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アンフォールドザワールド 2

 私たち三人は、黒いなにかが走り去った後の芝生広場を、呆然と見つめていた。
「今のはなんだったの?」
 芝生に座り込んだまま、ほのかが私とちかこを見上げる。マスクをしたままだったことに気づいたのか、それをアゴの位置にずらす。
「てゆうか、キリン!」
「あっ! って、ええっ?」
 慌てて振り返ると、園路を挟んだ向こう側にいるキリンの夫婦は、なにごともなかったかのように木の葉を喰んでいた。
「なんともなっていないようですね。キリンの腹部は」
 恐る恐る、園路を横切ってキリンの柵の前に立つ。さっきまで確かに裂けていた雌キリンの腹は、大きく滑らかに膨らんだままだ。ちかこは三脚を園路に置き、撮影を続けている。
「ここにいたのは、私たち三人だけだったのか?」
 私の言葉に、ちかこがカメラをゆっくりと横にパンして、園内の全景を映し出す。
 園路の向こう側から、銀色に輝く人影が歩いてくる。ちかこは動画を録画中にしたまま、顔を上げる。

「おっ、女の子がいる。しかも三人も」
 近づいてきたその人は、私たちと同世代くらいの男の子だった。銀色に近い複雑な色味の半袖Tシャツを着て、グレーのスキニーパンツにグレーのブーツを履いている。気軽な笑顔で、私たち三人に話しかけてくる。
「三人ともかわいいね。何歳? このへんに住んでるの? 名前は?」
「えー、ほのかはあ、十四……」
「人に名前を尋ねるときは、まず自分から名乗るのが礼儀でしょう。常識的に」
 ほのかの返事をちかこがさえぎる。
「あっ、そういうものなの? 俺はイチゴ・クラウドイーター。十五歳。イチゴって呼んで」
「いちご! かわいい名前ー。ほのかはあ、仲谷ほのか。中学二年生だよ」
「結城ちかこ、中学一年生です。一応」
「ちょっとまて! なんで二人ともナチュラルに自己紹介しちゃってんの。どう考えても怪しいだろ、この人!」
「えっ、俺怪しい? まじで? だいぶこの世界に合わせてきたはずなんだけど、どっか変?」
「なんでそのTシャツ、そんなぎらぎら光ってんの。髪も水色だし!」
「人のファッションに文句ゆうのは失礼だよー。かっこいいし似合ってるからいいじゃない」
「ありがとう、ほのかもかわいいよ」
「えへー」
 だめだ、こいつら話にならない。私は脱力する。
「そうそう、もっと君たちと話していたいんだけど、俺、探しものをしてたんだった」
「なにをさがしてるのー?」
「君たち、『ナニガシ』を見なかった?」
「なんですか。ナニガシとは」
 ちかこの質問に、イチゴ・クラウドイーターと名乗る男は、腕を組んで少し考える。
「ナニガシはねえ、うーん。なんていうのかな。こう、大きかったり小さかったりで、形は色々で、動いたり動かなかったり……」
「全然わかんねーよ!」
「そうだなあ、えっと、禍々しいものかな」
「まがまがー?」
「禍々しいといえば、キリンの腹から出てきた得体の知れない化物のことではないのですか。 先程の」
「あっ、それだ! そいつ、どっちに行った?」
「あっち」
 三人が一斉に芝生広場の方を指差すと、へらへらと笑っていたイチゴが急に真顔になる。それから、霧をかき消すように、ふわりその姿が消える。
「消えた!?」
 ちかこが、キリンの方に向けていたカメラを、慌ててイチゴのいた場所に向ける。しかし、そこにはもうなにもなかった。
「えっとおー、帰ろっかあ」
「そうですね。このムービーを確認したいですし」
 ベンチに置いたままだった鞄を持ち上げ、ほのかが帰り支度を始める。
「いやいやいや、今、人が消えたぞ。人間が消えたんだぞ」
「みたみたー。すごいねえ。イチゴくん」
「撮影できませんでした。決定的瞬間」
 三脚をたたみながら、ちかこが舌打ちをする。

「じゃあ、また明日ねー」
 動物園のゲートを出て、私たちは別々の道を行く。陽は沈みかけ、私たちの町は橙色に染まっていた。家に向かって一人で歩きながら、さっきまでの出来事を考えてみる。赤ちゃんを身籠もっている雌キリンの腹が裂け、黒い化物が出てきた。どこからともなく、変な服装のピカピカ男子が現れて、『ナニガシ』を探していると言い残して、目の前で消えた。
「いや、どう考えても普通じゃないだろ! なんだナニガシって! なんだイチゴ・なんとかかんとかって!」
「イチゴ・クラウドイーター」
「!!」
 囁くような声がして、目の前に彼が現れる。
「君の名前をまだ、聞いてなかったなって思って」
 水色の瞳が、私の顔を覗きこむ。てゆうか近い、近すぎる。
「みよ……し……」
「ん?」
「三好きずな……」
「かわいい名前だね。きずな」
 金縛りにあったみたいに、身体が動かない。恐怖なんかじゃない。もっと違う、得体の知れない感情。
「う……」
「また、来るから」
 イチゴが私の頬にそっと手を添える。ガラスのコップみたいに、ひんやりとした手のひら。目の前十五センチくらいのところにあった顔が、もっと近づいてくる。
「……!」
 私のおでこに、イチゴのおでこがこつんと当たる。そのまま照れくさそうに微笑んで、彼は私の目の前から消失した。

3につづく

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