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太陽のような明るい人であり続けたい

お久しぶりです、よしとです。僕がnoteを初めてだいぶ経ちますね。

僕がこんな記事を書いていたのを知っている人はいるのでしょうか?「チームの太陽のようなデザイナーになりたい」という僕の最初の記事です。

あれからだいぶ経ちまして置かれている環境が大幅に変わりました。なんなら僕はデザイナーではなくなりました(プランナーです)。そっちの方が向いてたんでしょうね。

今でもこの記事に書いてあることが僕の原体験として強く根付いている気持ちです。今回はいま状況が大きく変わった中で心境の変化や変わらないものを話しながら今後どう誰かを明るくするり

僕はリーダーに向いてない

趣味の延長で実は今チームのリーダーをしています。そのチームとは「自分たちが面白いと思ったことを全力でする」がモットーのお遊び集団...という感じで楽しくわいわいしています。

前からいろんなリーダー、まとめ役を担うことがあるのですがはっきり言って僕はリーダー向いてないと思っています。

でもリーダーって誰もやりたがらなくて、自分がやるしかないことがとても多いですね。

そのためリーダーを任されるのですが悪い状況のほうが多かったです。人を引っ張ることは出来てもまとめるのがとても苦手でした。(自分自身が尖っている存在だから)。

それに気づいてから僕は「チームで...」と意識することがなくなりました。チーム一丸!という考えは今でも根底にはある大事な部分ですが誰がリーダーで...という枠組みは取っ払ったやり方でチームを回しています。

不器用だから自分のやれることはそんなにないと意識すると肩がおりました。そうしたらふと思いました。

「リーダーって統率するだけが仕事か?自分で動ける人材がいれば統率もいらないんじゃないか?」

そう思って自分のチームビルドに大きな欠点があるのに気づきました。結局一から理念とセットで自分で作るようにしないといけないと思いました。

僕はメンバーを少しずつ育てる形でチームビルドできるコミュニティを作りたいと思いました。それが今のチームです。

ここで言いたいのはリーダーでいることを意識しなくとも自分のやることは変わらず理解して行動することが出来ているということですね。今も変わらず「誰かのために」手をさし伸べます。

デザイナーじゃないキャリアへ

自分の誇れる能力は他の人にはない自分なりの視点、そしてアンテナを張り発見と転用を習慣化していること、そして圧倒的行動力...と思っています。

そして僕は本質的に人の体験を考えるUXデザイナーでした。でも僕が本当に得意なのはモノを整える力じゃなくてコトを作り出す設計でした。

僕は立体物を作るの得意じゃないし、神経質なのが悪い方向に進んでうまくいかない事が多かったです。アイデアは良かったのに卒業制作は地獄でした。

でも良い事もありました。それは自分はちゃんと面白いものを作れるんだという事実。それが自信になりプランナーとしての道を進むことを決意しました。

僕がデザインと本当の意味で出会うのは、高校二年生の頃です。この頃から僕は美術を専攻していました。中学生から美術をしたいと考えていたのですが、どういうものが自分に合っているかわかりませんでした。僕は特に絵が上手い訳ではありませんでした。しかし演出や表現が他の人と違って面白いと言われることが多かったです。       (高校2年生の頃の原体験)

プランナーとして進むことを決意したことが、高校の頃から自分のアイデアは面白いと褒められることが多くて嬉しかったことにリンクしました。

今ではマーケッターとして頑張って社会のための問題解決を考えて行動しています。少しでも誰かを笑顔にできるように成長したいです。

...とは言いつつも人の体験をデザインするUXの考え方は無駄にはなっていません。むしろそれまでに培ってきたペルソナ設計やストーリー戦略は自分にとって大きな武器になりました。

「変わったこと」と「変わらないもの」

「SNSでは人の側面しかわからない」でも話した通りに、人は誰かを変えることは出来ません。変えられるのは自分だけです。

自分を変える要因になるのは大きくは環境、人、社会...様々ですが僕が思うのは「自分の信念は捨てない限り変わらない」ということです。

リーダーを辞めた今でも、環境が変わり肩書きがデザイナーじゃなくなっても僕の根底の部分は今も変わっていません。

つまり僕は今でも「誰かの太陽のような優しい人」でありたいと思っています。そしておそらくこれからも思い続けます。

僕は人と関わることが大好きであらゆる面でコミュニケーションを重視しています。最近ボードゲームなどを通して遊んで過ごしています。

人を笑顔にすることで自分も楽しくなる利他的な考え方をよくするのでそれを続けていきたいと思っています。ここからは誰かの太陽のような存在についてもう少し深く掘り下げてみましょう。

誰かの太陽になること

結論を言うと「誰かの太陽になる」というのは誰かのためにヒーローでい続けるということです。利他的行動をしていきたいということです。

僕の名前の由来は「正義の人」という意味らしいです。自分の名前の由来を知る授業がありました。そこで知ってからその名前に会う生き方をしたいと思っていました。

その気持ちは10年以上変わらず続いています。その結果が僕という利他的人間です。

もちろん他人のことを考えて動くというのは自分も幸せでないと出来ない部分が大きいです。まずは「自分自身が幸せになって、その余波で他の人を助ける」ということをしたいと思っています。

でもそういう自分でい続けるのはとても辛く苦しいこともあると感じます。他者からの心ない一言で傷ついたりすることも多くあります。

現実はフィクションよりも優しくないのです。1人の人間が全員分の太陽にはなれません。

人との付き合いだし人との相性もあります。我が強い人とは揉めることも多くあります。だから人との関わりを見直す形で考え直すようにしました。

そうして「全員分の太陽にはなれない、でも誰かの太陽にはなれる」と思った僕は自分が本当に力になって助け、一緒に進みたい人は誰なのかを考えました。

想いは描く事自体に意味がある

「スパイダーマン:スパイダーバース」という映画でこのようなセリフがあります。

「この仕事の1番辛いことは、全員は助けられないことだ...」

スーパーパワーがあっても全員は助けられない...一般人ならなおさら。ノンフィクションで1人の力で1人以上を助けるというのはとても大変ですが逆に言えばその場その場で1人だけ助けることはできるかもしれません。

僕は力になりたいなと思った時に助けたい人を1人助けることを考えるようになりました。自分の技量が上がると助けれる人は増えるかもしれません。

人は最初から偉大にはなれません。ちょっとずつ進んで10年後くらいにやっとその道のプロになれるのですから。少しずつ自分の理想に近づいていきたいと思います。

最後にひとつだけ伝えたいことがあります。それは「想いは描く事に価値がある」ということです。

出来るかわからない、出来なかったとしても自分の信念、夢、やりたいことはいざという時に強い力になります。想いはどんな小さなことでもかまいません。

この記事を読んでくれた方はあなたの夢を考えてみてください。そしてその夢に向かって前に進めばあなたの暮らしを豊かにしてくれると思います。




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