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雑記|転職を機に、暮らす「まち」について考えた話

仕事で飛騨高山に来て、3年半くらい経ちました。気付けば結構、自分にとっては長く暮らした土地になりました。

建設コンサルタントの技術者でありながら、まちの中でカフェの店長を兼任するというイレギュラーなこの仕事も、この春で任期が終わります。悩んだ末、これを節目に今の仕事を辞めて、今後もここに住み続けることを選びました。といいつつ、「この土地が好きだから残る」というよりは、働き口、生活の利便性、家族との関係なんかも天秤にかけて選んだのが正直なところです。

けど、暮らしてみて、この土地のことがすごく好きになりました。

自分は割と、土地に対する愛着が強い方です。なので、こういうことをやたらと考えるのですが、好きな理由はいくつも挙げることができます。

例えば、長い歴史の中で土地に記憶された史跡や文化が面白い、とか、広葉樹林が多いので生物多様性に富んでいる、とか、ものづくりに携わる人が多く、生活する中でその人たちとの接点がある、とか、、、

ただ、ここでは、そうした点の捉え方ではなく、暮らしてみて何を感じたか、生活する中で何を考えた結果、出身地では無いこの土地のどんなところが気に入ったのか、ということを言葉に残しておきたいと思います。


日常と非日常の交錯

始めの頃、高山はいろんな表情を持ったまちだと感じていました。

例えば、飛騨地域の中心であり、都市としての機能を持つ一方、土地の大部分は中山間地。観光地でもある市の中心部(高山駅の周辺)には毎年多くの交流人口が訪れる一方、定住人口は減少傾向で、中山間地の人口減少は特に深刻。街中には新しいことに取り組む若者や移住者が増えている一方、クラシックな観光地のスタイルを踏襲し、その成功体験に支えられているであろうサービスの在り方が色濃く残っている。など、、、

街中にお店を構えていたこともあり、まちのこうした側面に触れ、“強烈な二面性を持っている”ということに面白さを感じていました。

この頃はまだ、暮らす中での実感が少ないので、仕事柄よく目にしていた人口統計や、「観光地:飛騨高山」という、よそ者目線のわかりやすいイメージの中にまなざしを向けていました。

それから、“傍観者”的といいますか、俯瞰的・第三者的にまちをみて語る立ち位置でした。その背景には、“仕事の切れ目が縁の切れ目”という、ある種の線引きがあったと思います。それがいいとか悪いとかいう話ではなく、当時はそうでしたし、自分の中には今も少しそういうところがあります。

目線はどうあれ、この頃、特に強く感じていたのは、高山は、旅人にとっての「非日常」と、暮らす人にとっての「日常」が交錯している。
ということでした。

旅人は、普段の生活の中で見るもの・触れるものとは違うものを期待して、遠くからはるばるやって来ます。同時にこの土地は、住んでいる人にとっては、いつも通りの生活を送る場でもあります。この差は時に軋轢を生むことがあります。誰にとってのまちなのか?と問いたくなるような場面を目にすることも、多かったです。

旅=非日常というあり方は、時代と共に変化してきていると思います。それでも、現在の高山のいわば“物見遊山的”観光のスタイルは、当面のメインストリームであり、観光客のマジョリティであり続けるのだと思います。

高山が「日本のふるさと」であり続けるためには、生活する人たちに直接は関係のない投資をして、旅人の期待する“歴史的町並み”を維持していかなくてはいけない。
始めの頃はこう考え、どこか矛盾のようなものさえ感じていました。

営みに加わる

立ち上げたお店が軌道に乗ってからは、インバウンドのお客さんの情報を集めて地域に還元したり、近隣のお店同士で紹介し合うつながりをつくったり、観光を学ぶ学生さんの支援をしたり、観光まちづくりのワークショップを開いたりしながら、高山のことを考える機会がありました。

仕事とは別に、同年代の友人達と合同展示会をやりました。

自分たちのやっていることはSNSで発信したりもしていましたが、いろいろな取り組みをしている人がいるこの土地で何か始めるということは、自分にとっては勇気のいることでした。

