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昭和、平成⇨令和と生きて②

私は昭和から平成⇒令和と生きている。

昭和生まれの私は祖父母は戦争を経験している大正生まれ。

大正世代の方々の言葉を聞く機会は本当に無くなって来ている。これは平成の終わりから令和の今になり、よく感じる。

そこで、おじいちゃんがくれた「歴史」を私の記憶が消える前に文字で残すようにする。

まず、この物語はおじいちゃんとおばぁちゃんが2人で歩んだ60年。
その2人で歩んだ物語はおばぁちゃんがおじいちゃんより8年早く天のお迎えが来て一度、エンディングを迎える。
そして、おじいちゃんはおばぁちゃんを最後に送る時にみんなの前に立ち、こう言った。
「私はやっぱり、妻を愛しているんだなぁ」
この短い言葉が全てを語る。いや、全てを語った。
こんな言葉が世の中に存在するんだ。。。
私は涙と共に空を見上げることしか出来ない。
おじいちゃんは大正生まれ、この時すでに88歳の九州男児だ。
この2人の人生に60年という長くも短い月日、
山あり谷あり、天国・地獄の人生だ。
それを一瞬のフレーズで誰もが共有し、しかし誰も入ることの出来ない2人だけの空間を創ったおじいちゃん。

あぁ、俺はこの人に追い付きたいなぁー
追い付いて付き添った愛する人に自分も同じ言葉が言える人間でいたいな。と思った。

自分の力でどこまで、この言葉を発せる者に近づき、短いフレーズで誰もが共有し、しかし誰も入ることの出来ない2人だけの空間を創ったおじいちゃんに近づけけるかは分からない。

 私の祖父は戦時中に理不尽な暴力を受けていた。 祖父はクリスチャンでした。戦争中はクリスチャンという理由でスパイと疑われ憲兵に追われる身になります。勿論、言葉の暴力も偏見もありました。

ただ、残念なのは、自分と違うモノに対して、言葉の暴力も偏見も90年経った今も無くならず存在してしまっている。
宗教の違いや容姿、生い立ち、個人のたった一つの発言、たった1回の感情的な態度や色々...
この色々に暴力や偏見をぶつける。何も変わらなかった。

それでも、人を信じ、他人を愛した祖父母。人生88年間生きて出て来るメッセージに人を動かす言葉。 

祖父は逃げた。戦時中、理不尽な暴力から逃げた。カッコいい。逃げてくれてありがとう!逃げてカッコ良い!本当に叫びたい!「逃げたの最高にカッコ良いよ!」.それが正解だったんだ。90年前は不正解にされたのかもしれないが、今は正解なんだ。

歳を重ね、終焉で表現は様々でも連れ添った愛する人に最高の言葉で送り出していける人生を歩むヒントになれば本当に嬉しいと思って書かせて貰います。

#メッセージ #大正 #逃げるが勝ち #価値観 #エッセイ


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