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私がコロンビア教育大学院に合格するまで。(前編)

はじめまして。
私はこの度、Teachers College, Columbia University(コロンビア教育大学院)のM.A. in Social-Organizational Psychology(社会組織心理学修士)に合格し、2022年秋からの留学に向けて準備を進めています。

コロンビア大学という世界でもトップの大学にまさか自分が合格できるとは思っておらず、いまだに信じられない気持ちでおります。
なぜなら、私は日本の大学、そして大学院でも、就活でも、本当に「落ちこぼれ」だったと思うからです。
恥ずかしながらこの大学院受験を決めるまで、私が人生で何がしたいのかを本気で心の底から悩んでみたことはなかったと思います。
そういう自分と向き合うことへの逃げが原因で、たくさんの寄り道と失敗を重ねてここにいます。

今回の出願においても、たくさん失敗しました。
後悔していること、
もっとこうすれば良かったと思うこと、
心が折れそうになったときに支えてもらったものや言葉、
すべてこのnoteから発信して、これから挑戦しようと思っている方のお役に少しでも立てればと思います。

正直に言って、かっこいい話はなにもできないかもしれません。
ただ、「自分はたいしたことない人間だから海外留学なんて...」と思う方がもしいれば、等身大の私の経験が少しでも背中を押せたらと思いますので、なぜ今このプログラムに留学をしようと思ったのかについて書きます。

<英語との出会い、海外への憧れ>
私の父は建築設計士で、母は専業主婦です。祖父や叔父も建築設計士をしており、曽祖父は大工だったと聞いています。
母方の祖父は、農薬の研究者でアメリカの大学で教鞭をとっていたので、母は一時期アメリカに住んでおり、その影響で小さな頃から私に英語を習わせました。
建築設計士の方の祖父は、職人気質で郷土愛あふれる厳格な人でしたが、戦時中から英語に興味を持ち、戦後日本を飛び出し、アメリカで仕事をしていた時期がありました。
酔っぱらうと、バーで当時高級だったジョニ黒(ウイスキー)を飲んでアメリカで頑張ってたんや!と何度も同じ話をする祖父の姿を思い浮かべます。
そのような背景から、家族は自然と英語教育に積極的でした。
私の海外挑戦への第一歩は「英語を勉強したらみんな喜んでくれる」という単純な動機とおそらく血筋的なものなのではと思います。

ただ、私が徹底的に英語学習にハマり込んだのには別の理由があります。
物心ついた時から両親は仲が悪くいつも言い争っていました。
特に母は私に対してストレスをぶつけてくることが頻繁にあり、家は私にとって居心地の悪い場所でした。母の名誉のためにも言っておきたいのが、現在は家族仲は良いです!それぞれが乗り越えて、今ではうまくやっていけてると思います。
しかし当時はとにかく家に帰りたくなかったです。
怒鳴り声や言い争う声が怖い。仲良くしてほしい。
思い返してみると、私が「組織心理学」を志すようになる根本の動機は、この幼少期の経験に起因します。

そんな中、私の唯一の癒しが「映画」でした。
小学校の時、英語の先生が授業でみせてくれたのが『ミセス・ダウト』という映画です。仕事は全然できないけれど家族への愛情溢れる父親が、とうとう奥さんに愛想を尽かされて家を追い出されてしまい、でもどうしても子供に会いたいのでバレないようにお手伝いさんの格好に女装して家族と交流する、というコメディです。
当時家庭がつらかった私にとっては、この愛情溢れる父の一見馬鹿げた行動が輝いて見えました。家族ってこんなに温かいんだ、と私は主演のロビン・ウィリアムズに教えてもらったのです。
(彼のことは今でも大好きで、亡くなったときには思わずロサンゼルスに献花に行ってしまいました。)

そこからたくさんの映画をみました。
海外ではサンクスギビングやクリスマスなど家族の集まりをとても大切にしていること、ハロウィンで近所の家にお菓子をもらいに行ったりやプロムでダンスをしたり、日本にはない文化を知るたびに胸が躍り、海外への憧れが強まりました。彼らを理解し、交流したいという気持ちから英語学習へのモチベーションを保ち続けられたのです。


<大学、大学院、就職>
英語が得意だった私は運良く上智大学に合格することができました。
ただし、他はすべて英文学科を受験していた中、なぜか唯一受験した心理学科に進学しました。
もちろん色々自我について思い悩むことの多い時期で、心理学という全く新しい学問への興味があったことは間違いないのですが、そんなに英語が好きだったならもっと英語に特化した学部もあっただろうに。
大学選びの基準は、実家から通えないこと。家の居心地が悪かった私にとっては、家を出られることが最優先課題で、正直どこ大学の何学部でもよかった。でもどうせ受験勉強するなら、ちゃんとやりきって合格したところに行きたい、というくらいでした。
こういうとりあえず思考がその後しばらく私の人生を迷走させるのでした。

