街からゴミ箱が消えていく

最近、外のゴミ箱が減っているなぁと感じる。
駅の中、コンビニの前、自販機の横。ペットボトルとかビン・カンのゴミ箱はまだ比較的健在だけど、燃えるごみみたいな一般ごみのものは公共の場から消えてきている気がする。
家の最寄りでかれこれ6年ぐらい使っている駅がある。電車通学が始まった高校時代から使っている駅だけど、ちょっと前まではゴミ箱が設置されていた。コロナが流行りだした時もしばらくは使えていた気がするけど、衛生面の観点からなのか、(コロナによる人手不足の影響で)労働量削減のためなのか、はたまたテロ対策の観点(一時期鉄道を狙ったテロじみた行為が頻発したため)からなのかゴミ箱閉鎖の貼り紙が見られるようになり、その1か月後ぐらいには駅からゴミ箱が撤去されていた。
これは最寄り駅だけじゃなくて通学途中で使う乗換駅の他者路線ホームのゴミ箱もほぼ同じぐらいの時期で撤去されていた。「最寄り駅のゴミ箱が使えなくてもここの駅にあるし」と思っていたら突如として消えていてちょっとした不便さを感じたのを覚えている。
駅のゴミ箱が消え始めるちょっと前からコンビニのゴミ箱も段々「内向的」になっていたと思う。これは単純にタイミングの問題だけど、いつも通り道にあったとあるコンビニは外にゴミ箱が置いてあった。だけど数か月前に閉店してしまいゴミ箱も一緒に消えた。ますます不便さを覚える。

とは言えゴミ箱を撤去する理由もなんとなくわかる。ここまでつらつらと「ゴミ箱があるのが当たり前!」みたいなノリで書いてきたけど、ゴミ箱からゴミが溢れている光景はよくみかけたし、ゴミが溢れていてもなおジェンガの如く上に積み上げる人やゴミ箱の外にごみを置く人を見かけることもあった。
自分は流石にゴミが溢れていたら自分のゴミは持ち帰っていたけど、これを他の業務と一緒に行わなくちゃいけない駅員や店員も大変だよなぁと他人事のようだけどよく思ってた。そりゃゴミ箱閉鎖したくなるわ…。

さて、ゴミ箱が街から徐々に消えてきているという話だけど、徐々に消えてきている分「今となってはレア的存在になってきた現役のゴミ箱」にそのしわ寄せがきているように感じる。自分が知っている駅やコンビニの外に設置されているゴミ箱。最近はそのゴミ箱を見かけるほぼ毎回でゴミが溢れている。たまたま回収直前の時間ばっかり通ってる可能性もあるけど。
いずれにせよ尋常じゃない量のごみがゴミ箱に入れられて、もはやゴミ箱のキャパを超えている。「このままだと近いうちにここのゴミ箱も撤去されちゃうのかな…」とちょっとした危機を感じている。

別にゴミ箱にごみを捨てる人が悪いって言いたいわけじゃない。たしかにゴミが溢れてもなお捨てようとしたりゴミ箱の近くに置いといたりするのは流石に自分の感性と合わなくて理解し難いけど、でも結局ゴミ箱があるのは便利だからそこに捨てたくなる気持ちは分かる。
一方でそんな自分の我が儘を密かに負担して受け入れてくれている人がいることも重々承知している。むしろ「快適・便利」と思えることの裏には常にそれを支えてくれる人がいる。だからゴミ箱設置を維持してくれている人たちに感謝しなくちゃいけない。

便利とか快適だとか、そういうことって意外と自発的には気付けなくて、「便利なもの」が無くなってから初めて「不便だ」と感じると同時に今までが「便利"だった"」ことに気付かされる。


帰り際にコンビニでお惣菜を買った。イートインスペースで食べてそのままコンビニのゴミ箱に捨てようとしたけどゴミで溢れていた。ちょうどこの後電車に乗るし、と思って駅のゴミ箱で捨てようと思ったけど残念ながらそちらもゴミで溢れていた。仕方なくゴミを家まで持ち帰ることにしたけど、次の一般ごみ回収日は3日後。
改めて街中のゴミ箱のありがたさを実感しました。持ち帰ったごみ、洗って捨てなきゃ…