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#004 貧困家庭から大学入学した話

今回は人生経験のお話をしてみようと思います。

自分は貧困家庭育ちだと思って過ごしてきましたが、そう断言することには葛藤がありました。
なぜなら、よく社会で取り上げられるようなご飯が出てこない、光熱費が止められるというイメージの貧困家庭とは違っていたからです。
また、自分なりに大変だと思ってもそれを人に話してみるという考えもなかったので表に出づらく、一家庭のことなので他と比べるのが難しいという理由もありました。

貧困家庭だと確信に近いものがあったのは大学生の頃に作成した授業料免除の申請書類です。そこに親の年収を記載する欄があり、この頃には揺るぎない事実として受け止めていたように思います。
そして大人になるにつれ、当時の環境はやっぱり大変だったと思えるようにもなりました。

ですので今回は、自分を貧困家庭育ちと認め、その経験を振り返ることで自分を見つめ直し、それを糧に次のステップに進みたいという思いから書くことにしました。

どんなところから貧困家庭だと思ったか

冒頭で少し触れましたが…具体的には父が口癖のように「お金なんてない」と言っていたこと、自営業の父は仕事があったりなかったりで家にいることも珍しくなかったこと、などが積み重なって子どもながらにそう思ったような気がします。

父は統合失調症という心の病を抱えていました。それがあって母は家庭のことが心配だったと思うのですが、あまり家を空けることがなく、内職や近場で午前中数時間だけのパートをしていました。
そういった事情を総合的に鑑みて貧困家庭なのだろうな…と思っていました。

家庭の状況について

父は病気の影響があったのかもしれませんが…怒らせると手がつけられなくなるので、子どもながらに父を怒らせてはいけない、家庭の中で波風を立ててはいけない、何かあっても自分が我慢して親に心配や迷惑をかけないようにしよう、自分が頑張れば丸く収まることがある、と思いながら過ごしていました。家庭内のことで周りに助けを求めるという選択肢さえ思い浮かばないまま、ただ時間が過ぎていくのを待っているような子ども時代でした。また、子どもながらに気を遣い、自分の誕生日プレゼントですら安い物を選んだり、本当に欲しい物には興味がない振りをしてしまう子どもでした。

統合失調症という心の病については、今ほどには社会の認識がなかったり関心が低かったり、表沙汰にすることが憚られるような風潮や社会からのサポートを受けにくい雰囲気があったと思います。
ですので今では父がそのような生き方をせざるを得なかったのは責められないと思っています。

高校受験について

進路を決めなければいけない頃、たまたま実家から徒歩40分くらいで通える場所に県立高校が新設されることになりました。
通学費をかけずに通えること、普通科があったこと、幸いその時の自分の学力で合格圏内に入っていたこと、新しい校舎に魅力を感じたことなどから、そこに進路を決めました。

高校受験をする時には、その先の大学進学については現実味を帯びていませんでした。自分たちの代が1期生で自分たちの進路状況が実績になるところがあり、この時点では進学校を選んだつもりもありませんでした。
一方、就職や専門学校への進学というイメージも持っておらず、自分がしたいことや進みたい方向が分からないから、可能性・選択肢を残しておきたいと「普通科」に惹かれた記憶があります。

いつしか、自分がどうしたいかではなくできるだけお金のかからない選択、親に心配をかけない選択をするということが当たり前になっていたような気もします。

なぜ大学受験しようと思ったのか

新設校ということもあり、教え方も人格も優秀な先生方が多い印象でした。普通科は1クラス30人ほどで2クラスしかなかったため先生方の手厚いサポートを受けられました。きっと生徒数の多い進学校にはない恩恵を受けることができたのだろうと有難く思っています。

大学進学についてのサポートも手厚く、次第に大学進学に気持ちが傾いていきました。明るい将来になる可能性を高めるために大学に進みたいとも考えていました。

本格的に進路を決める時期になり母に大学進学希望を伝えたところ、予想外だったとは思いますが、否定されることはありませんでした。経済的な余裕はなかったので国公立大学に絞って受験することも併せて伝えました。

学校の授業と通信教育で受験勉強をしていましたが、当初希望の大学・学部・学科は合格圏内に程遠く、3番手くらいの大学・学部・学科を目指していました。
この時、自分も不安で不安で仕方なかったのになぜか(…苦笑…)親に心配をかけないよう模試の判定結果などを見せて安心感を与えていました。

