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自分の執筆のクセ【日常生活】

 文章を読むのはそこまで得意じゃない。小学校の時は日常的に本を読まない子供だったし、中高での国語(現代文/古文)は一番と言っていいほどの苦手教科だった。現代文のテストではどれだけ本文を読んでも選択肢の意味が分からないし、解説を聞いてもしっくりこないものばかり。古文なんか活用形を覚えるだけで一苦労。行間の読める人間がちょっと羨ましかった。

 一方で、自分は執筆作業が好きだった。「だった」というより今も好き。小学生――あるいは小学校に入る前からそうだったのかもしれない――の時から自分で世界を創造するのが好きで、何かしらのストーリーをつくることは大好きだった。いわゆる「ごっこ遊び」もよくやっていたし、自由帳にいろんなものを描いていた。2つ上の姉が小学生の時に自由帳に漫画を描いていたのに触発され、自分もしばしば漫画を描いていた。しかし自分は人物の絵を描くセンスが無かった。昔から好きだった電車はしばしば絵を描いていたから面がはっきりしたものを描くのは苦労しなかったけど、人物なんて曲面の塊で漫画を描こうにもストーリーは思い浮かんでもそれを表現するのに苦労した。そして早々にして「自分には人物の絵を描くのは無理だ」ということに気が付き、諦めた。
 その後に出会ったのが「執筆作業」だった。普段小説を読まない自分にはちょっとハードルが高かったことを今でも覚えている。でも、ある日家の棚の奥底に親が昔買っていたB5判の原稿用紙を見つけ「もう使わないからあげるよ」と言われてもらったのがきっかけだったように思う。相変わらず物語を作ることは大好きだったし、でも漫画を描くことはほぼ諦めていたからやってみようという気持ちになったのだ。

 最初は小説の書き方がわからず、原稿用紙のマスの一部を区切って挿絵ばかり描いていた。それでも、夜寝る前にベッドに座った状態で、膝の上に厚紙とか下敷きを敷いて夢中になって原稿用紙に文字を綴っていたことを覚えている。初めて小説が完成してすぐ、姉に読んでもらったが「話がよくわかんない」と言われたことを覚えている。もちろん多少はショックを受けたが、それ以上に「次はもっと上手な小説を書くぞ」という気持ちが芽生えた。

 それからというものの、ちゃんと作品として完成させたのは小学校高学年の時に書いたものと中学校の時に書いた2作品ぐらいだ。当時ちょうどラノベが流行り始めた頃で、一時は「将来、ネット小説家もいいかも?」と思った時もあったけど今思えば自分の実力じゃ到底無理だったな。趣味程度に留めていてよかったと思う。

 久々に自分の過去の作品を読み返すと、文章の書きかたは案外変わらないことに気付かされる。中学、高校、大学と環境は大きく変わった。生活圏が異なれば行動範囲も広くなったし、いろんな人に出会うようになった。そして自分の性格も多少は変わってきているように思う。それでも文章の書き方は殆ど変わっていなくて、なんだかもどかしいような気分になる。

 自分が書く文章スタイルの癖は、なんとなく分かっているつもりでいる。ですます調より「~る。」とか「~だ。」を好む。その方が書きやすいから。何も考えずに書くと読点がやたらと多い。物事をちょっと遠回しに表現しがち。カギかっことかダッシュをよく用いる。

 読点が多くなるのは自分でもかなり気を付けているつもりだ。書いている時は違和感を覚えず書き進めているけど、ふとした時に読み返すとあまりに読点が多くて読みずらい。しかもこれ、メールとかLINEでより顕著になる。
 だから普段文章を書く時も気を付けるようにしたりメールとか送る前に必ず読み返してチェックするけど、意外と無くならないもの。

 今書いている文章も5年後とか10年後とかに読み返したら同じ感想を抱くんだろうな。


 分かるようで気が付けない、自分の執筆のくせ。