噂が秒で拡がる、飲みに出たら誰か知り合いに必ず出会う、そんなコンパクトなまちの中では、「あの人、何をしてる人」という認識が大きな意味を持っています。それと同時に「自分、何してる人です」と説明する時、仕事としての言葉しか持ち合わせていないことに気づき、自分はそれでいいのかな?ということを考えるようにもなりました。

中には、自分のやっていることと優劣をつけたくて聞いてくる人もいるのだと思いますが、高山の人の多くはそうではなく、“個”として認識し、受け入れてくれる気質があると思います。

今まで、仕事でも研究でも、少数派ですぐに利益に結び付かない領域にいることをどこかコンプレックスに感じ、それを遠慮がちに話していたのですが、この時期からそれが少しづつ変わってきました。

思い返せば、まちの営みに加わる中で経験したこの小さな自己紹介のやり取りが、高山を好きになったきっかけだったと思います。

人付き合いの苦手な自分に「せまいコミュニティ」は合わないだろう。と感じていたとろこに、全く別のところから「せまいコミュニティ」の良さが出現したことに驚きました。
(ちなみに、誰しもに当てはまるものでないことは重々承知です。)

コロナで消えたもの

(↑2020年Wの古い町並み)

3年目に起きたコロナショックは、高山にも大きな影響を与えています。

はじめのうちは、「静かな今が本来の高山だよね」と軽いことを言ってましたが、終息の見通しが立たなくて、だんだんと弱気になってきました。観光客が居なくなってまちが一変するということは、彼らもまちの営みを構成する一要素だったのだと、今更ながらに認識を改めざるを得ない状況です。

悲観的にならない方が難しいような状況ですが、コロナで失われてしまったもの、失われてしまいそうなものの中に、高山の良さを見つけるヒントがある気もしています。

自分の思う高山の良さの一つは、「人を受け入れる気質」だと思います。全てにおいてそうであるとは言えませんが、遠くから来た人に声をかけ、仲間に入れるような気質があることは、とてもとても良いことだと思います。

例えば、コーヒーショップやでこなる横丁のカウンターで旅人と会話したり、お店同士で人を紹介し合ったり、宿泊者と宿主が一緒に朝市を歩いたり、半弓道場で得点を競い合ったり、、、

この気質、もしくは空気感のようなものは、「お・も・て・な・し」とは少し違います。細かな一つ一つのやり取りは、他の土地にも普通にあることかもしれません。そこはあまり重要ではなくて、自分が思う高山の好きな部分は、観光客が来るまちであり続けることで維持されている、ということを認識するのが大事だと思っています。

この、人と人のつながりの中にある温かさは、コロナショックによって回復できないレベルまで毀損されてしまうかもしれません。そうなったら、アフターコロナの高山は、以前とは違うものになっているかもしれません。いま街中には、そんな怖さが漂っています。

「まち」の輪郭

いまさらですが、「このまちが好き」という時の“まち”ってなんのことを言ってるのか、すごく曖昧です。人によって違うので、街並みや景色だったり、気に入ったお店だったり、食べ物だったり“いつものツレ”だったりすると思います。

最近ですが、自分にとっての「まち」は、他者との関係性の中に、だんだんとその輪郭がみえてきたような気がしています。

これは、「コミュニティ」や「人的ネットワーク」というまとまりあるものというよりかは、誰かと話して共感したり、反感をかったり、近づいたり距離をとったり、それを経験して自己反省会をしたり、、、、日々無数に繰り返されるやり取りの中で自分にとっての高山という「まち」がはっきりしてきて、それが集まってできた空気感の中に居るとき、「高山らしい」と感じ、「それはなんだか居心地がいい」と感じています。

このまちでコーヒーショップを営む日々はとても刺激的で、楽しいものでした。強い思い入れのある場所が自分の中に1つ増えて、嬉しいです。

ここ数年もやっとしていたものを、最近やっと言葉にすることができました。他の人の思う、自分のまちの好きなところも、ぜひ聞いてみたいです。

この記事では、まちに加わることについて書いてみました。次は、まちを動かそうとしてもがいた時に考えたことなんかを書きたいと思います。

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