初の単著「ICT主任の仕事術 仕事を最適化し、学びを深めるコツ」を刊行します。〜主任仕事編〜
こちらの記事では単著「ICT主任の仕事術 仕事を最適化し、学びを深めるコツ」に込めた想いと概要をお伝えしました。
記事の最後に「理念かハウトゥーか」という二元論でなく、「理念につながった実践(ハウトゥー)をつくり続けることが大切」とかきました。
この本における教育理念は
①学校では学習者自身に自分の資質や興味、課題に応じた学びをする権利(学びのオーナーシップ)があること
②学びのオーナーシップがある学習者が相互的に関わりを持てる場をつくるのが本書でフォーカスしている教育技術であること。→理念としては学校においてそう言った場をデザインすること
それは対学習者という意味でも、チームビルディングの意味でも同じだと思います。
今回「学習者」という表現を多用しているのも、大人/教員も「学習者」という観点でみれば仮に教える側であったとしても子どもと対等な関係だと考えているからです。(学習者という観点でなくとも一人の人として対等な関係ではあるのですが。)
そう言った前提でどのような本書での組織・学びのデザインを見ていきましょう。今回は主任仕事編です。
主任仕事編
主任仕事編は主にICTのC(Communication、人と人の関わり)に関して書きました。
ICTは効率化・自動化の側面がフォーカスされやすいですが、ICTの本質的は人の関わり方をスムーズにするもの、拡張するものだと考えているからです。
会議編
仕事で人と人が関わる場面の例として学年会など会議が例に挙げられるでしょう。
今までは立場や知識のある人(主任や管理職、ベテラン)が立場や知識のない人(若手や新人)にずっと話していると言った光景がイメージされやすいかと思います。
また、主任がやること(業務、タスク)を決め、それをチームで分担するというやり方(そして業務が偏る)がイメージされるのではないでしょうか。
(私も例に漏れず、そういったやり方を行っていた時期も長く、また、元来コミュニケーションが上手ではないことも相まって大変チームのコントロールには相当悩んで時期もありました。)
この2つの共通点はなんでしょうか。
それは「知識や技術、立場のある人がない人になにかをする」という構造です。
一見理にかなっているように思いますが、この仕組みをとる以上、以下の傾向が付き纏います。
①主任の能力以上のことはできない。(ですが、現場の課題は主任の能力以上のことが往往にしてある)
②主任のマネジメント適性によってチームの能力が左右される
③チームメンバー一人一人の資質を元にしていないのでパフォーマンスが上がらない(「資質を引き出せていない状態でもミスはしてはいけない」という無理難題になりやすい)
チームメンバーも上記三つの状態は避けたいはずです。ですが、知識や経験のみをベースにした対話だと上下関係が決まりやすいです。
逆に主任になる理由も主任研修を受けたり適性があるかどうかというより、一定のキャリアを積んだと認められたから主任になるのであって、適性を磨かれていないのに主任にさせられるケースやそもそも興味がないのに主任になるケースがよくあります。興味関心と役割のミスマッチは往往にしてあります。
(ICT主任に至っては「若いから担当」と言った決め方もザラにあります。「役割が人をつくる」というのは本人が納得したから使える言葉であって無理やり仕事を押し付ける言葉にしてはいけません。)
主任側にも難しさがあるのがこの構造の厄介なところです。(ちなみにgoogleで中間管理職と入力すると「中間管理職 ストレス」「中間管理職 つらい」といったサジェストが出てきます。どの業界でも同じようなイメージがあるのでしょう。)
そこで使用したのがgoogle slideでの議事録作成です。
これは主任一人で書いたわけではなく、学年団にいる教務部の先生は教務部からの連絡を、3-1の担任は3-1の現状と対応を書いてもらいました。
会議の開始前に議題を紙で回して会議を始めるやり方は多いと思いますが、この仕組みのポイントは会議のはじめに5~10分の時間を報告と議論に分けて書いてもらうことです。
会議中にやることで忙しい人や仕事の整理がうまくつけられない人からも報告が漏れることなくでてきます。報告していない人が悪いという風潮はありますが、報告する場を整えることに集中すれば誰かが悪者になりにくい場が作れます。
また、このやり方であれば報告は読むだけで済む(念を押したいものの場合は口頭も可)ので、報告時間の短縮=議論の時間の拡張につながります。せっかく全員の時間を合わせて、全員の時間を使っているのですから、会議は対話・議論の時間を中心にしたいものです。
教員は授業が終わった後や授業の合間に会議をします。決まった時間を有意義に使うためのデザインに必要なのがICTなんだと思います。(定時以降に会議を設定したり、会議を延長するのはもってのほかです。)
会議は定期的な学年会もありますが、運動会などの行事に対しても行います。その際には以下のようなシートを使いました。
行事の担当になると解決できない問題やあるのに行事担当の責任になってしまったり、それぞれの不安なポイントがわからず、「行事は終わったが不満が残る」こともあるでしょう。
なので、行事が始まる前に一人一人の立場や気持ちを開示できるような仕組みをつくることが必要だと思いました。
どちらも気持ちや現状を開示する機会を設け、立ち戻ったり、それに対して振り返ったりすることでコミュニケーションのズレを確認できるようにすることが大切です。(コミュニケーションのズレは往往にしていつのまにか回復不能なまでに大きくなることがあるからです。)
後輩指導、研鑽編
主任という立場上、後輩の育成を求めることがあるでしょう。この場合も上記の「知識や技術、立場のある人がない人になにかをする」という構造から起こることが悩みの種になることがあります。
教わる側から言えば
①自分の教育観を理解される前に技術だけ教わり、教わった通りにできないと減点される≒教えてくれる人との相性がある
②経験がある人と同じことができない
③その時の気分や印象でフィードバックをされる
といった悩みはどの業界でも一緒でしょうし、
教える側からすれば
①できないポイントのかわからない(熟達者は初心者と感覚が違う)
②どう伝えていいかわからない
③指摘が非難に捉えられてしまう
と言ったこともあるでしょう。
まさにコミュニケーションに課題が生まれやすい構造なのです。
こちらも行事のフィードバックのように授業実践やフィードバックをかけたい部分に関して「ねらい」と「やること」を事前に明示しておく必要がありますが、それと同じくらい大事なのは事実を元にフィードバックすることです。
授業を映像で撮り、その映像を元に「どう感じたか」「どういうねらいだったのか」というヒアリングと「この子ども動きをどう解釈するか」といった解釈をすれば少なくともズレは起きにくいですし、気分や印象によるフィードバックは少なくなります。
授業風景を全て覚えているのは授業者も観察者(この場合主任)も難しいです。なので、映像記録を元にフィードバックすることをお勧めします。
また、フィードバック自体もICTを用いて記録化できると次につながりますし、記録が残っていれば上記同様ズレは起きにくいですし、気分や印象によるフィードバックは少なくなります。
また、この方法で良かったなと思ったことは手法のみを教えることが少なくなったことです。どちらかというと学習者の状況の解釈を交換するような感じでした。
目の前の状況の解釈が洗練されてくると取る行動も変わってきます。自ずと授業が上手になったり、以降の学習者(この場合は後輩/新人)の学びの方向性に影響が出ました。
そういた環境があって学習者の「学びのオーナーシップ」が拡張されるのだと思います。
といった形でコミュニケーションには課題が残りがちです。それをICTの力をつかって乗り越えることができれば、主任の方々の負荷も下がり、その分目の前の学習者に集中できるのではないでしょうか。
次回は教科&探究実践編です。
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