人の好き嫌いを、実験科学から読み解いてみると・・

好き嫌いって、本当に多様だと思う。

食べ物とか、匂いとか見た目とか。
人の相性も、なぜこんなに違うんだろうかと不思議に思う。

僕は、どちらかと言うと好き嫌いがあまりない方だ。

だから、食べ物の好き嫌いが多かったり「あいつ嫌いなんだよね」とすぐに言ってしまう人を見ると、もう少し寛容になれないもんかなぁと達観することがある。

そう思ってしまう背景には、好き嫌いはある程度「思い込み」によって生じている部分が大きいと思っていたから。

そんなとき、ある一冊の本と出合った。

東大薬学部教授の池谷裕二著「単純な脳、複雑な私」という本だ。この本は、脳の不思議さと面白さについて、実験科学から読み解いていく非常に好奇心がそそられる本だった。その中で、人の好き嫌いがどのようにして作られるか、ということも語られていた。

人の好き嫌いが生まれる要因

人の好き嫌いは、遺伝的要因と環境的要因がある。

遺伝的要因でわかりやすいのは食べ物。甘いものは高カロリーのものが多く、生存確率を上げるためには摂取すべき対象。つまり、生きていくために好んで食べるように脳にプログラムされていると考えることができる。

一方で、経験の中で生まれる好き嫌いもある。

例えば、カキ。
僕は広島県出身で、クラスの中にはカキが嫌いな人が何人もいた。そして、そのほとんどの理由が「カキにあたったことがある」という理由だった。つまり、カキを食べてお腹を下したという過去が、カキ自体の好き嫌いという感情に影響を与えたということ。

このように、むかし関西弁の友人に辱めを受けたとか、坊主で背が高いクラスメイトに殴られたことがあるとか、過去の悪いイメージと重なる見た目や声や味などが、好き嫌いに影響を与える。

これは、多くの人が納得してくれる好き嫌いが生まれる理由だと思う。実際、これは科学的にも正しいらしい。ただ、問題はそれが単純な仕組みではないことだ。好き嫌いは複数のものに転嫁され、僕たちの好き嫌いを作っている。

実験科学の結果

好き嫌いに関して行った、こんな実験がある。

モニターにヘッドフォンを使用してもらい、「ヘッドフォンの使用感」について良かったか悪かったかアンケートに答えてもらう。そして後日、アンケートを回答したときに使用したペンと使用していないペンを渡して、好きな方を直感で選んでもらう。

すると、「ヘッドフォンの使用感が良かった」と回答した人は、アンケートに回答したときに使用したペンを選び、「ヘッドフォンの使用感が良くなかった」と回答した人はアンケートで使用していないペンを選んだ。

この結果からわかることは、「人の好き嫌いは、周囲の状況も巻き込んで判断される」ということだ。ヘッドフォンが良かった、悪かったという感情が、「そのとき使っていたペン」という周囲の状況にも転嫁され、新たな好き嫌いが生まれる。そして、それは無意識で行われ、意識の中では「このペンの色味が良い」という風に、それっぽい理屈を後から付け加えるのだ。

抽象性で捉える人間

また、こんな実験もある。

とある赤ちゃんに、白いうさぎのぬいぐるみを与える。赤ちゃんは、ぬいぐるみを嬉しそうに触る。ここで、「ウサギのぬいぐるみに触れたら大きな音を出す」という行動を加える。大きな音にびっくりする赤ちゃんは、やがて「ウサギのぬいぐるみに触れると大きな音が鳴る」ということを覚え、ぬいぐるみを怖がるようになる。

この実験の興味深いことは、赤ちゃんはウサギのぬいぐるみ自体を怖がるようになっただけでなく、本物のウサギや、白衣を着た看護師までも怖がるようになったのだ。

何が言いたいかというと、人はある物質をとらえたときに、特徴を抽出して別のものに転用する能力があるということ。この実験では、ぬいぐるみの「白」という色を抽出して、他のものに転用したのだ。

私たちにある好き嫌い

私たちが「好き」だと感じること、「嫌い」だと感じることは、脳の曖昧さから生まれているのかもしれない。

そして、好きは好きを増幅させ、嫌いは嫌いを増幅させる作用があるとしたら、嫌いな人と一緒に居続けることや、嫌な環境に身を置き続けることって避けるべきだろう、とも思う。

一方で、好きなことが嫌いなことを打ち消してくれたり、変化させてくれる期待もできる。どちらにせよ、僕たちの好き嫌いは意外なところから派生し、無意識のうちに作られることを知ることで、他人の好き嫌いにもう少し寛容になれるかもしれない。

少なくとも僕は、人の嫌いという感情にもう少し寛容になろう。そんなことを思った今日この頃。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?