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社会経験ってなんだ?

大人になるにつれて「先生もただの大人である」ということをひしひしと感じる。

学生時代は、大人と接する機会が極端に「先生」という職業に偏っていた。だからこそ、先生の意見は大きな声として、その時の自分に反映されがちだった。そんな子どもも大人になると、多くの大人と接するようになり、「先生なんて、社会を経験してないくせに」という言葉を口にするようになったりする。

かく言う私も、そのうちの一人だ。
「社会人を経験してない先生が社会に出る人を教育するって、なんか矛盾してない?」という疑問をもったのは、社会人1年目のころ。

ただ、最近はそんな意見を耳にすると「そもそも社会経験ってなんだ?」という疑問が湧き上がるようになった。先生という職業も、立派な仕事のひとつ。「社会人=職業人」とするなら、先生も社会を経験している立場の一人のはずだ。

「社会人は出世のために頑張る必要があるけど、先生は年功序列で、それがない」という意見もきいたことがあるが、いまいちしっくりこない。

自分達が考える「社会人」と「先生」の間には、もう少し明確な違いがあるのではないだろうか。そんなことを考えていると、ひとつの違いを導き出すことができた。

それは、「適切なフィードバック」の有無だ。

社会に出ると、私たち雇われの身は、会社から自分の価値を査定される。会社にどんな貢献をしたのか、どんな価値をもたらしたのか。それが給与として反映されたり、役職として評価されたりする。

もちろん、全ての会社が適切なフィードバックをできているとは思えないが、少なくとも数的なもので自分という人間を評価する軸が、社会にはある。

社会人と先生の違いは、そこにあるのではないだろうか。

もちろん、学校にも教頭先生や校長先生、教育委員会というものがあるし、保護者から様々な意見を言われる。ただ、自分の日々の業務を把握し、それに伴った「適切な評価」をしている人間がいるかといえば、答えは「No」だろう。

社会人になって感じるようになったことは、人が成長するには「適切なフィードバック」が必要不可欠ということだ。もちろん、それは上司や社長からの評価だけではない。

例えば、世の中に新商品を出したとき。その売れ行きもフィードバックだし、人気率などもフィードバックだ。noteを書いたときの「いいねの数」や「閲覧数」もフォードバック。

私たちは、誰かしらのフィードバックを受けながら、修正と検証を繰り返しながら自分を成長させていく。学校と社会とでは、その検証とフィードバックのサイクルが、圧倒的に違うのだ。

だから、社会人が偉いというわけではない。ただ、先生が先生という立場で自分を成長させるためには、生徒にとって圧倒的上の立場という状況下に自分の身をおきながら、自らの業務を俯瞰的に監視をし、適切なフィードバックを自らに課すという、非常に高度でレベルの高い能力を身につける必要があるのだ。

逆に、フィードバックのない状態に自分の身を置くと、自分を客観視したり、批判的に見たりする目が育たず、成長から縁遠い人生になる。

社会経験とは、そういうものだろう。

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