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アンフォールドザワールド 1

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 窮屈な世の中だとか生きづらいだとか人は言うけれど、そんなこと私には全然関係ない。だって、昨日なんて消えてしまったようなものだし、明日はまだ生まれていないし、私は今ここに立っている。

 なんてことを、動物園の芝生広場で語っていたら、ほのかが首を傾げる。
「それはきずなちゃんが強いからだよー。ほのかはー、だれか支えてくれる人がいてほしいなあー」
 ほのかはちょっとだけ口を尖らせて、甘えるように私のことを見上げる。それからすぐに、手鏡に目線を落として、立ったままグロスを塗り直す。
「私は別に強くないし。生きていくことが難しいなんて、よく分かんないな。ただ歩けば前に進むだけの話じゃないか」
「私には、人生が下りエスカレーターを登っているように感じられますね。まるで」
 私とほのかの会話には混ざらないように、ちかこはひとりごとのようにつぶやく。安物の軽い三脚が、 草地の上にうまく立たないようで、彼女は小さく舌打ちをする。
「てゆうか、ほのか、何回グロス塗り直すんだよ。どうせマスクして撮影するんだし、必要なくない?」
「ひつよーなくないよー。きずなちゃん。気分が全然ちがうじゃない?」
「うーん、わからん」

 平日の午後の動物園に人の姿は少なくて、私たちみたいな女子中学生がカメラを設置していても、だれも気に留めない。五月の日差しは柔らかく、光と影のコントラストも淡い。絶好の撮影日和だ。
「ちかこちゃーん。ほのか、かわいく映ってる?」
「絶対的には解りかねますが、相対的にはかわいく映っていると思われます。それなりに」
「わーい、なんだかよくわからないけど、ありがとー」
 カメラの液晶を確認するときに、ちかこはいつも眼鏡を下にずらす。その横顔が、実はほのかにも劣らない美形だということに、私は気づいているけれど、人には適材適所ってものがある。仮にちかこを女優に動画を撮影したとして、ほのかにカメラは回せないし編集もできない。
「きずな先輩。このような画でいかがでしょうか。ほのか先輩を右半分に、左側の背景にキリンの夫婦を入れています」
「おっ、ばっちりばっちり」
「ところでこの演出は面白いのでしょうか。キリンを紹介しようとしたほのか先輩が、あざとく転ぶという展開」
「えー、面白くない?」
「ほのかにはー、ちょっとわかんないかなあ」
「撮ってみないとわかんないんだよ、私の意図は」
「きずなちゃんはー、天才だもんねえ」
「そう、私は天才だし! 目指せ、七十億PV!」
「成功イメージを持つことは自己実現のための一般的な手法ですね。私には無理ですが」
 私は台本の書かれたノートを、メガホンの形に丸める。ほのかが白いマスクで顔を半分隠す。ちかこがカメラの録画ボタンを押す。初夏の風が私たちの髪を優しく揺らす。
「さんのーがー、アクション!」

「私たちはー、いまー、動物園に来ていまーす。どこの動物園かはひみつね。あっちがキリンのお父さんでー、あっちがキリンのお母さん。もうすぐ赤ちゃんが生まれるんだってー。あっ、ほんとだ。お腹がおっきいねえ」
 まるで今気づいたみたいに、ほのかが口元に手を当てる。ちかこは眼鏡をずらしたまま、少しかがんで液晶を見つめている。
「かわいいなあー。ちょっと、近くまで行ってみたいとおもいまぅうえええええええっえっっ!?」
「はあっ?」
「えっ」
 唐突に野太い奇声を上げて、ほのかはその場に座り込む。ごうっと音を立てて風が強くなり、空が鉛色に変わる。
「なに、あれ……」
 まるで悪夢みたいな光景だった。首を伸ばして木の葉を喰んでいた雌キリンの、膨らんだ腹がメリメリと音をたてて裂けていく。キリンは苦しむでもなく、傀儡のように虚空を見つめている。
「で、出てきてるみたいですが。なにか」
「いやああああああああああっっ! うわああっあっ!!」
「かっ、カメラ! ちかこ、カメラだ!」
 私の声に、ちかこが慌ててカメラを持ち上げる。三脚をぶら下げたまま、ズームにして雌キリンの腹部をアップにする。風が、酸っぱいような生臭いような匂いを運んでくる。
 びちっぶちゅぶちゅっ。
 内蔵が破裂するような音がして、でもその身体からは血の一滴も出ていない。代わりに灰色の霧のようなものが漏れだしている。腹部が蜜柑の皮みたいに裂けて、ぼたり、と黒い影が地に落ちる。
「キリンじゃ……ない?」
 その黒いなにかは、雌キリンの腹部から出てきたにしては、大きすぎた。小型の軽自動車くらいはあるだろうか。身体を震わせながら、四本の細い足でゆっくりと立ち上がる。霧のせいで、姿形がよく見えない。
「……ズームが足りません。若干」
 息を飲んで、ちかこが一歩踏み出す。
「ちっ、ちかこちゃん行っちゃだめえええっ!」
 座り込んだままだったほのかが、ちかこの両足を捉える。バランスを崩して転びそうになるが、体勢を立て直し再びカメラを構える。
「こっちを見てる!」
 ほのかの声に反応したのか、黒い影は私たちに顔を向け、機敏にジャンプして柵を越える。キリンというよりはなにかに似ている。そうだ、ゴリラとかオランウータンとか、そういった類の巨大な猿。
「いやあああああっ、こっちきたあああああっ!」
 そいつは威嚇するように低く咆哮を上げ、私たちの所へ走ってくる。身体が竦んで動かない。そして、高くジャンプをし、私たちのことを飛び越えて森の方へ走って行った。

2につづく

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