せっかく心理学科に入ったのだからカウンセラーの資格を取ろうと思ったのですが、ある日のカウンセリングの授業で先生がこうお話されました。
「心のケアには終わりがない。骨折なら骨がくっつけば治ったと言えるだろうけれど、心の病気は何をもって完治と線引きすべきかが難しい。」
だからこそ心理学は面白いし、心のケアをする仕事は本当に大切なものです。ただ当時の私は、「え、終わらないの?じゃあどうするの?」となりました。それを一人一人相手してたら一生終わらないじゃないか、と。
そのあたりから、私は心理学科で自分がどこへ行けば良いのかわからなくなりました。とりあえず卒業論文を書いて、とりあえず卒業した感じがあります。ですので、また詳細は別で書きますが学部のGPAは、はっきり言ってよくないです。

さらに苦しいことに、就職活動でも大失敗しました。おそらく30社は軽く落ちたのではと思います。ただ敗因は明らかです。自分が何がしたいかわからないし、考えるのもしたくない。自分と向き合うことから逃げた結果です。
またお得意のとりあえず思考で、私は上智大学の大学院へ進学することになります。

しかし、ここで錆びついた私の興味・関心の針を動かしてくれる分野と出会いました。大学院で専攻したコミュニティ心理学という分野は「人と環境の適合」を基本にしており、個人個人にアプローチするだけではなく、コミュニティの環境を整えてあげることで、心の病をケアするという考え方です。授業では、もし夜泣きする子犬がいたら、どうするか?という質問が投げかけられました。生徒の多くが「しつけをする」「ちゃんと運動させて疲れさせる」など、犬の方を変えようとする一方、「犬小屋を広くしてあげる」など犬の生活環境にアプローチする意見は意外と少ないということに気づかされました。これはまさに今まで社会が精神障害に苦しむ人に対してとってきたアプローチである、と先生は仰いました。
従来のカウンセリングでは、面接室で患者さんが来院するのを待ち構えていて、個人ごとの問題に対応していきます。ただし、それでは「病院に来れるくらいには元気な人しか対応できない」「1対1のやり取りのため、ヒューマンリソースが限られる」という欠点があります。コミュニティアプローチではそれらをカバーできるだけでなく、再発予防ができるという点で優れています。例えば、虐められた子の心の傷をケアしても、同じクラスに戻してしまったらまた虐められてしまうように、環境への介入も同時に必要とされているはずです。
この分野に出会って、これならば、効率よく多くの人の心の病にアプローチすることができるかもしれない、と思いました。

しかし、ここで私は自分の中のある違和感に直面します。これは私がこの分野でそのまま博士課程に進学しなかった理由です。
それは、コミュニティ心理学が「すでに傷ついてしまった人」を対象にすることが多いことです。具体的には、いじめやDV、被災者、児童虐待などの様々な問題について日々研究が重ねられています。従って、やはり「臨床心理士」が活躍する分野になります。私は臨床心理士になるコースには進学しなかったので、もうたくさん傷ついてしまった人に介入する資格も勇気もありませんでした。
しかし、自分はむしろ「その人が傷ついてしまう前になんとかしたい」という気持ちが強くありました。例えば、過労死やいじめ自殺などは、もう起きてしまってからでは遅いのです。私は、健康なうちから心の病を予防し、人々が平和なコミュニティの中で生き生きと暮らせる環境づくりがしたいと思うようになりました。

それは図らずも、建築家として人々の「生きる場所」を作ってきた家族たちの信念と重なるものでした。
昔、父は建物の中を一緒に歩くたびに、なぜここに窓が必要なのか、なぜ階段の段差はこの高さなのかと生き生きと説明してくれました。子供だった私はそれらの話には全く興味がなかったのですが、一つだけ今も心に残っている父の言葉があります。

「建物が人を作る。」


どんな家に住んだら、どんな人が育つのか。
どれだけその人が努力しても、才能があっても、暗くて汚くて気が滅入るような場所にいてはそれを発揮することはできません。
私には図面を描くことはできませんが、今まで心理学を学んできたものとして環境づくりになら貢献できるのでは、と思うのです。

大学院を修了して、博士課程への進学をしなかった私は自分の夢のひとつだった海外の映画やテレビドラマに関わる仕事に就職します。
ずっと学生の立場で社会を経験していなかった私は、ほんのり心に思い描いていた「環境づくり」がしたいという気持ちは一回置いておきました。
しかしその後の職務経験を経て、組織心理学という分野で留学を志すようになります。

長くなりそうなので、後編に分けることにいたしました。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。


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