自己肯定感とかいう無責任な言葉
人間の幸福度はSNSの普及で著しく下がった。
いや、人間という主語は些か大きすぎるか。この論は根強く支持を受けているし、私もこの論を信用している。
本当はみんな幸福なんだけれど、自分の上を行く幸福がインターネットの世界にはゴロゴロと転がっている。
自分より金がある、自分より優れた才能がある、自分より美しい、そんな人が世の中にいることを知ってしまう。
自分の拠り所とするものをいとも簡単に上回る他人がいる。それもひとりやふたりでは無い数。
それに耐えられる人ってあまりいないと思う。
あなたは自分になにを求めていますか?
私は、言葉をよく知っていること、容姿が美しいこと、写真を綺麗に撮れること、デザインセンスが良いところ、味覚が優れていること、料理が上手なこと、ゲームが上手なこと、絵が上手なこと、これらを自慢に生きてきた。
SNSさえなければ、死ぬまで自分の周囲にこういった美点を誇って生きていけた。
私より面白い言葉遣いができる人はごまんといる。
私は美しいと言える容姿ではなく、容姿を理由に虐められない程度の顔をしているだけ。
写真もプロが撮ったものには到底叶わない。
デザインも多分基礎の基礎すらわかっていない。
時折酷評されているものを美味しいと感じる。
料理も目で楽しめるようなものは上手く作れない。
ゲームだってネット対戦に繰り出せばボッコボコにされる。
私より上手に絵を描く人が恐ろしい数世の中に存在する。
こういったところを学校や職場で披露するだけなのであれば、きっと素晴らしい評価を受けたまま生涯を終えたに違いない。
絶対的な評価は受けられているのに、相対的な評価を得られなければ満足出来ない。
タイはかつて、世界一幸福度の高い国だと言われていた。しかし、SNSの普及で自国より豊かな暮らしをしている国があると知ると、途端に国民の幸福度は地に落ちた。
人間はそういう生き物だ。
でも、だったら、他人と比べるのをやめれば自分は幸せになれる。
他人と比べるのをやめて、自分のことを認めてあげましょう。
そういった意味を包括して流行したのが「自己肯定感を高めましょう」とかいう言葉。
つまり「自己肯定感」は、馬鹿みたいに自己暗示をかけろという意味を持っている。
いやもう、なんだ、もう、バカかと、ひとりごつ。
無理でしょ今更。1位になりたくない人間なんかいない。だからそんな自己暗示は穴だらけで無意味なのだ。
SNSさえなければ、村単位で生きていれば、人間はどこかで1位になれたかもしれない。
SNSのせいで、今は世界が相手で、したがって1位になれるチャンスなど、凡庸な人間にはない。
1位になりたい、誰かに承認されたい、そんな欲求は叶わない。
叶わないことを理解して、足りない自分に一生苦しまなければならない。
そういった事実から目を背けさせるためだけに存在する言葉、自己肯定感。
そんなもの高めたって1位になんてなれないんだから、自己肯定感自己肯定感などと鳴き声をあげる代わりに、自己研鑽した方がいいぜ。みんな。
ナンバーワンにならなくてもいい もともと特別なオンリーワン
なんて歌詞があるけれど、そんなわけはない。
例えば、自分のちんこが小指の先程度のサイズしか無かったとして、「オンリーワンだね、十人十色で良いね」って自分の極小ちんこに向かって思えんのか。
たとえ自己肯定感を高めたって、自己肯定感が無力感に勝てるわけないんだから、自己肯定感を高める時間は非常に無駄。
以上
結婚すれば誰かの1番をもぎ取れるので、自己を肯定したいなら結婚すればいいと思う。ああ、早く結婚したいなあ。
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