受験結果

大学入試センター試験の結果は芳しくなく自己採点した時は諦めモードでした。しかしその年の平均点が低く、担任の先生が受かる可能性があるから、と二次試験に進むことを後押ししてくれました。二次試験は小論文試験だけだったため国語の先生にも取り次いでくれました。国語の先生も本当に親身になって対応してくれました。少人数だからこそというのもあると思うのですが、自分一人のために手弁当でこんなにも尽くしてしてもらえたことに感謝の気持ちでいっぱいでした。

その甲斐あって無事に合格することができました。担任の先生や国語の先生はじめ、お世話になった先生方に報告やお礼を伝えられた時は嬉しかったです。

大学生活のこと

合格が分かった瞬間の安堵とは対照的に時間が経つにつれ大学の授業についていけるのか、大学生活を送るうえで経済面は大丈夫なのかと不安を抱えた始まりでもありました。
しかし、幸運なことにアルバイトが見つかり日本学生支援機構の第一種奨学金もいただけることになりました。そして友達だちにも恵まれました。

  1. 授業のこと
    授業については、とりわけ前期試験の結果が分かるまでは不安で不安で仕方がありませんでした。周りの人たちが優秀に見え、それと比べて「かろうじて合格した」自分に対して劣等感を持っていたからです。
    当初はもっと偏差値の高い大学を志望していた友だちや地元では有名な進学校だった友だちが周りに多かったことも関係していました。
    そんな自分が、そもそも単位を取れるかどうかすら心配な中、授業料免除申請の基準を満たすGPAを取らなければならず、プレッシャーを感じていました。

    幸い無事に試験を終え概ね良い評価をいただくことができました。おかげさまで授業料免除の申請も通り安堵しました。
    授業料免除申請は半期ごとにあるので大学4年生まで続きましたが、回を重ねるごとに大学の授業についても分かってきて、最初に感じた未知の不安はなくなり自分に対して自信を持てるようになっていきました。

  2. 奨学金のこと
    日本学生支援機構の奨学金月5万円を借りることはできたのですが、その金額全てを自分で使えるとは限らない状況でした。先の見通しが立たず日々の生活費を切り詰めてもアルバイトの収入だけでは足りずお金の不安はなくなることはありませんでした。

    しかし大学3年生に上がる年の春休みに転機が訪れました。有難いことに大学独自の返還不要の奨学生に推薦していただき大学3~4年生の2年間、月3万円の奨学金をいただけることになりました。この奨学金制度自体は前年から始まった制度で時期的にも、とても幸運なことでした。

    大学2年生の頃、次年度から始まるゼミに向けての準備期間のような少人数制の演習がありました。確か学籍番号順でグループ分けされていたと思います。その時の担当教員が有難いことに私のことを評価してくださり奨学生に推薦してくださったことがきっかけでした。

この経験を通して気付いたこと

  1. 家庭環境のこと
    自分が大変だったことは素直にその大変さを認めることが大切だと気付きました。また、家庭の中の問題は周りからは見えづらいからこそ、耐えたり一人で抱え込んだりせず周りに相談すべきだと気付きました。「しなくても良い苦労」もあると思うので必要な支援を受けるための方法を考えたり行動することが大切だと学びました。

  2. 大学生活のこと
    大学にかろうじて合格し劣等感を抱いていたとしても、それなりに授業についていけるようになり、自分のことを卑下する必要はないことに気付きました。また大学の試験は論述が多い印象ですが、自分が興味のある分野について文章を書くことが好きだったことにも気づきました。

  3. 恵まれていたこと
    高校生のときは偶々、実家の近くに新しい高校が設立され、先生、友だち、環境に恵まれ大学進学を目指し合格することができました。
    大学生のときも偶々、前年度から新しく大学独自の返還不要の奨学金が始まり、演習で知り合えた教員が自分を推薦してくださったからこそ、その奨学金をいただけることにつながり有難かったです。

最後に

率直に言うと精神的にも経済的にも親を頼れなかったことは今でも心の傷になっています。
しかし、自分の場合は幸運なことに要所要所で人や環境に恵まれ、おかげ様でふてくされずに過ごすことができました。どこか一つでも欠けていたら、こんな風に生きることはできなかったかもしれないと思うことがあります。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

まだ方法は模索中ですが、自分が助けられたことや支えられたことを、これからの世代へ還元したいです。

最後まで読んでくださりありがとうございました。
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