもある(白目)
なので、ギリギリスタートを切り札にし、極力コンスタントに物事をこなせるようにするために自分の特性を知る必要や説明できる能力を身に付けること、そして自分にあった方法を探る。その先にはそれを身に付ける行程が待っている。
まぁこれがめんどくさくて頓挫して身に付かないなんてことはざらである。スモールステップ踏まないとすぐ挫折するから気を付けねばならない。
更に言えば焦りは禁物。
特性として、見通しをつけることは出来るが目の前のハードルよりも先の目処が気になってしまい、ハードルが目に入らなくなってしまうというものがあるからだ。
いくつかパターンはあると思うが、息子は見通しはつけられるが見通しをつけたことによってそこへ辿り着くまでの行程が鬱陶しくなってしまうというのがある。なので最初から最終目標を表示するよりも、一旦ここまでは出来た方がいいかな?くらいの目安…からもう少し低い所にフラッグをたてておくと達成しやすく充足感も得やすい。この繰り返し。
ただこれが大人が自分でするとなると、誰かが止めてくれなかったり焦って無理して結局心折れる事が多いのでスケジュールを作り且つ出来そうでもこれ以上はしないというのを線引きした方がいいのかもしれない。無理って長続きしないもんね。
あくまで大事なのは常に何かに終われている状態ではない様にすること。
ギリギリスタートは切り札にしておきたいということ。
そして、コンスタントに物事をこなせた方が安定や信頼に繋がるという経験だ。
ギリギリスタートだって別に悪いことじゃない。
でもいつも何かに追われている状態は心が休まらないし、より疲労を蓄積させることになる。
そうするとまたギリギリスタートになって、というのを繰り返すことになる。
自分に課題を出すことで苦しくなるのではなく、生活リズムが安定するくらいライトなものにしておきたいものだ。
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